建は楚を出奔したときから、従者をひとり連れていた。奴隷である。当時、奴隷は人間とみなされなかった。
だから、建と鄭国の不満分子と謀反の協議をするときに、従者の存在を気にしなかった。従者は建の謀反計画をすべて知っていた。
あるとき、従者はできものが出来て苦しんでいた。主の後について歩いていた。道端の石に躓いて前のめりになった拍子にあるじの体に触れた。
建は、押されたと思い、
「おのれ、わたしを突き飛ばしたな」
と言い、鞭を振り上げた。
当時、従者は、なにかしくじったときは、跪いて鞭を受けたものである。
だが、従者は、このとき、背中のできもののことを考えた。ただでさえ、傷むのに、そのうえ、鞭で叩かれると、その痛みが脳裏を走った。
建は「なぜ跪かぬ」と怒鳴った。恐ろしい形相である。
従者は、あるじの顔に殺意を感じ、背を向けて、一目散に駆け出した。
建は抜刀して従者のあとを追った。しかし、とても適わないので、追うのを諦めた。
奴隷は品物と同じであったので、従者が誰かに拾われると、拾った人は泥棒と同じになる。したがって、この従者には誰も手を出さない。もとの所有者のところに帰るしか手がないのである。建もすぐに帰ってくるだろうと甘く考えていた。
従者は、
――帰れば殺される――と思い、いろいろ考えた。
従者は、あるじの謀反計画を思い出した。その足で、役所に出向いた。
「おそれながら、わがあるじの建は、謀反を企てております」と、訴え出たのである。
当時の鄭には、公孫僑という名宰相がいた。字を子産といい、この字で知られている。
「どうする?子産」
と、鄭の定公は宰相の子産に訊ねた。
「迷うことはないでしょう。謀反の罪を許していては、国が傾きます。早く殺してしまいましょう」
と、子産は答えた。
「あの男、わたしの好意を無にしおって」
定公も裏切られた悔しさで、ただちに建を逮捕させ、首を刎ねさせた。
このとき、伍子胥は建の子の勝(しょう)を連れて鄭国を脱出した。
次にめざすは、呉の国である。
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