2012年1月3日火曜日

佐野眞一の津波と原発(37)

 あるとき、元双葉町町議で原発反対の立場だった丸添富二は、議会で田中に「原発を推進すると言っているが、こんなことはいつまでもつづかない」という質問をしたことがありました。

「すると、田中町長は烈火のごとく怒ったんです。要するに『オレを誰だと思っているのか。オレに意見するとは何事か』ということなんです。彼の周りには土建屋の取り巻きが大勢いて、彼が社長をやっている田中建設の三階は朝も夜もいつも明かりがついていた。公共工事の割り込みや、密談に使われていたんです。それどころか、町の幹部を呼びつけ、重要事項の決定までそこでやっていた」

佐野氏は、次のように書いています。「福島第一原発を大熊町、双葉町に誘致した東電社長の木川田一隆にしろ、福島県知事の木村守江にしろ、原発は日本の経済発展の原動力になる、原発は貧しい地域を確実に豊かにする、という夢と確信を抱いて原発建設計画に邁進したはずである。

だが、いざそれが町レベルの話になってくると、どうしてこうも寂しい話になってしまうのだろう。

田中清太郎が下水道工事不正支出疑惑問題が発覚して任期途中で辞職したあと、昭和60(1985)年から平成17(2005)年まで420年双葉町の町長をつとめた岩本忠夫は、原発反対派から原発推進派に寝返ったと言われる人物である。

岩本は双葉町の酒屋の息子で、町会議員を一期つとめ、その後、社会党から県議選に立ち当選したが、そのあと3回落選して『政治からは一切手を引く』と家族に約束して家業の酒屋に戻った。

ところが、昭和60(1985)年に前町長の下水道工事不正支出疑惑が持ち上がったため、町長選に出馬して当選した。『長女が原発に勤める東京電力社員と結婚したので、社会党も昨年暮れに離党しました』と語っている」。

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