2012年2月29日水曜日

しらせが南極と接岸を断念

 第53次南極観測隊(山岸久雄隊長)を支援するため、昨年11月に日本を出航した南極観測船「しらせ」が厚い海水に阻まれ、昭和基地への接岸を断念したことが121日、関係者の話で分りました。しらせが接岸断念するのは平成56年の第35次観測隊の支援以来、18ぶりです。

しらせは当初、年明けの接岸を目指していましたが、悪天候や厚さ4㍍を超える氷の影響などで遅れが生じていました。

しらせは同隊支援のほか、オーストラリア政府の要請を受け、豪モーソン基地周辺の氷を切り開く支援も行う予定でした。

今年は、1912(明治45)128日に白瀬矗陸軍中尉が率いる「白瀬隊」が始めて南極に足を踏み入れ、日章旗を立ててから100年にあたります。

オーストラリアはシーシェパードの南極での日本の操作捕鯨を妨害行為を支援している国です。不思議なのは、なぜそういう国の支援をするのでしょう。

2012年2月28日火曜日

「ホウ・レン・ソウ」不要の会社

 社会人の基準とされる「ホウ・レン・ソウ」(報告・相談・連絡)を禁止することで、躍進中の企業があるそうです。設備資材製造の未来工業(名証2部、岐阜県輪之内町)は、現場判断の尊重を狙いにホウレンソウ不要を社内ルールを設定しているそうです。

「常に考える」。同社のモットーで、ホウレンソウの禁止もこの理念から生まれました。

上司への報告は必要最小限。業務は自分で考えて進めるというものです。

ホウレンソウの禁止からは、さまざまな成果が挙がりました。全国30の営業所設置に加え、家電制御機器の製造、水道関連事業などの新規事業が社員の発想から生まれていきました。

「大阪支店を作ったのは俺(本社)だが、その大阪支店は勝手に高松営業所を作り、その高松営業所は勝手に松山営業所を作った」

いちいち上司のお伺いを立てていると自由な発想も自主性もなくなる。

 同社は毎年、特許庁の意匠登録件数上位20社に入る常連だそうです。

 こういう企業もあるということですが、5年後、10年後のこの会社をみたいものです。

2012年2月27日月曜日

提防の高さで安全は確保できるのか

 また、堤防の高さが問題になってきているようです。福島の原発地域でも先の地震では20m以上の津波であったと諸学者いい始めています。

死亡・行方不明が93人に上がり住民の約1割が津波の犠牲になった岩手県大槌町赤浜地区では、。元公民館分館長の神田義信さん(66)は「堤防付近まで海を見に行き流された人もいる」と当時の状況を明かします。赤浜地区は住民の7割が漁業関係者。沿岸には海面からの高さ6.4mの巨大な堤防に上るか高台に行かないと、海の様子を確かめることは難しい。

堤防の整備は、海岸管理者である都府県が受け持っています。被災各県は国の基準に基づき、明治三陸津波など「数十年~百数十年」の間隔で起きる津波を想定しました。岩手県は大槌湾と船越湾がある大槌町に、それぞれ海面から14.5㍍、12.8㍍と震災前を大幅に上回る高さを示しました。

赤浜など沿岸部の3地区は、地震前を同じ高さ(6.4㍍と4.5)としました。

 「いくら堤防を高くしても、人間の力で自然を抑えられない」と言い切ります。

 国や県は堤防ありきの議論ばかり。まず安全な土地、住居を用意するのが先のはず。

 津波が実際にどのような高さ、方向で来るのか予測できない。堤防の高さからは安全を導き出せない」と訴えています。

2012年2月26日日曜日

消費税アップの矛盾

 いよいよ「社会保障と税の一体改革」が佳境に入ってきた。だが、そもそも政権交代時に約束した年金の一元化もやらないで増税だけするのを「社会保障と税の一体改革」と呼べるのか、疑問だ。

財界団体はこぞって、法人税の引き下げと消費税引き上げを要求する。

 こうした大手企業は、輸出に際して消費税は還付されるので“大幅減税”になる可能性があるからだ。

2010年度の消費税滞納額は約3400億円に達している。消費税率が2倍の10%に引きあげたら、消費税を払えない中小企業はさらに増えるだろう。

食料品など生活必需費品に10%の消費税をかけると逆進性がひどくなる。他方で、食料品店など最終的な小売りが、デフレ不況で値上げできなければ小売業者が苦しむ。英国のように食料品をゼロ税率(税率を0%)にすべきだろう。

