さて、今回取り上げる妲己は中国の歴史書上、最初の悪女といえよう。妲己が登場するのは、殷王朝の時代で、紀元前1030年頃の話である。天下を治めていたのは、暴君紂王であった。
殷墟は、河南省安陽市にある。昨年、見に行ったが、想像とはかなり違っていた。雄大な平地の上にあるかと思っていたが、小さな盛り土の上に木が林をつくっているようなところであった。周辺の手入れをしているようなので、もう少し時間が経てば観光客も行くようになるであろう。
ところで、中国は3000年、あるいは4000年の歴史と言うが、その間に首都が変わっており、一般に中国七大古都とは、北京、南京、杭州、西安、洛陽、開封、安陽をいう。安陽は、もっとも古いということもあってか、史跡がほとんど遺されていない。明日香ほどにも残っていない。残念ながら、今の遺跡の上に立って殷の時代に思いを馳せることは出来ない。
日本では、殷と呼ばれているが、これは次の周王朝がつけたもので、自らは商と称していた。商人という言葉もここから出たといわれている。
「500年、30代も続いた王朝が一代不徳であったとしても、そう簡単には倒せない」と息子ふたりを諭した。
「その女性のむすめをもらいたい」
その美女のことは、兄の武王も知っており、
「その女性はまだ結婚もしておらぬ。結婚もしていない女性のむすめがほしいとは」
と、笑った。すると、周公は、
「それなら、その女性にむすめが生まれるまで待ちましょう」
兄は「いやいや気の長い話だな」とふたたび笑ったが、弟は本気であったらしく、有蘇氏に使者をたてて、未婚の美女が結婚してむすめを産んだ場合には、その子を養女にすることをこっそりと約束させた。気の長い話である。
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