2011年1月26日水曜日

平城京その後(2)

 平城京は、現在まで町並を残している平安京とちがって、古図はまったくなく、関係文献もはるかに乏しいといわれています。

 平城宮址の重要性を知って、その保存と顕彰とに家財を傾けた人がいます。病んで失明してもなお志を曲げなかった奈良の植木商、棚田嘉十郎氏らのよびかけに応じて篤志家たちが、約一平方キロの平城宮址の1割2分にあたる約3万6000坪を国に寄付し、文部省は代価を支払うことなく入手したこの国有地を中心に、その後1928(昭和3)年にかけて平城宮址全域の6割ばかりを史跡と指定しました。

 東大寺の大仏は、1692(元禄5)年に僧公慶が復興しました。大仏殿は1709(宝永6)年に将軍綱吉の援助を受けて再建しました。これらの努力があって、今日、わたしたちは見ることができます。平城遷都で随分、景色が変わりましたが、平城宮祉に寝転がると奈良時代と変わらぬ景色が見えてきます。東に若草山、西に生駒山。光明子の乗った牛車の音が聞こえそうです。草茫々の平城宮祉が好きでした。おかしな建物が建つとイメージが崩れます。

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