2010年6月30日水曜日

平和な国で日本3位に浮上

「世界平和度指数」が6月8日に発表されました。これはシンクタンクと英経済紙エコノミスト系の調査機関が世界の149カ国を対象に、外国との紛争や国内の殺人事件数、テロの危険性、人権保護の水準、軍事費など23項目の要素を数値化して、07年から発表しているものです。

 この結果、1位はニュージランドで、2位がアイスランド、3位が日本で前年から4つ順位を上げました。日本の減点材料は、北朝鮮や中国との緊張関係です。一方で暴力事件が少なく、テロの危険性も極めて低いということで、治安の良さが評価されました。4位はオーストリア、5位はノルウエー、6位はアイルランド、7位はデンマークとルクセンブルグ、9位はフィンランド、10位はスウェーデンでした。上位10カ国は、日本とニュージランド以外は北欧を中心とした欧州の国々でした。寒いところの方があまり犯罪を起こさないのでしょうか。

 最下位(149位)は、調査が始まって以来、4年連続でイラクでした。北朝鮮は139位、米国は85位、中国はチベット問題などで減点されたのでしょうか、80位でした。隣国の韓国は、北朝鮮と接しているためか、43位でした。 今、サッカーW杯で世界中が騒いでいますが、「平和な国」ベストテンの中にサッカーの強い国は入っていません。サッカーの強い国は、どうも熱くなりやすく、治安の良さには逆行するようです。是非、日本は例外になって欲しいものです。

2010年6月29日火曜日

サッカーW杯の占い師の予想

日本がデンマークを3対1で破り、決勝トーナメントに進出が決まり、日本列島を興奮の渦に巻き込みました。アジアから、日本と韓国が決勝トーナメントに進出しましたが、韓国はウルグアイに負けて日本だけが残っています。わたしの予想では、パラグアイに勝って、次がスペインーポルトガルの勝者と対戦しますが、どちらもまったく日本が勝てない相手ではありませんので、ベスト4までの可能性はあるように思います。これを勝ち抜くには、ドイツ(イングランドにドイツが勝つと予想)―アルゼンチン(メキシコにアルゼンチンが勝つと予想)の勝者に勝たねばなりませんが、これは至難の技のように思います。決勝は、ブラジルとドイツのような気がしています。

さて、わたしの予想などは、箸にも棒にもかかりませんが、2007年12月20日に有名な占い師が今回のW杯を透視で予想していました。4位までの予想でしたが、1位ブラジル、2位ドイツ、3位フランス、4位イングランドでした。フランスは、すでに予選リーグで敗退しています。ドイツとイングランドは、決勝リーグの第1回戦で当たります。もし、ドイツとブラジルが、決勝まで勝ち進み、ブラジルが優勝すると、1位と2位は、予想が的中したことになりますが、はたしてどうでしょうか。3位はすでにはずれていますし、4位もはずれることになります。こういう占いは、半分、当たれば良しとすべきでしょうか。

2010年6月28日月曜日

消費税率のアップ

菅首相が、消費税率を10%に上げることを検討したいと言った途端、支持率が数%、下がりました。どうもこのひとは、中小企業の経営者のことが分かっていないようです。ただ単に消費者がモノを買って払う消費税が5%から10%になるくらいにしか考えていないようです。1000円買ってそのうち50 円が消費税で、10%になると50円から100円になるので、まあ大したことはないと思っている節があります。完璧に財務官僚に乗せられています。こういう中途半端な頭の構造の人は、口の巧い人にコロッと騙されます。

日本の企業の約99%が中小の零細企業です。いわゆる下請け企業が多いのです。消費税率アップで、どれだけこれら零細企業の経営者が苦しむか。消費税というのは、黒字、赤字に関係なく、支払わねばなりません。当然、売り上げが上がった時に消費税分を銀行にプールしていればいいではないかということですが、そんなに豊かに回る資金を持っている零細企業はありません。借金するよりは、消費税分を使ってしまいます。けっして、遊興に使っているわけではありません。しかし、期末になると消費税を納めねばなりません。遅くなると延滞税を取られます。必死になって集めてきてやっと納めます。払えずにクビを括る人もいます。

それが、10%になったらどうなるでしょう。経団連などは、18% が、適当とか言っていますがとんでもない話です。何も知らない主婦やコメンテーターは、買うのを5%控えたらいい、ダイエットにもいい、とかバカな発言をしています。

