2013年12月22日日曜日

紀州雑賀は韓国沙也加

 紀州の雑賀鉄砲集をご存じでしょうか。戦国時代に活躍した鉄砲集団です。特に大阪の本願寺に入城して、信長、秀吉に散々、鉄砲の弾を撃ちかけました。

その雑賀衆が韓国と関係があるといいます。孫市(雑賀衆の棟梁や有力者が代々継承する名前)の子どもである孫市郎が韓国に渡り、帰化して「沙也加(さやか)」と呼ばれ、将軍になったといいます。その子孫が現在、数千人いるといわれています。

徳川家康をまつった和歌山市内の紀州東照宮には沙也加顕彰碑まで建立されています。

「孫市の嫡男として生まれた孫市郎は、雑賀一族が豊臣秀吉に滅ぼされると人質に出されました。秀吉は全国を平定すると朝鮮に派兵。孫市郎も雑貨衆をひきいて従軍したといいます。しかし、『このいくさには大義がない』として反旗をひるがえし、朝鮮軍に味方しました」

「その鉄砲隊の武将は沙也加と呼ばれ、その後、当時の李王朝の将軍にのぼりつめ金忠善という名前をもらったといいます。現在の慶尚北道の大邱市の友鹿洞に土地も与えられています」

2010年には沙也加から数えて14代目の金在錫氏らが来日し、和歌山市で「沙也加シンポジウム」を開催しました。東照宮の顕彰碑はこのとき建立されたものです。

今の朴大統領が野党のハンナラ党の代表であった頃に当時経産大臣だった二階俊博氏と大臣室で会い、二階氏から、「沙也加将軍の子孫が、友鹿村を中心に先祖代々14代、7000人いるといわれています。その中には法相になった方もおられる。記者会見で自分の先祖は日本人だといわれたそうですね」と言われたと当時の会談議事録に記載されています。

もっと素直に胸襟を開いてくれれば、今のようなギスギスした関係ではなく、きっといい関係が構築できると思います。

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