2014年8月11日月曜日

「十八史略(6)―妲己(だっき)②」

 噂の美女は、まもなく嫁ぎ、何年か後に女の子を生んだ。約束どおりに、その子は周公に引き取られた。周公が睨んだとおり、その子は輝くばかりの美しい姫に育った。

 その子に周公は、何を仕込んだかといえば、男をとろけさすことを教えたのである。男によって、趣味や好みが違うが、周公はその訓練の対象がはっきりしていた。殷の紂王ひとりであった。

 しかし、紂王は暗愚なひとではない。『史記』には、紂王のことを、天性の雄弁家で、行動は敏捷。理解力も鋭く、体力は素手で猛獣を倒すことができたとあり、凡庸なひとではなかった。さらにこの世の中に自分より優れた人間はいないと思っていた自信家でもあった。このような男を操縦するのは至難のわざである。しかも紂王は絶対権力者であった。

 周王は、紂王をもっとも悪く変えようとしたのである。紂王が賢君なれば、天下をとる機会は遠のく。紂王の性癖は酒と女が好きなことであった。ここに周公は目を衝けた。

 周公は、このむすめに自分の名の旦に女ヘンをつけて「妲」という名を与え、有蘇氏の姓は己なので、妲己と呼ばれるようになった。

 周公は、紂王がどのようにされると悦ぶか、どんなことを嫌うか、閨房のわざも仕込み、さらには生活の細かい習慣から、食べ物の嗜好を調査し、いわゆる教養も身につけさせ、紂王が好む女に妲己を教育した。 そして、十分なトレーニングをしたのちに、極秘に妲己を有蘇氏に送り返した。

 

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