 零細企業、中小企業は、さあ消費税が10%になったからといって、5%アップで納品したら、5%ぐらいコストダウンして協力しろと言われます。これまで1000円のものは、1050円で納入しないといけないのですが、1000円のままです。そして、期末が来ます。税務署からは、10%の消費税を納入するように言って来ますが、5%でも必死にかき集めたものが、さらに5%余計に集めて来ないといけません。

こういう現実が、菅首相をはじめとする政治家、コメンテーターは分かっていません。消費税が10%になると、さらに自殺者、倒産が増えます。日本は、人口10万人当たりの自殺者でも先進国のなかでワーストワンです。職業別では、自営業・家族従事者が3202人で全体の9.7%を占めています。自殺ラッシュがスタートしたのが、1998年で前年の97年に消費税率が3%から5%に引き上げられた年でした。2%上がっただけでも自殺者が急増にしたのです。これが、5%から10%になったら、どういう悲劇が待ち受けているのでしょう。 

政府は、消費税アップがどういう影響が出るのか、中小企業のためにどうしないといけないのか、などを十分に調査し、対応し、監視する必要があります。これは、感覚的な簡単な問題ではありません。

2010年6月27日日曜日

iPad「青色光」が心と体を蝕む


iPadは、4月3日にアメリカで発売後、その販売台数は2カ月で200万台を突破し、日本でも5月28日から発売しました。好調に販売を伸ばしており、出版業界、印刷業界、製紙業界に暗い影を落としています。

“ 好事魔多し”かも知れませんが、アメリカではiPadのユーザーに健康上の問題が出ているようです。週刊文春の7月1日号によりますと睡眠との関係に触れています。米紙ロサンジェルス・タイムズによりますと、iPadをベッドで読むと睡眠習慣に影響する可能性があると報じています。就寝前にiPadを使えば、その光で脳が刺激されて、眠りにつくのが遅くなる可能性があり、体内時計に影響するかもしれないと書いています。

要は、iPadはバックライトにLEDを使用していますが、iPadを見るということは、LEDライトを目に直接当てるのと同じ。iPadは、白色光の中でも青色を強くしてあり、青色は、脳を覚醒させる働きがあります。また、iPadはタッチパネルを指で操作しているうちに目に近づけやすいということなどを指摘されています。

早稲田大学の柴田重信教授は次の3つの危険性を指摘しています。
①覚醒効果
夜、寝る前に使うと、光が明る過ぎるので、頭が冴えて眠りにくい。
②睡眠物質の抑制
人間は、暗くなると、脳の松果体からメラトニンという睡眠物質が分泌されて眠くなりますが、夜間に強い光を浴びるとメラトニンの生産が抑制されるうえに、分泌も悪くなります。
③体内時計が遅れる。
その症状がひどくなると、心身のあらゆる病気の原因になる

 ということで、iPadは夜11時以降の使用はやめること、とくにこどもには夜間は使わせない方がいいようです。

いずれにしろ大きなデイスプレイでいい色を出そうとすると明るくします。そうすると、当然、目に悪い、睡眠不足が生じて、体に悪いということになるようです。わたしは、小説などは、布団に入って、朝まで読むことがあるのですが、そういう使い方は、iPadの場合は、もっとも悪いようです。

2010年6月26日土曜日

東大・京大 現役合格率日本一

こう書くと、日本一は、何県と思われるでしょうか。

多くの人が東京、もしくは、灘高のある兵庫、あるいは、横浜、埼玉あたりを想像されるでしょうが、実は、奈良県なのです。表に示しますよう18.55で、断トツの合格率1位です。2位が京都の10.76ですので、大きく引き離しています。ベスト10位を挙げます。

平成22年 東大・京大現役合格率
(卒業生1000人当たりの合格者数)
               現役合格者数
順 都府県  合格率 合計 東大 京大
1  奈良    18.55 228 48 180
2  京都 10.76 239 32 207
3  兵庫 7.80 357 131 226
4  東京 7.46 724 670 54
5  和歌山 6.15 58 16 42
6  富山 5.60 50 34 16
7  大阪 5.28 356 36 320
8  石川 4.65 48 20 28
9  広島 4.64 111 45 66
10 福井 4.00 30 14 16

 なぜ合格率が高いかといえば、奈良には、東大寺学園、西大和学園など有名私立高もありますが、奈良高など公立高校のレベルも高いのです。平成22年の京大の合格者数は2940人ですが、東大寺学園、西大和学園、奈良高の3校の合格者は、計196人で、京大の合格者数の15分の1を占めています。

