2014年9月22日月曜日

「十八史略(33)―重耳と驪姫(9)」

 一方、夷吾は復帰工作に奔った。

連合派の総帥里克は、もともと重耳派であるが、重耳から断られたので、仕方なく夷吾に迎えの使者を送った。

「身ひとつで、帰国されてはなりませんぞ。兵を率いてのご帰還があってこそ、家臣もみな重く感じるでしょう」と、迎えに行った呂省が答えた。

「しかし、わしの手元には一人の兵もいない」

「秦から借りるのです」

「これまでも何の接触もないのに秦が貸すであろうか」

「土地を譲りましょう。河西(黄河西部)の地を。晋国全部を手中にできるのですから、わずかなものです」

「晋の国内は、どうすればよいか」

「晋国内は、里克が抑えています。かれに領地を与えると協力は得られるでしょう」

「どこがよいか」

「汾陽(汾水の北)をお与えください」

「よいであろう」

こうして、夷吾は秦兵を率いて、晋に帰還した。これが晋の恵公である。

 ところが、即位すると恵公は秦に割譲することを約束した河西の地が惜しくなった。使者を立てて―領地は先君のもので、亡命者であったわたしが勝手に与えたのは無効であると諸大臣が反対しております。わたしも一生懸命に説得したのですが、反対を撤回させることはできませんでした。ついては、はなはだ申し訳ないことながら、河西の地の割譲はなかったことにしていただきたい―と、謝罪させた。

これは、当時でも馬鹿にした話である。

秦は夷吾に腹を立てた。

 恵公は同時に里克を呼んで、

 「あなたが迎えをよこしてくれたので、わたしは無事即位できた。非常に感謝している。しかし、あなたは幼いとはいえ二人の主君(奚斉と悼子)とひとりの大臣(荀息)を殺している。わたしとしても、そういうあなたの上に座るのはどうも居心地が悪い」
と言った。

自決せよという暗示である。里克は無念の思いで自刃して果てた。

最大の支援者であり、功労者を殺したことで、晋のひとは、上から下まで信用しなくなった。

恵公は里克が重耳と連絡することを恐れてのことであった。

 

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