例えば、慶応の大火(1866年)のときには日本橋近くの豪商の詳細な支出記録が残っています。それによれば、材木商は大工や左官にはじまって釘屋、石灰屋、砂利屋、縄屋、綿屋、桶屋など驚くほど多くの零細な職業に支払いが行われました。
現代はすっかり違っています。瀬戸内海を見下ろす神戸大学の高台には慰霊碑が立っています。阪神淡路大震災(1995年)で犠牲になった同大の関係者の碑です。それによれば、学生の死者は39人、うち37人は下宿生でした。
下宿生は古い木造家屋に住んでいることが多く、それゆえ午前6時少し前の大地震で、多くが犠牲になってしまったといいます。ちなみに、神戸大学では建物はひとつも倒壊しませんでしたから、もしこの地震が昼間だったら、これらの学生は命を落とさずにすんだことでしょう。
東日本大地震(2011年)でも犠牲者を年代別に数えると、60代が19%、70代が23%、80代以上も23%でした。一方、50代は12%、40代は7%、30代は6%でした。高齢者の割合は人口割合よりもずっと多かったというデータです。
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