2012年4月24日火曜日

佐高信の「原発文化人50人斬り」(4)

 佐高氏は、さらに中曽根について触れています。
「河野一郎は、中曽根の派閥親分だった。この親分は子分の中曽根のことを『藪枯らし』と名づけていた。藪枯らしは藪をおおって他の植物を枯らしてしまうので別名『びんぼうかずら』という。つまり、他の者を踏みつけにして自分だけが生き残る奴だと中曽根は河野から見られていたわけである。枯らされた人間はたくさんいるが、その一人がリクルート事件で逮捕された藤波孝生だろう。    
藤波は中曽根内閣の官房長官であり、腹心だった。
控へ目に生くる幸せ根深汁
と詠んだ藤波を中曽根は切り捨て、自分だけは生き延びた。
『私が静岡高校時代から、唯一尊敬しているのはヒトラーだ』
1983220日号の『サンデー毎日』で、こう言い切っている中曽根は、37歳の時、『朝日新聞』の群馬版で、記者のインタビューに次のように答えている。
人口問題をどうするという質問に対し、
『原子力だ。15年後には原子力エネルギーを完全に解放制御できるから、7時間労働で1億人が食える』
『東日本大震災復興構想会議』とやらの特別顧問に就任した梅原猛が,『週刊朝日』の201156日、13日合併号で、こんなことを言っている。
『私の予言はいつも当たりすぎるくらい当たるんです。旧ソ連の社会主義崩壊も、アメリカのイラク戦争の失敗も、強く批判していたら実際、そのとおりになりました。
原発についても、20年くらい前から批判してきました。アメリカのスリーマイル島や、旧ソ連のチェルノブイリの原発事故で、欧米では原発に対する風向きが変わっていたのに、日本政府や電力会社は『安全だ』と言い続けてきました。私は『安全である保証はない。原発は危険性があるから、できるだけ早く止めて、太陽光や風力などの自然エネルギーに変えるべきだ』と言ってきました。
私は梅原を『原発推進派』と思っていたが、当人は、とりわけ最近、『反対派』を自負しているらしい。
チェルノブイリ大事後の1986年夏の時点でもバリバリの推進派だった。『原子力文化』という雑誌の同年8月号では、こう言っている。
『ソビエトの事故などもあって、原子力に危険な一面があることは間違いないでしょうが、いま文明は二者択一を迫られていると思うんです。エネルギーを必要とする文明を捨てて低いエネルギーな文明に帰るか、それが不可能であるあるとしたら文明の未来は悲観的で、石油、石炭などの再生不可能なエネルギーを使い、資源はたちまちになくなり、そして自然破壊は大きくなる。だから大変アイロニカルな言い方ですが、自然の破壊を防いで、しかも今の文明を続けようとしたら、やはり原子力に頼るしかない』
梅原は原子力のパイオニア的政治家である中曽根康弘系の文化人だった。
天皇に近づいて延暦寺や東寺を建て、それぞれの教団の基礎を作った最澄や空海より、無名の破戒僧として人生を徹底させた親鸞の生き方を私の理想としていた。しかし、(京都市立芸術大学の)学長となって、親鸞の生き方より、空海の生き方を学ばなくてはならぬ。
どうようにして学者や評論家が政治家に取り込まれていくか、梅原の場合は興味深い典型例だろう」

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