2012年4月30日月曜日

佐高信の「原発文化人50人斬り」(9)

幸田真音
幸田露伴の孫か、幸田文の娘かと思っていましたら、まったく関係ないようです。佐高氏は、幸田真音も斬って捨てています。
幸田真音は、
「東日本大震災から1ヶ月余の425日に、東京は日比谷の帝国ホテルで『還暦祝』とやらを大々的にしたそうですね。
発起人などには東京電力元社長の南直哉や日本銀行前総裁の福井俊彦、そして塩爺こと塩川正十郎らが並び、作家の渡辺淳一や漫画家の弘兼憲史らがスピーチしたとか。
あなたたちが太鼓を叩いた原発が福島で大事故を起こして、収束することもなく、住民は避難を余儀なくされている時に『お祝い』をするとはどういう感覚の持ち主なのか。それほどに無神経、無責任だから、原発安全の旗を振ってこれたのでしょうが、それを止めることなく発起人となった東電元社長らにも呆れてしまいます。

あなたと同じように原発推進に協力してきた経済評論家の勝間和代は、震災後の326日に放映されたテレビ朝日系『朝まで生テレビ!』に出演し、『放射性物質が実際よりもかなり怖いと思われていることが問題』であり、などと発言し、インターネットで『この女は許せない』とか、『人の気持ちがわからないのか』といった集中砲火を浴び、最初は反論したものの、4月15日公開したブログで次のように謝罪しました。
彼女は『電力会社のCMに出演したものとして、電気事業連合会後援のラジオ番組に出演していたものとして、宣伝責任ある人間として』謝罪したわけですが、同じような立場にありながら、あなたはほぼ同じころに謝罪するどころか、自分の還暦を祝っていたことになります。これは鈍感で無神経で無責任な者にしかできないことでしょう。

元モーニング娘の矢口真里でさえ、結婚披露を延ばしたと聞きました。ということは、あなたの“常識”は矢口真里以下ということですね」
と糾弾しています。

 昨年は、九州大学なども創立100周年の記念すべき年でしたが、記念式典をすべて中止し、集まったお金も支援金として寄付したと聞きます。こういう人の心の分からない人が、メディアに取り上げられ、偉そうなコメントを言うのもいかがなものでしょう。また、還暦祝いに出席したひとたちの脳細胞、常識を疑います。こういう人が上に立って、組織を動かして来たために日本の国はおかしくなったのでしょう。

2012年4月29日日曜日

佐高信の「原発文化人50人斬り」(8)

堺屋太一
21世紀のエネルギーを考える会・みえ』がある。この会の目的は『原発反対』の運動をつぶすことであり、それに原発でもうけている労働組合のボスも参加している。
原発反対の封じ込めに陰湿な手を使う東京電力の“秘密部隊”を一時、東電のCIA、つまり『TCIA』と呼んだことがあるが、電力会社すべてにCIAがあり、いまや、電力会社そのものがCIAと化したとも言える。彼らによって『世論』までがつくられるのであり、堺屋は当時から、そのエージェントの役割をはたしてきた。
弘兼憲史
弘兼憲史を代表格とするそれら原発文化人をここでもう一度列挙する。
養老孟司、茂木健一郎、吉村作治、勝間和代、蟹瀬誠一、荻野アンナ、幸田真吾、福島敦子、星野仙一、金美齢、福澤朗等々。
早大時代、漫画研究会に属していた弘兼は、サントリー、資生堂と並ぶ『広告の御三家』だった松下電器に入る。そして宣伝の仕事をするのである。
自立している人間は松下電器や松下政経塾ならぬ松下未熟塾には入らない。
『もっと大人になれ』と何度も忠告する弘兼は『現実面で言えば、会社の中で、上司にタテついていいことは何ひとつしてない。こう言うと、“長いものに巻かれろ”的で、少し寂しい気持ちになるが、これが現実だ』と説く。『上司にタテついてカッコイイのは、ドラマの世界だけ』というのだ。
『全国エネキャラバン』で原発の安全制について講演し、『東田研に聞け』なる東電との合作マンガで原発のPRにつとめ、多額の広告料をもらったであろう弘兼と対照的なのが同じ漫画家のみうらじゅんである。みうらは最近、東電から四コマ漫画を描いてくれと言われたと告白している。ギャラは500万円以上。それを断った理由を、『僕みたいな奴にたくさんギャラをくれるのは怪しいじゃないですか』と明かしているが、弘兼よ、聞いているか!

