2012年7月3日火曜日

ジョン・ウェインはなぜ死んだか(7)

広瀬隆氏の標題の本を参照ください。
ネバダ、ユタ、アリゾナの3州では、薄気味の悪い事件が、ここかしこで風の便りに乗って聞かれる時期に突入していました。
“ 汚れた雲が通ったあと、髪がごっそり抜け落ちた”
“ 肌に奇妙な日焼けができた”
“ 家畜が500頭死んだ”
“ いや、うちでは羊が1500頭死んだ”
“ 生まれた子羊は、どれも脚が異様に短かった”
“ 子供たちがつぎつぎと白血病にかかっている”
“ セント・ジョージで目のない赤ちゃんが生まれた”
“ ネバダでも、目のない赤ちゃんが生まれた”
“ 井戸水がホコリをかぶったように汚れている”
“ うちの女房がまた流産した”
“ 子供たちの甲状腺異常が増えている”
“ ピケットの店が癌のため繁盛している”
これらはすべて単なる伝聞でなく、事実起こったことだった。

1958年をもって、ネバダの大気核実験シリーズーーB期間――は一応完了し、そのあとは、3年後の1961年からはじまる地下核実験の新時代に突入した。

セント・ジョージ住民を中心とする、実に1200人近い人びとが立ち上がり、訴訟を起こしている。
これらの白血病は核実験によるものだと思うかとの質問に対して、ライオン博士は答えた。
それが、私の引き出し得る唯一の結論だ。データを見つめれば、それが明らかになってくる。
大変な数である。たとえば、ユタ州南西部のモルモン教徒の男性では、白血病の発生率が通常の370パーセントにも達している。女性では、甲状腺癌が、やはり300パーセント近い発生率となっている。
と、それぞれの癌について、異常な増加を学問的に明らかにしはじめた。
マスコミ界の動きも活発で、この訴訟が世論を動かしはじめた。
これを並行して、元軍人による過去の内部告発が続いている。

ポール・クーパーの死と、遺されたナンシー未亡人の反骨精神は、消えなかった。
これら映画人、住民、軍人の三者とも、国家を訴えている被害者は、いま進行中の病気と闘いながら、同時に、裁判とも闘わなければならない。

「私の住むパロワンでは、癌患者の出なかった家は、おそらく一軒もないでしょう。けれど、私たちはみな、互いに助け合ってきました。癌にかかった人たちが、互いに看病し合ってきたのです」
スーザン・ヘイワードに代って、息子のティム・バーカーは語ります。
「私は知りたい」と。
原爆実験が母を殺したかどうかを、私は知りたいのだ。

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