2015年5月15日金曜日

十八史略(46) 伍子胥と呉越戦争(7)

范蠡像
 光は外征だけではなく、国内巡察も多い。そんなとき、率いてゆく兵数にも限度があった。都にも多くの守りのための留守部隊をおかねばならない。

 これまで、呉は西に位置する楚を攻め込んだり、楚から攻め込まれていた。もっぱら対楚作戦を講じておればよかった。ところが、南方に新興勢力が現れた。現在の淅江省紹興あたりの会稽に都をおく越という国が出て来た。范蠡という名臣が現れて富国強兵につとめた。楚と越に挟まれて不安定なことこの上ない。国防大臣の光がいらいらするのは、これも大きな一因であった。

光は乞食に向かって言った。

「おまえはどこから来た?」

「楚から参りました」

「楚で何をやっていた?」

伍子胥は答えずに光の顔をみて涼しい顔をして笑った。

公子の光は、その日はそのまま帰った。

数日後、光は越に送り込んでいた諜者から大事な情報を得た。

――越王允常(いんじょう)が、会稽に城を築っているというのであるーー

楚もこのあいだ、都を城壁で囲んだという情報が入っていた。

「臆病者たちめ!それほどにおれがこわいのか」と部下たちの前で、心地よげに言ったが、内心は、不安が頭をかすめた。

そして、越からの第2の情報を聞くとさすがに顔色が変わった。

――越の都の築城は、范蠡が指揮しているーーというのだ。

范蠡は当時、最高の人材として、知れ渡っていた。范蠡ほどのおとこが城を築っているとすれば、これまでの考え方を変えねばならない。光は、真剣に考えた。

 

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