2012年4月28日土曜日

太陽光パネル撤去命令

隣家の屋根に取り付けられた太陽光パネルの反射光が家の中に差し込み、日常生活に支障が出たとして、横浜市金沢区の住民2人が隣人男性と設置工事をしたタマホーム(東京)にパネル撤去と計220万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、横浜地裁は418日、パネル12枚の撤去と計22万円の支払いを命じました。

「反射光はほぼ毎日午前中に原告の家に差込み、室内でもまぶしく洋裁などができず、ベランダに洗濯物を干すのにサングラス着用が必要な状態だ」と指摘しています。家の円満な利用が妨害され、受忍限度を超えているというわけです。

佐藤哲治裁判官は、「住宅建築の専門業者として、北側屋根に設置すれば、北側に隣接する建物に反射光が差し込むことは予見できた」としています。

被告の男性は20084月、家を新築し、南側屋根に7枚、北側に12枚のパネルを設置。北側に隣接する原告は北側分の撤去を求めたが応じなかったためにこの訴訟になったわけです。

しかし、これには不思議なことがあります。まず太陽電池を北側に設置したことです。効率が悪くありえません。裁判官が、北側屋根に設置すれば、北側に隣接する建物に反射光が差し込むことは予見できたということですが、北側に太陽電池を設置して、これだけの光量が得られるというのは、どんな屋根でしょう。今の太陽電池は、南側が主で、次いで東側に設置されているはずです。現場を裁判官も弁護士も見ていないのではないでしょうか。

2012年4月27日金曜日

佐高信の「原発文化人50人斬り」(7)

大前研一
若いころは批判精神旺盛だった新聞記者も、10年も経つと『体制を守る側』になることを嘆きながら、大前はこう胸を張っているのである。
なかには勇気のあるジャーナリストもいるが、しかし勇気のある主張ができて、ちょっと人気が出てくると講演などに呼ばれるようになり、それで自分稼げるようになると、とたんに体制側になってしまう。なぜかといえば、自民党や政府は、そうした人をすぐに審議会などに入れ、体制側に組み込んでしまうからである。
注意していないと、アッという間に原発礼賛者が原発警戒者に変わる。盗っ人が岡っ引きになるようなものである。
マサチューセッツ工科大学を経て日立製作所に入り、原子力開発部で高速増殖炉の炉心設計をやったこともあって、大前はアメリカのスリーマイル島やウクライナ(旧ソ連)のチェルノブイリ大事故後も、原発危険論者を強く非難してきたのだが、最近になって『原子力の時代は終わった』などと言っている。終わったのはお前の時代ではないのか。
多分、大前は、もう電力事業は自分のスポンサーにはならないと見切りをつけたのだろう。俗に言う、『カネの切れ目が縁の切れ目』である。
 中国電力の上関原発に反対しつづける祝島の人たちが1980年代におおきな看板に掲げた
『上関原発音頭』がある。
町長選挙で50
旅にさそうて1万円
チラシを配って5000
名前を貸すだけ1万円
印かん集めりや金と酒
ちょいと顔出しゃ寿司弁当
金がほしけりや中電サ
これじゃ働く者がバカ
原発推進ヨヨイのヨイ
これが一番で四番では『人間滅びて町があり、魚が死んで海があり、それでも原発ほしいなら、東京 京都 大阪と オエライさんの住む町に、原発ドンドン建てりやよい』と歌われる。『ここは孫子に残す町』だというのである。
もっともらしく、『生活者革命』などという本を出した大前に、この祝島の住民の気持ちはわからないだろう。
『皆で投票した議会がこの道路を通すと決めたなら、立ち退きは強制的に行われるべき』として、成田空港問題での強制執行を勧めた大前にわかってたまるかである。

2012年4月26日木曜日

佐高信の「原発文化人50人斬り」(6)

