2011年11月25日金曜日

佐野眞一の津波と原発(2)

 佐野氏は、陸前高田市の半島部にある広田地区に行き、広田湾漁業協同組合長の佐々木戝(64)に話を聞きます。

「今回の津波は明治(29)や昭和(8)の大津波より、はるかに大きかったみたいです。この地区では10名がなくなりました。まあ、それでも被害の割には犠牲者が少なかったともいえますが。この地区は、普段から避難訓練していますからね。

グラッときたときに、私もすぐに津波を意識しましたよ。最初の揺れは午後247分でした。津波が襲ってきたのは、その30分後の317分です。地震がおさまってすぐ、93歳のおふくろが住んでいる家まで駆けていきました。いまの格好はそのときのままです。

おふくろを高台の方に避難させました。

ある程度避難を終えた頃、ドーンという音とともに第一波がきた。いやあ、すごい音がした。

あの津波で広田湾の漁業は、もうしばらくダメだな。アワビもウニも全滅だ。陸前高田だけで、アワビの稚貝が120万個死んだ。ワカメ、ホタテ、カキ、ホヤの養殖も壊滅だ。ぜーんぶ、やられた。船も津波にもっていかれちまったし。

地震の予兆?そういえばヘンなことがあったなあ。この近くの首崎漁場の話なんだけど、2月頃、急にマイワシが獲れるようになったんだと。なんと1日に100トンの水揚げだった。それが1週間も続いた。大儲けです」

「吉村昭の三陸海岸大津波」でも書きましたが、地震前には、魚が群れをなして海岸に来るようです。やはり今回も来ました。

佐々木氏は、さらに「このあたりの防潮堤の高さは6メートルあります。昭和35年のチリ地震津波の後につくられました。それでも、今回の津波はその防潮堤を軽々と越えてしまったんです。わが家は海抜20メートルの場所に建っていますが、1階は水浸しになってしまいました」と語っています。

大船渡の漁村センター(避難所)の敷地内には、「津波記念碑」という大きな石碑が建っています。そこには過去の津波がこの村を襲った被害状況が刻まれています。

〈地震があったら津波の用心

津波が来たら高い所へ

明治29615

被害者 457

被害戸数 228

昭和833

被害者 81

被害戸数 222戸〉

多分、この石碑も立派なものでしょうが、人間の悲しさで、すぐに忘れてしまいます。東北は、20年に1回、津波が襲います。何よりもまず津波の避難の仕方を教えるべきでしょう。

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