名門の伯州犂(はくしゅうり)も粛清され、その孫の伯嚭(はくひ)が呉に亡命した。
「お互いに楚の王には怨みが深いのう」
と、伯嚭が伍子胥に言った。
「あんたの怨みはわたしの怨みよりも深いかな」
と、伍子胥が言った。
「それは、わしの方が深いだろう。わしなら楚王の血につながる者を養おうとはせぬわ」
伯嚭は、勝ったと言わんばかりの顔をして、呉でえらくなった伍子胥の前から去った。
たしかに伍子胥は楚の太子建とともに亡命し、建が鄭で殺されてからは、その子の勝を連れて、道中、病気になり、乞食までし、懸賞金をかけられてまで、楚王の血をひく勝を離さなかった。
伯嚭が帰った後、伍子胥は、たしかにそういう考え方もあるなと考えていると、うしろに人の気配がした。少年であった。
勝である。
「今の話を聞いたか?」
「はい」と、勝は頷いた。
伍子胥は説明せねばなるまいと思った。これまで、一緒に行動をともにしたが、説明をしたことはなかった。はたから見ると、伍子胥と勝の関係は、祖父と孫の関係に見えたに違いない。
「わたしのカタキは、そなたの祖父であった。もう亡くなったが、わたしの怨みは消えないのだ。カタキの孫であるそなたに、わたしが心を寄せ、今日までそなたを育てて来たかわかるか」
勝の父親の建とは、主従関係であったが、勝とは少し違う。
伯嚭に言われて、初めて考えてみた。
今は、勝を安心させねばならない。
どう話そうかと言う前に勝はきっぱりと言った。
「知っております。あなたは父と兄を殺されました。私も父を鄭に殺されました。同じようにカタキをもつ者どうしだからです」
勝の父である太子建は晋の頃(けい)王に唆されて、鄭を乗っ取ろうとし、従者の密告で殺された。
伍子胥は寒気が奔った。かれは、勝に
「おまえのカタキは鄭だ。鄭を恨め」と言ったことはなかった。
しかし、勝は伍子胥から、復讐心を吸収していたのである。
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