吉本隆明
「少なくとも日本では、半世紀、死者を出すような事故はないんですから、逆に考えて、『これほど安全なものはない。航空機よりもっと安全だ』ということになるんですね」。「それから科学技術は、それが危険であろうとなかろうと、中立であり、そこには政治性は入る余地がないわけです。科学技術の問題は政治的には中立だということは非常にはっきりしなければと思うんです。
扱う人間は政治的に中立ではない。中曽根康弘にものの見事に利用された梅原猛のように、吉本のこうした独善的考え方は、たとえば中曽根などには好都合だろう。
「見に行けばいいじゃないか」というだけの問題というなら福島原発で大事故が起こったいまこそ、吉本は老体に鞭打って「見に行けばいい」だろう。
 この本は、吉本隆明氏が亡くなる前に発刊されたものです。
渡部恒三~故郷の福島を売った原発族、東電の共犯者
『原発をやらないと、21世紀のエネルギーは確保できない。政治生命をかけてもいい』とタンカを切り、『原発を造れば造るほど国民は長生きする』などと言って舌禍事件まで起こしながら、大震災によって福島原発がメチャクチャになるや、
「原発事故については、東京電力や政府に怒っている。故郷で生活できなくなり、仕事も奪われたのだから。東電の清水正孝は事故直後、体調不良で一週間も姿を消していた。組織のトップとして恥ずかしい。這ってでも出てきていたら、被災者の気持ちはここまでひどくなかった」と、一転、故郷の福島の被災者の味方のような顔をしている。
201155日付けの『日刊ゲンダイ』で、渡部はこう言い、
『本人に何の責任もない人々の命が奪われ、先祖から受け継いだ家や財産を流された。いまだに涙が止まらない』とも言っているのだが、特に原発については、渡辺は『何の責任もない人々』ではなく、東電と一緒になって原発を推進してきた共犯者である。
小沢一郎が、自民党の実力者だった金丸信に、
『総裁(総理)になれ』
と言われ、時期尚早と断った時、金丸は、
(渡部)恒三なんか、一日でも一時でもいいからなりたいと言っているのに、お前は何だ』と小沢を怒ったという知られた話がある。
早稲田を卒業する時、渡部はいまは亡き藤波と、次のような約束をした。
『おれたツは、これで東と西に別れていくが、いずれ将来は、国会の赤じゅうたんの上で再会スよう。藤波君、きみは、西の緒方竹虎たれ。おれは、東の中野正剛たらん』。渡部に名前を出されては、緒方も中野もあまりにもあまりにかわいそうである。
(緒方竹虎も中野正剛もわが修猷館の先輩である。あまりにレベルが違いすぎるように思います)
福島県の現知事、佐藤雄平は渡部の甥である。佐藤は震災後は東京電力に対して厳しい態度を見せているが、元来は原発の推進派だった。推進派が安全派のポーズをとっているわけである。その転身は叔父の渡部と一緒。住民たちから見れば、それは明らかだと思うが、そこに政治家に最も必要な理念がないから変われるのである。

2012年4月25日水曜日

佐高信の「原発文化人50人斬り」(5)

有害御用学者
佐高氏は、学者も遠慮容赦なく切り捨てます。
「水俣病の場合も、チッソや国に責任はないと主張しつづけた御用学者はいた。いまから考えれば、有害学者である。
その有害御用学者の系譜に連なるのが、今度の原発震災の場合は、原子力安全委員会委員長の班目春樹であり、20114月末に内閣官房参与を辞任して話題となった小佐古敏荘だろう。
この二人は、静岡県の中部電力浜岡原発を危険と訴える学者たちを中傷し、一蹴してきた。
今度の震災直後、菅首相に呼ばれ、
『爆発する危険性はないのか』
と問われて、
『大丈夫です。水素はありますが、爆発するようなことはありません』
と答え、菅に
『水素があるんなら、爆発するだろ!』
と怒鳴られた話はあまりに有名である。
こんな奴らが、“専門家”面をしている。俗に『専門バカ』というが、『専門もバカ』なのである。
そんな班目が原発震災の危険を説いた地震学者の石橋克彦を侮辱してきた。
『原発は二重三重の安全対策がなされており、安全にかつ問題なく停止させることができる』、『万一の事故に備えてECCS(非常用炉心冷却装置)を備えており、原子炉の水が減少してもウランが溶けないようにしている』と述べている。
こんな人間が、なぜいまも原子力安全委員長なのか?
小佐古は小学校での屋外活動を制限する限界放射線量を年間20ミリシーベルトとした政府に対し、『容認すれば私の学者生命は終わり。自分の子どもをそういう目に遭わせたくない。 年間20ミリシーベルト被曝する人は、原発の放射線業務従業者でも極めて少ない。この数値を乳児、小学生に求めることは学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け難い』と主張して参与を辞任した。
しかし、この小佐古も『アドイザー》の見解では、石橋の懸念をすべて否定し、『国内の原発は防護対策がなされているので、多量な放射能の外部放出はまったく起こり得ない』『石橋論文は保健物理学会、放射線影響学会、原子力学会で取り上げられたことはない』などと答えている。
わたしに言わせれば、石橋をこう非難した時点で、小佐古の『学者生命』は終わっていた。地震が専門の石橋に対して、小佐古は『論拠なく』反論している。こんな小佐古を参与にした菅内閣の見識こそ問わなければならないだろう」
とあくまで強烈です。

