2014年8月27日水曜日

「十八史略(18)―鮑叔牙と管仲⑦」

  宮殿に戻った襄公は靴を失くしたことに気づき、靴係の費というものに、「靴はどこにやった」と問うた。

 費は正直に「拾ってくるのを忘れました」と答えると、襄公は凶暴な顔をして、
「鞭をもってまいれ!」と命令し、自ら費を打ち据えた。

『春秋左伝』では、血を見るまで打ち据えたとあり、『史記』には、鞭打つこと300とある。今でも鞭打ちの刑が刑罰としている国があるが、鞭打ちの刑は、瀕死の重傷ともいえる。300回も打たれれば、死の一歩手前といえるだろう。

 費が鞭打たれた体を引きずって、宮殿を出ようとすると造反軍が門の外で勢揃いしていた。

「宮中の人に気づかれずに、襄公のそばに行ける道があります。わたしが案内しましょう」

はじめは、造反軍の誰もが信用しなかったが、費が服を脱いで、背中の傷を見せると、納得し、
「案内しろ」と連称が言った。

費は造反軍の先頭に立って、宮殿の中に入った。座所に近づくと、費は
「先に行って様子を見てきましょう」と、ひとりで中に入った。

一足先に座所に入った費は、襄公たちに造反軍たちが迫っており、逃げるなり、隠れるなりさせるつもりであった。靴の係として、曽祖父の代から仕えている費はいくら鞭打たれても主にそむいてはならないと考えていた。しかし、襄公は凶暴そのものの目をしており、時折、ぴくぴくと動く頬を見ると、このまま助けてもよいのか、躊躇われたが、

「無知様の叛乱でございます。兵を率いてついそこまで乱入しました。急いでお隠れになってください」という言葉が費の口から発せられていた。



 

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