2011年5月11日水曜日

石巻市大川小学校の悲劇(3)

 保護者や住民らの証言では、児童は11日午後2時46分の地震直後、教諭らの誘導で校舎から校庭へ移動したということです。  

  ヘルメット姿や上履きのままの子もいました。  

  保護者の迎えの車が5、6台来ており、「早く帰りたい」と、泣きながら母親にしがみつく子もいました。  

  同49分、大津波警報が出ました。教諭らは校庭で対応を検討しました。  

  校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもありました。学校の南側の裏山は急斜面で足場が悪い。  

  そうした状況から、約200メートル西側にある新北上大橋のたもとを目指すことになりました。  

  そこは周囲の堤防より小高くなっていました。市の防災マニュアルは、残念ながら、津波対策を「高台に上る」とだけ記しており、 具体的な避難場所の選択は各校に委ねられていました。     

  午後3時10分過ぎ、現場に居合わせた男性(70)は、児童らが列を作って校庭から歩き出すのを目撃しています。  

  「教諭に先導され、おびえた様子で目の前を通り過ぎた」  

  その直後でした。「ゴーッ」とすさまじい音がしました。70歳の男性は児童らとは逆方向に走り出しました。  

  堤防を乗り越えて北上川からあふれ出した巨大な波が、学校を含む地区全体に襲いかかりました。  

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