2012年4月24日火曜日

佐高信の「原発文化人50人斬り」(4)

 佐高氏は、さらに中曽根について触れています。
「河野一郎は、中曽根の派閥親分だった。この親分は子分の中曽根のことを『藪枯らし』と名づけていた。藪枯らしは藪をおおって他の植物を枯らしてしまうので別名『びんぼうかずら』という。つまり、他の者を踏みつけにして自分だけが生き残る奴だと中曽根は河野から見られていたわけである。枯らされた人間はたくさんいるが、その一人がリクルート事件で逮捕された藤波孝生だろう。    
藤波は中曽根内閣の官房長官であり、腹心だった。
控へ目に生くる幸せ根深汁
と詠んだ藤波を中曽根は切り捨て、自分だけは生き延びた。
『私が静岡高校時代から、唯一尊敬しているのはヒトラーだ』
1983220日号の『サンデー毎日』で、こう言い切っている中曽根は、37歳の時、『朝日新聞』の群馬版で、記者のインタビューに次のように答えている。
人口問題をどうするという質問に対し、
『原子力だ。15年後には原子力エネルギーを完全に解放制御できるから、7時間労働で1億人が食える』
『東日本大震災復興構想会議』とやらの特別顧問に就任した梅原猛が,『週刊朝日』の201156日、13日合併号で、こんなことを言っている。
『私の予言はいつも当たりすぎるくらい当たるんです。旧ソ連の社会主義崩壊も、アメリカのイラク戦争の失敗も、強く批判していたら実際、そのとおりになりました。
原発についても、20年くらい前から批判してきました。アメリカのスリーマイル島や、旧ソ連のチェルノブイリの原発事故で、欧米では原発に対する風向きが変わっていたのに、日本政府や電力会社は『安全だ』と言い続けてきました。私は『安全である保証はない。原発は危険性があるから、できるだけ早く止めて、太陽光や風力などの自然エネルギーに変えるべきだ』と言ってきました。
私は梅原を『原発推進派』と思っていたが、当人は、とりわけ最近、『反対派』を自負しているらしい。
チェルノブイリ大事後の1986年夏の時点でもバリバリの推進派だった。『原子力文化』という雑誌の同年8月号では、こう言っている。
『ソビエトの事故などもあって、原子力に危険な一面があることは間違いないでしょうが、いま文明は二者択一を迫られていると思うんです。エネルギーを必要とする文明を捨てて低いエネルギーな文明に帰るか、それが不可能であるあるとしたら文明の未来は悲観的で、石油、石炭などの再生不可能なエネルギーを使い、資源はたちまちになくなり、そして自然破壊は大きくなる。だから大変アイロニカルな言い方ですが、自然の破壊を防いで、しかも今の文明を続けようとしたら、やはり原子力に頼るしかない』
梅原は原子力のパイオニア的政治家である中曽根康弘系の文化人だった。
天皇に近づいて延暦寺や東寺を建て、それぞれの教団の基礎を作った最澄や空海より、無名の破戒僧として人生を徹底させた親鸞の生き方を私の理想としていた。しかし、(京都市立芸術大学の)学長となって、親鸞の生き方より、空海の生き方を学ばなくてはならぬ。
どうようにして学者や評論家が政治家に取り込まれていくか、梅原の場合は興味深い典型例だろう」

2012年4月23日月曜日

佐高信の「原発文化人50人斬り」(3)

