2011年9月13日火曜日

いなむらの火(1)

 安政元(1854)115日の夕刻に起きた安政南海地震の津波で紀伊国広村(現和歌山県広川町)の浜口儀兵衛(後年、梧陵と号す)が村人を救う物語は、小泉八雲、すなわちラフカディオ・ハーンの小説「生き神様」のなかに、浜口五兵衛の話として鮮やかに描かれています。

この物語は、同郷の教員、中井常蔵によって、「稲むらの火」として子供向けに書き改められ、戦前の小学校5年生の国語教科書に載っていたそうです。

高台の家にいた庄屋の五兵衛が「これは、ただ事でない」とつぶやくところから始まります。長いゆったりとした地震の異常な揺れ方に気づいた五兵衛は家の外に出ました。すると海の水が沖へ沖へと引いているのが見えました。大津波がやってくるに違いない。

五兵衛は豊年祭りの準備中の村人に知らせるため、収穫したての「稲むら」に火をつけました。当時は、収穫された稲に火をつけるなどすれば、打ち首です。五兵衛はそれでも稲むらに火をつけたのです。村人たちは庄屋の家が火事になったと思って、高台の庄屋の家に駆けてきました。大津波が村を襲ったのはその直後のことでした。村人は五兵衛の機転で救われたという話です。

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