2011年6月30日木曜日

大震災への寄稿(1)

 外交評論家の岡本行夫氏が、5月16日の産経新聞に、寄稿していました。なかなか鋭いところを突いています。

これによると「菅首相は、原発事故発生と同時に母校のOB名簿を繰って原子力学者を身の回りに集め、今や14名もの内閣参与が任命されている。使用済み核燃料プールを冷却するために、先ず自衛隊のヘリから少量の水を散布し、次にデモ鎮圧用の警察放水車、次に自衛隊放水車、次に東京消防放水車と、効果の少ない順番に、思いつきのように出勤させ、冷却に数日の遅れを生じさせた。この間、使用済み核燃料が露出し、放射線が大量に外に出た。すべてを自分自身でやろうとするからだ」と辛らつですが、そのとおりです。ヘリから水を散水するなどは、植木に水をかけるのであれば、多少の効果はあるでしょうが、原子炉を冷やすためにはまったく効果がないことは、こどもでも分かります。これで、菅氏が原子力の専門家でないことが、チョンバレです。

さらに、岡本氏は書きます。「思いつき政治で、すでに普天間基地の移設は不可能になった。一方的にインド洋での海上自衛隊の給油活動を止め、代償としてアフガンニスタンに4000億円の巨費を支出する羽目になった。これも国民には、知らされていませんでした。

実現の可能性も検証せずに「2020年までの温室効果ガス25%削減」を発表するスタンドプレーもやった。

そして、唐突な浜岡原発の停止。当事者である中部電力の意見も聞かずに先ず国民向けに記者会見する。その手法は人気とりである。決定理由は30年内に87%の確率でM8の地震が来るからと。これは、地震研究家が根拠が乏しいとして、使用することをやめている数字です。

総理大臣の「大地震確実宣言」で、世界の観光客は危険な日本を避けるようになります。「権力を安易に使い過ぎる」と岡本氏は指摘していますが、これに対して菅氏および側近は回答を出してほしいものです。

2011年6月29日水曜日

原子力安全・保安院の西山氏の路上キッス

 原発事故のスポークスマンとしてすっかり有名人になった経産省の西山英彦審議官(54)20代後半の経産省美人職員と不倫していたことを、623日発売の週刊新潮(630日号)がスッパ抜いています。西山氏と女性は1年前から特別な関係にあり、最近は省内でも噂になっていたらしいということです。

617日、ホテルオークラのバーで閉店過ぎまで飲んだ後、米国大使館近くの細い坂道で2度、3度とキスしていたと報じています。

記事は不倫のデイテールがあまりに詳しく、読む方が恥ずかしくなってしまうと書かれています。ラブホテル代をケチって、カラオケのVIPルームでセックスしていたそうです。〈セックスする際に、上の肌着を脱ぐと、カツラが引っ掛けてズレテしまう。そのため、パンツを脱いでも上は着たまま、しちゃうそうです〉(週刊新潮)

西山氏は、長女が東電に入社していたことがバレて、原発スポークスマンとしての適格性が問われています。

今回の記事に対しても、「こういう記事が出ること自体、私のいたらなさを示していまして、深く反省し、姿勢を正してまいりたいと思っています」と答えています。

この時期、こんな醜聞は信じられません。そんな人物が原発の収束見通しも立っていないのに浮名を流し、何らかの責任を取るのかと思ったら、例の無表情な顔で、「職務に全力あたりたいと思っています」と言ってのけました。

ノンフィクション作家の奥野修司氏は、「女性と遊ぶのは個人の自由だから、批判する気はありません。ただ、自分の立場と時期を考えるべきでしょう。そんな重要な役目の人が下半身の問題を暴かれるとは危機管理意識がなさすぎる。よくある官僚の浮気話とは重大さが全然違うのです。原発事故の深刻さを考えれば、こんな脇の甘い役人が何を報告したって国民はもとより、世界は信用しない」と厳しく指摘しています。

海江田大臣は厳重注意したそうですが、それで終わらせることがおかしく、今なお放射能がタレ流され、福島県はほとんどが死の町になっている現実と責任をよおーく見すえるべきであると日刊ゲンダイは書いています。

西山氏は、さすがにスポークスマンは無理と判断したのか、更迭されました。次官候補と言われていたのが、女性で失敗しました。

2011年6月28日火曜日

中国一の金持ちの村―江蘇省華西村(2)

 華西村の成功は、50年以上も党書記などで村に君臨してきた呉仁宝氏(82)の指導者によるところが大きいと云われています。

呉氏は「工業を始めたことが今日の成功につながった」と振り返っています。貢献度に応じて利益が分配されます。収入の8割は、村への投資が義務づけられており、個人が使う場合は許可を得なければなりません。

花壇の花を勝手に摘めば罰金1万円、賭博をしたら罰金100万円など、独自の厳しい規則がいくつもあるようです。

華西村の村民はもともと1500人あまりしかいませんでした。ここ数年は、周辺の20村を吸収し戸籍人口が約3万人に膨らみました。新住民には旧住民のような手厚い福利厚生はありません。

河南省出身の出稼ぎ労働者は「同じ仕事をしているのに、こっちは住む家も狭く、収入は地元の人の3分の1にもならない。でも故郷の暮らしよりはずっといいので帰りたくない」と複雑な心境を口にしました。出稼ぎ労働者はみな、華西村の戸籍取得を夢みています。数年前までは、村民と結婚すれば簡単に戸籍を取得できましたが、今は不可能に近いということです。

2011年6月27日月曜日

中国一の金持ちの村―江蘇省華西村(1)

 揚子江の下流、江蘇省南部に「中国一お金持ちの村」と呼ばれる集落があります。改革・開放政策の波に乗り、稲作中心の農村から一大企業集団に変身して成功を収めたのが華西村です。

都市と農村の経済格差が広がる中国の中で、異質の存在となっている豊かな農村です。そこで生まれている旧住民と新住民の格差は、中国社会が抱える構造的な矛盾を映し出していました。

緑の中を真新しい舗装道路が走り、欧州風の別荘と見間違うような3階建ての住宅が整然と並んでいます。村の中心部はホテルや飲食店が入った高層ビルがそびえたっていました。

「別荘のような建物はすべて村民の住宅です。平均面積は400平方㍍以上、ほとんどがベンツやBMWなどの高級車を複数所有しています」と案内人は説明しました。ここでは、独自の年金医療保険制度があり、大学までの教育費、年一回の海外旅行の費用も村の負担となっています。

村の傘下には約60の企業があります。鉄鋼、紡績、観光が最大の収入源で、今年から新たに海運業にも参入し、農業収入は1%以下です。2008年の総売り上げは約6500億円で、村民の平均所得は農民の全国平均の40倍以上にもなるといいます。