 「弘兼のイラストには、『専務 島耕作』から『石油はこの世からなくなってしまう。はっきりゆうて原発反対なんて言ってる場合じゃないんや』というセリフも引かれている。
堺屋、弘兼、たけしは原発のA級戦犯として挙げられるだろう。戦犯として論告求刑したい。
中曽根康弘渡部恒三与謝野馨の政治家トリオ、班目春樹近藤駿介の専門家コンビ、吉本隆明梅原猛の知識人もどきがA級戦犯である。
作家の幸田真音と経済評論家の勝間和代のおばさんコンビはA級戦犯か。
東京電力の経営陣については「東京電力の歴史と傲慢」で改めて触れるが、現在、監査役となっている元東京大学総長、小宮山宏の重大なる責任も忘れてはなるまい。
“電波芸者”と言われる田原総一郎が資源エネルギー庁と青森県の共催の2010年秋の講演会で、原発の必要性を説き、日本の原発の技術がいかに優れているかを強調して、110万円の講演料を得た事例も、そこに出た青森県議によって報告されている。
『学者たちが居眠りしているから、札束で頬を叩いて目を覚まさせるのだ』
1954年春、中曽根が中心となって原子力予算案が突如提出される。それに抗議した学者たちに中曽根はこう言ったといわれる。
改進党の代議士だった中曽根が要求した“原子力予算”は平和利用研究補助金23500万円とウラニウム資源調査費1500万円の合計25000万円。もちろん、当時のカネである。
当時の日本学術会議会長の矛誠司も、『現在の日本で原子炉をすぐつくるべきだと考えている学者は一人もいない。いきなりカネが出るとは驚いた』という談話を出した。
1955年の保守合同の直後、中曽根が自民党の中に正力派を結成しようとしていたとき、正力は入社5年目のまだ若い政治部の記者を呼んで、こう命じたという。
『今日から毎日、中曽根という代義士に会いたまえ。絶えず情報をとって、このオレに報告するんだ』
中曽根の監視役をやれと言われたわけだが、この記者が、現在の『読売新聞』のドン、渡辺恒雄だった。ミイラ取りがミイラになるように、逆に、これが契機となって、渡辺と中曽根は盟友となる。
1957年に正力は、初代の原子力委員会委員長に就任するが、原子力委員にノーベル賞を受賞した湯川秀樹を引っ張り出したかった。
この正力の意を受けて、中曽根は狡猾極まりない動きをする。
財界からは温厚な経団連会長の石川一郎が候補となっていたが、中曽根はまず石川を口説いた。こうウソをついてである。
『学界ではノーベル賞の湯川さんが承諾してくれました。学界が第一級の人物を出してくれた以上、財界も第一級の人物でないと困ります。となると石川さん以外に考えられません』
この段階では、まだ湯川に打診してはいなかった。石川が承諾するや、中曽根はすぐに茅誠司(のちの東大総長)に会い、「財界では経団連会長の石川さんを送り出すことが決まった。学界からはどうしても湯川さんじゃないと困る。ぜひ、あなたから口を説いてほしい」
中曽根にとっては学者をだますなど朝飯前なのだろう。茅は中曽根のずるさに気づかず、罠にはまって、こんな知恵を授けてしまった。
『私も口説いてみるが、日本学術会議原子力問題委員会長の藤岡由夫君も加えなさい。藤岡君が入れば、湯川君も引き受けやすくなる』
『巨怪伝』には『湯川がこの要請を断わりきれなかったのは、ノーベル賞の翌年、読売新聞との協賛で、読売・湯川奨学金をスタートさせていたせいもあった』と記されている。
1956年、14日、原子力委員長として正力が『5年以内の原子力発電所建設』を打ち上げるや、湯川は不信感を抱き、辞意を固める。
『今日の原子力委員会の初会合で、正力さんは、原子力の自主開発なんてやっているひまはない、輸入した方が手っ取りばやい、という声明を発表した。そんな話なら、われわれが入っている意味はない。明日にでも辞める』と告白して一年後に辞任した。
この湯川を引っ張り出すことに一役買わされた茅の怒りと不信感も死ぬまで消えなかった。
『中曽根が茅さんの家を訪問した時、バラの生け垣を踏みつけにして入ってきたそうです。茅さんはのちのちまで、『人の家のバラを踏みつけやがって』と、怒ってました』
『原子力をくいものにした』正力と中曽根を、佐野眞一は次のように指弾する。
『中曽根という配下を巧みに繰った正力は、まさにバラの花を踏みつけるようにして、学者の良心をふみにじり、原発めがけてまっしぐらに突進していった』
 こうしてみると政治家、政治屋というのは、目的のためには、ひとの心も踏みつけにしてもなんら痛痒を感じないのでしょう。