野田内閣は“上から目線”で1%税率を上げると2.5兆円税収が増えると皮算用ばかりしていると、慶大教授の金子勝氏は日刊ゲンダイに書いています。

2012年2月25日土曜日

リーダーの必要要件

 産経新聞が実施したネット調査では、リーダーの必要条件の81%の人が「決断力」を選びました。

 以下、表のとおりです。これで、各項目を10点満点にして採点したらどうなるでしょう。ただし各項目の1位は10点で、10位は1点です。すべての項目で1位ですと100点になります。

 試みにわたしが行いますと、1位小沢82点、2位安76点、3位谷垣62点、4位前原54点となりました。


2012年2月24日金曜日

理想的なリーダーは誰か

 産経新聞がネットで「理想的なリーダーは誰か」と世論調査を行いました。1033人からの回答に基づいた結果は次のとおりでした。調査では、国政にはより強いリーダーシップが必要と92%の人が答えました。

 16人のうち、8人が鬼籍に入っています。小泉氏がいまだに入っているのも不思議な気がします。ビートたけし、所ジョージ、落合博満が入っているのも不思議です。選ぶ基準が何もないように思います。

 リーダーにしたくない中に現職首相の野田氏が入っているのががっかりします。

 この種のアンケート調査は、愚にもつかないことが多いのですが、現役の国会議員が入っていないのは、これからの日本の政治を考えると寂しいかぎりです。


2012年2月23日木曜日

勝と西郷

 明治維新で重要な役割を果たしたのがこの二人です。西郷は倒幕方で、勝は幕府方で江戸城明け渡しなどで大事な役回りを果たしました。わたしの孫には、勝海舟の幼名の麟太郎を名づけました。

2人が最初に出会ったのは、元治元(1864)9月、大坂の海舟の宿を西郷が訪ねたときのことです。西郷はすぐに勝の器量に心服し、国許の大久保一蔵(利通)にあてて「ひどくほれ申候」と手紙を書いています。数えで勝は42歳、西郷は37歳でした。西郷は大久保に向かって、勝は実に驚き入る人物、どれだけ智略があるやら底知れぬ英雄肌合いの人と称揚しています。

江戸城明け渡し交渉で得をしたのは勝だったような気がすると、東大教授の山内昌之氏は産経新聞の「幕末から学ぶ現在」で書いています。以下、山内氏の文章です。

勝はこれを生涯、西郷の徳としたのかもしれません。不遇になった西郷の晩年や死後の遺族に対する勝の好意には、全然無理なところがありません。

とにかく、2人は俗にいう「ウマが合った」のでしょう。

勝は本当に西郷を好きだったようです。西郷が城山で自刃した明治10(1877)年にすぐ追悼集『亡友帖』の作成にとりかかり、翌年に発行しています。まだ西郷を逆賊扱いする気分が強いときのことです。勝は遠慮解釈せずに追悼集を出しましたが、この胆力には驚くほかありません。

明治12年には西郷の記念碑建立を思いたち、勝が管理する徳川家の屋敷のあった木下川(現葛飾区)の浄光寺に留魂碑を建ててしまいました。

この碑の表面は西郷が沖永良部島に流罪になったときの詩で、勝が裏面に彫らせた文章のなかに西郷を思う有名な個所があります。

  嗚呼君能知我 而知君亦莫若我

  (ああ君はよく我を知れり、しかして君を知るまた我にしくはなし)

勝の西郷への律義さはまだ続き、伊藤博文などに働きかけて嫡子の西郷寅太郎を参内させ、海外留学に明治天皇の手許金を下賜させました。勝は寅太郎の婚礼にも出席し、西郷の未亡人の糸子とも会って愉快な句を詠んでいます。

西郷の後家とはなすや夢のあと

明治31年師走に上野の西郷銅像の除幕式に出たあと、年が明けてなもなく1カ月たらずで海舟も西郷のもとに旅立ちました。