2011年5月26日木曜日

モナリザの遺骨調査(6)

 レオナルドは通常、描く絵について大量のスケッチやメモを残しているが、この肖像画については晩年まで離さず持ち続けていたにも関わらず、何の記録も残していません。

絵を描いた1503年当時、リザは24歳でしたが、描かれている人物はもっと年齢が高く見えます。 フランチェスコの妻と書き記したヴァザーリは、1511年の生まれであり、レオナルドにもリザにも会ったことはありませんでした。また『モナ・リザ』を実際に見てはいないと思われます。

レオナルド存命中の1517年にクルーの館を訪れた人物(ルイジ・ダラゴーナ枢機卿の秘書アントニオ・デ・ベアーティス)が、ジュリアーノ・デ・メディチの依頼によって描かれた「フィレンツェの婦人」の肖像を見たことを記述しています。レオナルドは「フィレンツェの貴婦人の役目は、偉大なジュリアーノ・デ・メディチの死と共に終わった」と述べたといいます。

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