神奈川なども高そうに思うのですが、13位でした。また東京周辺の埼玉、千葉なども高いかと思いましたが、20位以内に入っていません。よく教育県といわれる長野、群馬も20位以内に入っていません。わたしの出身の福岡県も20位以内に入っていないのは、残念です。
今年の東大寺学園の中高を合わせた県内からの通学者は447人ですが、それに対して、大阪府は500人、京都府は195人、兵庫県24人、その他40人で、県内の通学者は合計1206人の半分にもなりません。

名古屋から通学する生徒もいるのですが、朝5時40分に起床して、6時台の新幹線に乗って、京都経由で通います。こういう生徒は、精神的にも鍛えられて強いそうです。説明をしておきますと、奈良市内というのは、奈良県の最北部にあります。

不動産屋に言わせますと、奈良は、東大・京大の現役合格率が日本一なために、最近では、教育熱心な家庭に大変人気があるそうです。しかし、今からの生徒も大変です。単なる受験のためのテクニックを教える勉強ではなく、創造性に富んだこどもたちを育ててくればと思いますが、世の教育者と自称するひとたちは、合格者の数に一喜一憂しているような感じがして、非常に残念です。これからの日本を再興するような気概のある人を育ててほしいものです。

2010年6月25日金曜日

読書術(16)

 轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の16話目、最終章です。
 

 人生の大目的をどう考える?

 古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトス(紀元前6世紀ごろ)は、「万物は流転する」という言葉で知られています。万物の「流転」を文字に定着させたものが書物であり、その書物を読む行為が、次なる流転を生みます。


 「流転」を生む行為とは、歴史を自分のものとして生きる行為であり、歴史に参加してゆく行為ではなかろうか。

 読書とは、歴史に参加することです。

 テレビは、タレントたちがワイワイ騒いでいるとしか思えない番組は、こちらの頭をからっぽにする。からっぽにすればするほど、面白い。受ける番組ということになるのです。「1億、総白痴化」と呼ばれたこともありました。

 テレビ局で優秀な人材は、ほとんど間違いなく読書家とも語っています。
 いいアイデアは、異なる分野から「盗む」しかありません。テレビのアイデアは、他のテレビ局ではなく、本から盗むのです。

 古代ギリシャで、神々は人間の右脳に語りかけてきたといいます。人びとが、神々の声によって行動していた時代もありました。


 そのような恐るべき厳粛な事実を、わたしたちは書物によって教えられてきました。ところが、「神々の声」は、文字と、そして書物の発明とともに消滅してしまいました。

 白川静氏の『字統』『字訓』『字通』によれば、『漢字 生い立ちとその背景』に、
ことばが、その数十万年に及ぶ生活を通じて生みだした最も大きな遺産は、神話であった。神話の時代には、神話が現実の根拠であり、現実の秩序を支える原理であった。人々は、神話の中に語られている原理に従って生活した。

 とあります。

 「読む」ことが「考える」ことになり、さらに「書く」ことになるのです。人間にとっては、「読む」「考える」「書く」ことこそが「万物」なのです。

 轡田氏は、「読んだふり」をしたり「読んだつもり」になったりしながら、いまも、これからも、書物の「生々流転」を楽しもうとしていると言います。


 そうすれば、「1000冊読破」なんて、たやすいことであり、読めば読むほど、「わからないこと」が増え
てゆく幸せにひたれるのであるとも書いています。

 iPadが普及すると図書館や本棚は、なくなるのかとふと思いました。しかし、わたしは、活字派のようで、書物の方が安心感があり、本棚の方が必要な書物をすぐに引っ張り出せます。iPadでも、書物ででも、できるだけ本を読みましょう。

 ただ、轡田氏とか、批評家の書物を読むと、推理小説や時代小説には、まったく触れられていません。わたしなどは、本は楽しければ本ではないと思っていますので、池波正太郎や、藤沢修平、司馬遼太郎、松本清張なども好んで読みます。これらの本は、どうなのでしょう。漢字・平仮名・カタカナの文を読むことによって、頭が活性化するという前提に立てば、こういった娯楽小説でもいいように思います。一度、轡田氏に確認してみたいと思います。

2010年6月24日木曜日

読書術(15)

 轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の15話目です。

 「焚書」の歴史が証明!「読書の力」

 民衆が自由に考えるようになれば、独裁の足元が揺らぐ。自由な思考を停止させるためには、自由な読書を禁じることだ。「考える力」を奪うには、本を奪い、読書を禁止しないと考えました。