2012年4月22日日曜日

佐高信の「原発文化人50人斬り」(2)

 「3月末の『朝まで生テレビ!』で、震災より原発事故のニュースが多すぎるのではと発言して問題となった勝間和代も中部電力のCMに出ていた。化けの皮が剥がれたという感じだが、こうした最近の原発タレントより罪深いのは、大前研一堺屋太一、あるいはビートたけし(北野武)といった“フロンテイア”だろう。勝間は大前を尊敬して、いわば、“おんな大前”をめざしてきたのだし、たけしの場合は兄の北野大や弟子の浅草キッドまで原発推進派である。
堺屋は、かつては『原発反対などといっていれるのは日本だけ。たとえばフランスでは、原発反対運動はただのひとつもない』と暴言を吐いていた。
大前は日立製作所で高速増殖炉の開発に携わっていたから、単なる宣伝屋ではなく実行犯である。
お笑いタレントとは言え、震災による原発爆発後のいま読むと笑えないのがたけしの発言。
『新潮45』の20106月号で、原子力委員会委員長の近藤駿介(東京大名誉教授)と対談して、トンデモ暴言を連発している。
『おいらは大学も工学部ですから、原子力関係の話は大好きなんですよ。今日は新潟県にある柏崎刈羽原子力発電所の中を見学させてもらったのだけど、面白くて仕方がなかった』
『原子力発電を批判するような人たちは、すぐに『もし地震がおきて厚子炉が壊れたらどうなるんだ』とか言うじゃないですか。ということは、逆に原子力発電所としては、地震が起きても大丈夫なように、他の施設以上に気を使っているはず。だから、地震がおきたら、本当にここへ逃げるのが一番安全だったりする()。でも、新しい技術に対しては、『危険だ』と叫ぶ、オオカミ少年のほうがマスコミ的にはウケがいい』
原子力発電所に逃げるのが一番安全なら、たけしはいまこそ、福島の原発に逃げ込んだらいいだろう。たけしの暴走には歯止めがない。次の発言にも絶句するばかりである。
『相変わらず原子力発電に反対する人もいるけど、交通事故の年間死者の数を考えて、自動車に乗るのを止めましょうとは言わない。やっぱり使ったほうが便利だからね。どうも原子力発電というとリスクばかり言う傾向があるけれど、実際、おいらたちはもっとリスクのある社会に生きている。変質者に刺される確率のほうがよほど高いって()
「福島出身で東電のCMに出ていた中畑清が、東電に裏切られたと言っているのにも嗤ってしまったが、渡瀬恒彦星野仙一、あるいは薬丸裕英岡江久美子といったタレントや野球選手と違って、『行列のできる法律相談所』に出ている北村晴男住田裕子といった弁護士や吉村作治などの大学教授、そして、御意見番を気取る三宅久之草野仁大宅映子、キャスターを名乗る木場弘子の罪は一段と重い。投資相談屋の藤沢久美は『文藝春秋』で何度も電事連の広告に出ていながら、原発への『コメントは差し控える』のだという。
『芸は売っても身を売らぬ』が芸者の心意気とされた時代があったが、ここに挙げた“原発芸者“たちは、売る芸がなかったから身を売ったのか。恥知らず者どもである」とここでも佐高氏は峻烈です。。

2012年4月21日土曜日

佐高信の「原発文化人50人斬り」(1)

