2014年9月17日水曜日

「十八史略(30)―重耳と驪姫(6)」

 一方、夷吾は屈城に立て籠もって、固く守ったために献公の晋軍もこれを開城させることは出来なかった。籠城戦は1年以上に及んだ。しかし、夷吾は徐々に疲弊し始めたために屈城を捨てて亡命することにした。

重耳と夷吾の母たちは、母同士が姉妹で、狄の狐氏の女であった。重耳が狄に逃げ込んだために夷吾は別の亡命先を探さねばならなかった。夷吾は梁(現在の山西省)を亡命先に選んだ。

 残された三人の後継者候補の中で一番弱かったのは、正式な太子となった驪姫の産んだ奚斉であった。

(殿が死ねば、奚斉を誰も支えないであろう)
というのが家臣の多くの考えであった。重耳と夷吾のいずれかが、クーデターを起こすと奚斉についている者もこのふたりに付くであろう。献公も心配でならなかった。大臣の中で、最も信頼のおける者に奚斉を託すことにした。選んだのは、荀息であった。

献公は荀息を自室に呼んで、
「わしの亡きあと、そなたは奚斉を支えてくれるかの」と問うた。

「出来ます」

「なぜ出来るというのか」

「殿、生き返ってごらんになってください」

秀吉もそうであったが、年をとって愛妾に生ませた子は、とりわけ不憫なようであった。

  この頃、驪姫は狄にいる重耳にせっせと密使を送っていた。晋の重臣の名を騙ってである。

ある密使には、

――献公の余命は幾ばくもありません。太子の奚斉は、若くて誰も信服しておりません。大臣たちは、あなたを擁立しようと考えております。どうぞ帰国の準備を整えてください

 と言わせ、別の密使には、

――梁に亡命中の夷吾が、あなたの帰国を待ち伏せして、暗殺しようとしています。ご用心ください。

また、ある密使には、

――蒲城であなたを打ち損じた勃鞮が、ひそかに刺客を放って、あなたのお命を狙っておりますと知らせた。

驪姫はいろんな手を打って、ひそかに献公の死を待った。長年の恨みが叶う日が来るのである。

驪姫は奚斉派の引き締めのためには惜しみなく金銭も使い、領地を与えるという約束も乱発した。このために奚斉派も巻き返した。

 

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