呉王夫差は、彼女にために宮殿をさかんに造営した。宮殿や庭園の造営には、ずいぶん費用がかかり、それだけ国力が削られた。伍子胥の諫言は、このころになると、もはや逆効果でしかなかった。息子を斉にのこしてきたのも、伍子胥が呉に絶望したからであった。
呉王夫差はそれを指摘した。
「申しのこすことはあるか?」
呉王の使者が来たので、伍子胥は跪いているのである。
伍子胥は目を開いた。そこには名剣「属鏤(しょくる)」が置かれている。王が彼に下賜したものだ。たんなる贈物ではない。その剣で自殺せよ、というのである。
使者は、申しひらきではなく、申しのこすことはないかと訊いたのだった。
士大夫は弁解しないのが、中国古代のしきたりである。君主に疑われたなら死ぬほかない。それだけに、身を慎むことを要した。
「王に伝えよ」
伍子胥はそういって立ち上がった。もはや主従の礼をとらない意思を示した。彼は肩をそびやかして、激しい声で言葉をつづけた。
「わしはなんじの父闔閭を覇者にさせたし、諸公子のなかからなんじをえらんで即位させてやった。なんじははじめ、呉国の半分をわしにくれると言ったが、わしは受けなかった。それなのに、わしを疑って殺そうとする。いまになって、やっと人を疑うことを知ったのか。それなのに、まだ越王勾践や范蠡を疑おうとせぬ。たわけめ!そんなことでは、独り立ちもおぼつかないわ。わっ、はっ、はっ」
次に伍子胥は家の子郎党たちにむかって言った。
「よいか、わしの墓には梓を植えよ。それで呉王夫差の棺桶が造れるようにな。それから、わしの目玉をくり抜いて、呉のみやこの東門にのせてくれ。越兵が攻めこんで、呉を滅ぼすのをこの目で見物してやるからな」
言い終えると、彼は属鏤の剣を両手でつかみ、自分の喉に刃をあて、はずみをつけて前へ伏した。名剣である。伍子胥の首がとんだ。
伍子胥の最期の言葉を使者から聞いた夫差は、さすがに怒り狂った。
「ほざいたな、子胥め!墓のなかに入れるとでも思っておったか。たわけ者!」
残忍な処分を命じた。
「子胥の屍体は、馬の革に包んで、江(揚子江)に投げ込め!」
こうして、伍子胥は水と縁の深い怨霊になった。