 この本は、以前から読もうと思っていたのですが、あまりかぶれるのはどうかと思い、読むのを躊躇っていました。しかし、佐高氏が、原発推進の巨頭のように扱っていた吉本隆明氏が亡くなったので、再度、読み直してみました。以下、「原発文化人50人斬り」から、ピックアップしました。
「何年か前、青森県知事選挙があった。原発ストップ派と一時凍結派、そして推進派という構図になったのだが、凍結派が、当事絶大な人気を誇ったアントニ猪木に応援を頼んだ。応援料は150万円である。ところが、その後、推進派がバックにいる電気事業連合会からカネを引き出したのか、1億円を出すと言ってきた。1億円である。
それで猪木は150万円を返し、推進派を応援して一億円を得たという。
これは猪木の秘書だった佐藤久美子著『議員秘書 捨身の告白』(講談社)に出ている話で、この秘書を猪木や電気事業連合会が訴えることはなかったから事実なのだろう」
やはりタレントが応援しているものには、心してかからねばなりません。ほかにもたくさんあるように思います。
原発文化人を許してはならない
さらに佐高氏は、
「必ず、推進派は息を吹き返すだろう。その波に乗ったのは猪木だけではない。ビートたけしをはじめ、漫画家の弘兼憲史、経済評論家の勝間和代、作家の荻野アンナ、幸田真音、俳優の渡瀬恒彦等、電力会社のPRに協力して、原発安全神話をつくりあげた輩はたくさんいる。彼らを許してはならないのである。弘兼など、被災者に対して、元気を出して下さいなどというメッセージをどこかで出していたが、盗っ人猛々しいと言わなければならない。お前にだけは言われたくない。
被害が広がり、長期化すると、前記弘兼のように、加害者が救世主のごとき顔をする例が出てくる。あるいは、被害者のごとき顔さえする。
魯迅は『水に落ちた犬を撃て』と言った。弘兼や勝間は水に落ちていない犬である。彼らを水に落とし、トコトン撃たなければならない。
弘兼もそうだが、大前研一のように、原発を推進したのに、今度は一転、「日本原子力産業は終わった!!」という副題の『日本復興計画』(文藝春秋)を出し、“犯人”が十手を持つかごとき例が少なからず見受けられるからである」。佐高氏は、あくまで痛烈です。こういう人は、おかしな金を貰わないでしょうから、信念なく、金で動く人には、煙たい存在でしょう。
原発文化人25人への論告求刑
アントニ猪木。猪木の秘書だった佐藤久美子の『議員秘書 捨身の告白』によれば、最初、原発一時凍結派の候補から150万円で来てほしいと頼まれた猪木はその候補の応援に行くつもりだったが、推進派のパックにいた電事連から1億円を提示され、あわてて150万円を返して、そちらに乗り換えたという。
高木仁三郎。『市民科学者として生きる』(岩波新書)に、ある原子力情報誌の編集長から、3億円を用意してもらったので、エネルギー政策の研究会を主宰してほしいと誘いがあったと書かれている。高木は「現在だったら100億円くらいに相当しようか」と注釈をつけている。
幸田真音。電力会社の広告に協力した幸田真音を批判したら、自分はそんなにもらっていないと弁解してきた。無思想の作家は電力会社にとってもお飾り的に使い勝手がいいのである。
荻野アンナ。“原発おばさん”
安全神話の最大のホラ吹き役が漫画家の弘兼憲史。脳科学者として売り出した茂木健一郎養老孟司がこれに次ぐ。

2012年4月20日金曜日

中国共産党の歩み

 中国もこの秋には、政府トップが交代します。習近平副主席が、胡錦禱主席に代わるといわれていますが、別に決まったことではありません。座りがいいということのようです。薄熙来氏も太子党で、習近平氏よりも4歳年上です。そして、実績もあります。
中国共産党の基本的な考え方は、全員一致です。日本の小泉純一郎氏のようなひとは、絶対にトップにはなれません。今回、薄氏が解任されたのも、ひとり目立ちすぎたこともあるでしょう。
  中国共産党の結党以来の事件を参考までに書いてみます。


2012年4月19日木曜日

中国・薄煕来の解任・拘束(2)

 共産党筋によると、薄氏が説明を求められているのは、收賄や職務怠慢など4項目といいます。弁護士事務所を開業している薄夫人にからむ汚職の疑いもあります。今年2月、米総領事館に駆け込み、拘束・解任された薄氏の部下で、重慶市副市長だった王立軍氏(52)の監督責任も問われているようです。

薄氏は、第一世代中国共産党最高幹部の子弟であること、いわゆる太子党です。同じ太子党で、彼より4歳年下の習近平氏が、偶然の成り行きから次の党総書記になると決まってしまい、習氏に対する強い競争心が薄氏の胸中にはあったと言われています。

