2011年9月14日水曜日

いなむらの火(2)

 実際の浜口儀兵衛と物語の五兵衛の間にはいくつかの事実の相違があることが論じられています。

村人はこの津波の前日に安政東海地震による揺れと津波を経験しており、安政南海地震の強い揺れを経験したときは、誰もが津波の来襲を予測していました。また儀兵衛は当時35歳で老人ではなく、その家も低地にあって、高台ではなかったといいます。

実在の儀兵衛は、物語の五兵衛より、もっと偉く、広村と銚子で醤油の醸造業を営み、財をなしていた彼は、その私財を広村を守る津波防波堤の造営費に充てました。大災害直後の疲弊した村人たちに、労賃収入の機会を与え、自分の村を人に頼ることなく実力で守るという精神を人々に教えました。

このことは、今回の東北大震災でも実行すべきではないでしょうか。ボランテイアによる奉仕に頼ることではなく、地元の人たちに日当を払うことによって、復興を早めるべきでしょう。次の総理になる人は、少なくとも土日は東北の被災地で過ごしてほしいものです。

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