2014年8月8日金曜日

「十八史略(5)―妲己(だっき)①」

 新疆ウイグルでのテロが拡大している。治安が悪いところには、行くことに目的がある人は別にして行かない方が無難であろう。本人は何も悪いことをしていなくとも巻き込まれると家族をはじめ多くの人に迷惑をかけ、心配もさせる。

さて、今回取り上げる妲己は中国の歴史書上、最初の悪女といえよう。妲己が登場するのは、殷王朝の時代で、紀元前1030年頃の話である。天下を治めていたのは、暴君紂王であった。

殷墟は、河南省安陽市にある。昨年、見に行ったが、想像とはかなり違っていた。雄大な平地の上にあるかと思っていたが、小さな盛り土の上に木が林をつくっているようなところであった。周辺の手入れをしているようなので、もう少し時間が経てば観光客も行くようになるであろう。

ところで、中国は3000年、あるいは4000年の歴史と言うが、その間に首都が変わっており、一般に中国七大古都とは、北京南京杭州西安洛陽開封、安陽をいう。安陽は、もっとも古いということもあってか、史跡がほとんど遺されていない。明日香ほどにも残っていない。残念ながら、今の遺跡の上に立って殷の時代に思いを馳せることは出来ない。

日本では、殷と呼ばれているが、これは次の周王朝がつけたもので、自らは商と称していた。商人という言葉もここから出たといわれている。

 さて、暴君紂王の悪政に堪りかねて周の武王と周公の兄弟は、父の文王に殷を除くことを勧めた。しかし、文王は首を縦には振らない。

500年、30代も続いた王朝が一代不徳であったとしても、そう簡単には倒せない」と息子ふたりを諭した。

 有蘇氏に美しい女性がいることを周公は聞いた。

「その女性のむすめをもらいたい」

その美女のことは、兄の武王も知っており、

「その女性はまだ結婚もしておらぬ。結婚もしていない女性のむすめがほしいとは」

 と、笑った。すると、周公は、

「それなら、その女性にむすめが生まれるまで待ちましょう」

兄は「いやいや気の長い話だな」とふたたび笑ったが、弟は本気であったらしく、有蘇氏に使者をたてて、未婚の美女が結婚してむすめを産んだ場合には、その子を養女にすることをこっそりと約束させた。気の長い話である。

 

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