2014年9月3日水曜日

「十八史略(23)―鮑叔牙と管仲⑫」

 桓公が諸侯に召集をかけ、甄(けん)で会盟したのは、この2年後のことである。脅迫された盟約でさえ守ったので、諸侯が桓公を信じたのであった。

この会盟によって桓公は覇者と認められた。

会盟の16年後、塞外の異民族である山戎が燕の国に攻め込んできた。燕は今の北京を含む河北省である。今でも北京のことは燕京と呼ばれるのはこれに由来する。燕の国主荘公は斉に援護を求めて来た。斉の桓公は自ら兵を率いて山戎を塞外に押し返した。

これに感激した荘公は桓公の帰還の折に国境を越えてはるか斉の地まで見送った。

「おたがいに礼法にそむきましたな」

と斉の桓公はにこやかに言った。

自分の領地を越えて見送るのは、相手が天子の場合に限られる。諸侯同士の場合は、自国の国境線までというのが礼法であった。燕の荘公は感謝の意を表したいばかりに、遠くまで送ったのである。

桓公は部下に命じて、自分の立っている場所と荘公の立っている場所の間に溝を掘らせた。

「これを新しい国境にしましょう。あなたは自国の国境から出ていないことになり、おたがいの礼法を守ったことになります」

秦と楚以外の中原の諸侯はほとんど斉の勢力下に入った。

 

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