2015年5月11日月曜日

十八史略(42)-伍子胥と呉越戦争(3)

伍子胥像
 伍子胥は建の亡命先である宋に向かい、伍尚は楚の都の郢に行った。郢は現在の湖北省江陵県にあたる。楚の平王は約束に背いて、伍奢と伍尚の父子を処刑した。

伍子胥は逃げたと聞いた伍奢は

「楚の国の君臣は、これから兵火に苦しむことになろう」と言った。

かれは息子の怒りの恐ろしさと行動力の物凄さを知っていたのである。復讐の鬼になるであろうと予測していた。

前にも書いたが、宋は殷の遺民の国で、襄公のときは国力も強かったが、あの栄光の襄公の死から115年も経っていた。伍子胥らが、亡命したときの国主は元公であり、政治も不安定で、重臣の華向がクーデターを起こした。

伍子胥は建とともに隣国の鄭国に逃げた。鄭国は定公の治世で、亡命者に対してたいそう親切であった。

建は居心地がいいものだから、そのまま留まりたかった。

「だめですぞ。鄭は小国ですから、われわれに貸す兵はおりません」

伍子胥は尻を押して、鄭の国を出て、晋国に入った。晋は覇者文公を出した国で、中原に重きをなしていた。当主の頃(けい)公もなかなかの野心家であった。

その頃公が、建を呼んで

「あなたを鄭の主にしてあげよう」と、切り出した。

「?」

建は理解できなかった。鄭の主は建に優しかった定公である。

「あなたは大国楚を継ぐべき身でありながら、悪人どもに図られ、邪魔され、今のように放浪の身である。気の毒である。だから、小国ではあるが、一国の主にしてあげたい。それが、鄭であるが、どうだ?」

「と、言いましても、鄭には定公というれっきとした主がおります」

「聞くところによると、定公はあんたに大層親切であったらしいな。あんたを信じきっていたという噂だが、鄭にもう一度行ってくれぬか。わたしは、外から鄭を攻める。あなたは、鄭の内から呼応する。あっさり国はとれるであろう。国はあなたがとればいい。わたしとしては、南隣に親晋国家ができればよい」

建は、亡命生活に飽きてきていた。安定した地位がほしい。

暖かくもてなしてくれた鄭の定公を裏切るのは心苦しいが、我が身もかわいい。

つい、「やってみましょう」と答えてしまった。
 
 
 

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