薄氏は、「黒」退治を大義名分にして思いのままに振舞い、密告を奨励し、たちまちのうちに5000人を捕らえました。2010年には、公安局の前のボスだった文強を死刑にした。有名な話です。

遼寧省を中心に事業を展開する実業家、大連実徳集団の徐明董事長が、共産党の規律部門に拘束され、取調べを受けていると伝えられています。徐氏は315日に重慶市党委書記を解任された薄煕来氏と親密な関係にあることで知られており、薄氏の経済問題の参考人として事情聴取されている可能性もあります。

薄氏が失脚した直後から、中国国内では薄氏を賛美したり英雄視したりする声が続々と上ってきています。河南省の「商都網」では、「打黒唱紅」を含めた薄氏の「政績」を称えているといいます。

石平氏は、「薄氏を葬り去るのは簡単だが、今まで彼の存在によって代弁されてきた民衆の不満をいかにして吸収していくのか。それこそが共産党指導部が直面する最大の問題となる」と書いていますが、わたしは、今回の薄氏事件は、そっと闇に葬られると思います。これまでも政治犯、経済犯は多く出てきましたが、経済犯はともかく、政治犯がどうなったかというのは、明らかになっていません。薄氏はある面で魅力のある人物でしたし、まだ若い(53歳)ので、このまま埋没するのは、もったいないように感じます。

2012年4月18日水曜日

中国・薄煕来の解任・拘束(1)

 薄氏が人民大会議の開催中に拘束され、重慶市党委員会書記を解任されました。

薄氏は、都市住民でなければ受けられなかった健康保険などの恩恵を農村出身の住民も利用できるようにするなど、都市部と農村部の格差を圧縮しようとしました。公共住宅の建設や大規模なインフラ計画も推進し、重慶市を人1000万人の最も急成長する都市の一つに育て上げました。

中国共産党中央によって、重慶市党委書記を解任された薄煕来氏は、汚職や職務怠慢などの疑いで共産党機関の調査を受け続けており、結論はまだ出ていません。

薄氏を支えた重慶市議会議長にあたる陳存根・市人民代表大会常務委員会主任は、326日に同市党委員会を解任されました。

薄氏一派は重慶における人事権が奪われました。

薄氏の遼寧省時代の部下で、腹心の一人として知られる呉文康・重慶市党委員会副秘書長は、同市の主要会議をすべて欠席し、行方が分らなくなりました。当局に拘束された可能性が高いと思われます。薄氏のマフィア一掃キャンペーンを推進した王鵬飛・渝北区副区長や、夏沢良・南岸区党委書記らも相次いで党の規律検査委員会関係者に汚職などの名目で連行されました。

昨年11月に重慶市内のホテルで実業家の英国人男性が不審な死で発見され、英国政府は中国側に対し、死因の調査を要求しているといいます。実業家は薄氏一家と近い関係にあり、その謎の死が薄氏失脚をめぐる重要要素に浮上したとしています。

2012年4月17日火曜日

AIJの報酬は営業利益の3倍

 AIJ201012月期に支払った人件費(報酬)は営業利益(売上高)3倍にあたる23118万円でした。その手口は、ウソの運用実績を示して預かった年金資金を運用する過程で、傘下のファンド会社が手数料として得た利益を配当の形で集め、社内で山分けしていました。浅川社長は43日の参院での参考人質疑で「自分個人として儲けるつもりはなかった」と強弁しましたが、真っ赤なウソだったと、日刊ゲンダイの45日号で報じています。

AIJの接待交際費が年間1400万円に上ることも判明しました。「接待相手に年金基金の理事らが含まれていたか」と追及された浅川社長は「当然入っています」と認めました。

衆院財務金融委員会は、AIJの年金消失の実態解明には、ウソをつけば偽証罪に問われる証人喚問が必要と判断しました。413日にも浅川社長とAIJの女帝こと高橋成子取締役(52)、アイティーエム証券の西村秀昭社長(56)AIJと顧問契約を結んでいた社保庁OBの石山勲氏(75)4人を呼ぶ方針を固めたといいます。

 こういうことは、氷山の一角で、同様のことが、いろんな運用会社で行われているように思いますので、国会もそうですが、検察庁も徹底して調査し、明らかにしてほしいものです。