2012年10月19日金曜日

原田泰氏の震災復興欺瞞の構図(32)


前日からの続きです。
「関東大震災で負債の処理は失敗だったが、インフラの再建は成功だった。後藤新平内務大臣は、帝都復興院を設立して、大規模な幹線道路、公園を整備して火災を防ぐ、交通の利便を高め、都市の威容を整えようとした。後藤案は縮小されたが、昭和通り、第一京浜、靖国通り、永代通り、晴海通り、八重州通り、行幸通り、本郷通り、日比谷通り等が作られ、橋梁、公園なども整備された。後藤の帝都復興事業によって、東京は江戸ではなく、東京になったと言っても良い。

この復興資金は、多くが公債で賄われた。現在の東京がこれらの道路で機能していることを考えれば、投資効果はきわめて高かったと考えられるだろう。

帝都復興院は東京のエリードが東京の復興を考えた組織であって、他地域の復興を考える組織ではなかった。

阪神淡路大震災を契機として個人の住宅の被災に対しても援助がなされるようになった。被災者生活支援法によって全壊世帯に最高300万円(規定当初は100万円)を支給する制度も創設された。

被災者の短期的支援のために建てられる仮設住宅が、大量に建設されるようになったのも阪神淡路大地震以来である。しかし、前に述べたように、仮設住宅のコストは、寒冷地仕様だと一戸30平方メートルで500万円かかる。コスト高で効果の小さい政策である」

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