2012年2月20日月曜日

歴代天皇に学ぶ責任感

 清湖口敏産経新聞論説委員は「言のついでに」の欄で次のように寄稿しています。

「東日本大震災や原発事故からの復興も遅れに遅れ、被災地は厳冬期を迎えています。

柳田国男は明治29年の三陸大津波から24年を経た被災地の様子を『二十五箇年後』という小品につづっています。『それよりも食うが大事だと、ずんずん浜辺近く出た者は、漁業にも商売にも大きな便宜を得ている』『一人一人の不幸を度外に置けば、疵はすでにまったく癒えている』誤解を生じやすい一文だがこれは、津波への備えは大切だとしても、現実には生業を含めた日常生活がちゃんと成り立たないことには復興もかなわないーとの示唆にも読みとれる。理想と現実と二つながら追求し国民の生活を安定させるのが為政者の責任というものだろう」とまさに正論です。

古くは、元正天皇は地震などに際し、天子の不徳が天災をもたらすとの天譴思想があったにせよ、「朕が徳菲薄にして民を導くこと明らかならず」(続日本紀/新日本古典体系)と、わが身を反省し恥じました。次の聖武天皇も「万方罪有らず予一人に在り」()と、全ては私の責任だと自らを責めています。

野田佳彦首相は財務副大臣だったとき、財務省の公報誌の巻頭言で前述の「民のかまど」の逸話を引き、「求められているのは、本気で民のかまどを思う政治」「苦しい状況にある今こそ、知恵をしぼり、税金の使い方を工夫し」と書きました。

さて首相となった今はー。議員定数削減など自らの身を削る施策は棚上げにし増税路線をひた走っています。民の窮乏が見えていないのだと清湖口氏は書いています。

 虎は死して皮を残す。辞してその名が仰がれるような政治家の出現は一体いつのことだろうと。清湖口氏も天を仰いでいます。

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