2015年5月28日木曜日

十八史略(59)-伍子胥と呉越戦争(20)

蠡園の西施像
 越の降伏後5年、呉王夫差(ふさ)は斉に出兵した。60年に近い治世をおこなった斉の景公が死に、その後、斉の国は乱れていた。上昇志向の強い夫差はこれを狙った。

「出兵の好機ぞ」と、夫差は判断した。

「背後に越があることをお忘れなく」と、伍子胥(ごししょ)は諫めて言った。

「越になにができるというのか」

夫差は構わずに北伐の兵をおこし、斉軍を艾陵というところで破った。

自分も南方の後進国風情であることを忘れていた。謙虚さを欠いていた。

越王勾践(こうせん)はあくまでも恭順を装っていた。妻とともに呉に出向くと、呉王に仕えること奴婢のようであった。呉王は勾践に、石室に住まわせ、わが父闔閭(こうりょ)の墓の番人をさせたりもした。勾践は唯々として、墓の番人をつとめた。墓域の草とりなどもした。

「この男、もはや王としての誇りもなければ気力もない」

夫差は勾践の勤めぶりを見て、見くびった。

これこそ勾践の思う壺であった。

蔑まれることがひどければひどいほど、越のためになる。

范蠡にそういわれている。

「可哀想に。范蠡さんを国に帰してあげたらどうでしょう。あたしと違って、あの方は、国に家族をのこしているのに」

愛妃の西施は眉をしかめて言った。

「越での収穫は、勾践を破ったことよりも、この西施を得たことだ」

夫差はそう考えるようになっていた。

彼女の言うことなら、どんなことでも彼は聞き入れた。

「よし、范蠡を帰国させよう」

夫差はその場で決定した。

理屈ではない、生理的な嫌悪感であった。

「なりませぬ、なりませぬ!」

 

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