このことを夫差に告げたのは、西施であった。
「西施よ、どうしたのか?からだの工合が悪いのか?」
「からだではございませぬ。心の工合が良くないのでございます」
「からだは別だが、心はおなじ、と思っていた。からだの工合が悪いのには気づかないでも、心の揺れうごきはすぐにわかるはずだった。それがわからないとは。教えてくれ、心のどこが痛むのか?」
「あたしはもと貧しい洗濯女でございました。こうしてお情けを受けておりますが、いまは故郷の苧羅村に帰って、また川で衣類を洗う生活に戻りとうございます」
「なぜじゃ?わしのそばにいたくないと申すのか?」
「そうではございません。ただおそろしくて。あの方でございます」
「伍子胥だな」
「あの方はご息子を斉に残されました。後顧の憂いなく、思いきったことをなさるおつもりでございましょう。ふだんから、あの方はあたしによくありません。あたしを見るあの方の目……それはもうおそろしゅうございます。いざというとき、まず狙われるのは、あたしにちがいありません」
「心配いたすな。伍子胥め、思いきったことをしようにも、それが出来ぬようにしてやるわ」
西施の名は、『春秋左伝』や『史記』などの正史にはみえない。後漢時代につくられた『呉越春秋』など野史にしか登場しない。