 本を焼くシーンがとても印象的な映画として記憶に新しいのは、アメリカの作家レイ・ブラッドベリ原作の『華氏451度』です。

 消防隊員そっくりに見える姿は、じつは、「焚書隊員」でした。手にした消火器のような道具は、本を見つけたら、即座に焼却するための火炎放射器です。「本発見!」の報が入ると、「焚書隊員」は一斉に、消防車ならぬ「焚書車」に飛び乗って現場に急行し、家に踏み込んで本を焼いてしまいます。

 そして、一人の「焚書隊員」が、本を隠し持っていた女性と恋に落ちます。彼女によって、本の魅力に目覚めた男は、さあ・・・・。

 林の奥、雪の舞うなかで本を手に読書する「反逆者」たちの姿の、何という美しさ。ちなみに「華氏451度」というのは、紙が自然に発火する温度です。

 古くは中国の秦の始皇帝は、医薬・占い・農業関係以外の書物を焼きました。これを「焚書」といい、儒学者も生き埋めにしました。これを「坑儒」といいます。残酷なことをしたものです。

 池内紀氏は『本を焚く』(冬樹社ライブラリー)のなかで、
「万里の長城」を空間への壁とすると、焚書は時間への壁にあたる。ともに断固とした拒否である。異界の拒否、過去の拒否。書物は人間の記憶を代理する。それを消すとは記憶を消すこと。

 1日1ページでも本を読む人、読まない人
 焚書の歴史を逆の角度からとらえて、逆説的にいうならば、みずから読書を放棄し、読書に無関心でいる人間は、みずから思考を停止しようとしていることになります。自分を自分で奴隷化させているに等しい、ともいえそうです。

2010年6月23日水曜日

読書術(14)

 轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の14話目です。

 5章は、「1000冊読破」からの贈り物~もし、本がなかったら世の中はどうなる、です。

 2009年1月にアメリカ初の黒人大統領が誕生しました。当初は、暗殺されるのではないかなどと心配されましたが、今は、自然に馴染んでいるように思われます。

 ワシントンでの就任式で、宣誓のためオバマ大統領が手を置いた聖書は、かって奴隷解放のために闘い、南北戦争(1861~65年)に勝利して間もなく暗殺された第16代大統領リンカンが愛用したものでした。リンカン大統領を理想と仰ぐオバマ新大統領の、たっての希望によって国会図書館から借りだされたものでした。

 南北戦争は4年間もつづき、南北双方で、第2次世界大戦のときよりもはるかに多い計62万人の死者を出しました。アメリカを真っ二つに割ったこの恐るべき内戦によって、ともかくも奴隷は解放されました。

 轡田氏は、読書という視点から、この黒人奴隷の問題を考えたいと言っています。
 ワシントンが初代大統領に就任したのは、リンカンが第16代大統領になる71年前のことです。ワシントンの就任した翌年の1790年、初めての国勢調査がおこなわれました。アメリカの総人口はわずかに約393万人でした。このうち黒人が約76万人。そのうち約70万人が奴隷の身分でした(猿谷要『物語アメリカの歴史 超大国の行方』(中公新書)。70万人の奴隷を解放するために北と南で62万人が死んだということは、戦争の熾烈さとリンカンなどの志の高さを感じます。

 奴隷生活の中で、厳しく禁止されたのが、文字を覚えることと書物を手にすることでした。理由は、はっきりしていて、奴隷たちが文字を覚え、書物が読めるようになれば、奴隷制度反対の文書も読めるようになるし、自分たちのおかれている過酷な状況も思考をめぐらすようになると奴隷の所有者たちは考えたのです。

 アメリカ南部では、ことばのつづりを仲間に教えようとした奴隷が、農園の所有者によって縛り首にされることも一般的だったそうです(A・マングエル著『読書の歴史 あるいは読者の歴史』(原田範行訳、柏書房))。

 南北戦争による奴隷解放以前は、奴隷たちから書物を取り上げておくことが、奴隷支配の重要な手段でした。家畜のように、思考を停止させておきます。そのためには、書物を読ませません。これは、まことに恐るべき手段だったのです。

 さて、そのリンカン大統領自身の読書はどうだったのでしょうか。シェイクスピアが愛読書でした。後年の名演説は、その影響だといわれているほどです。南北戦争の激戦地ゲティスバーグでの戦死者追悼演説のなかの、最も有名な部分、人民の、人民による、人民のための政府がこの世から消え去ることはないだろう。
“and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.”

2010年6月21日月曜日

読書術(13)

 轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の13話目です。
 ガリレオといえば望遠鏡を製作して、はじめて天体を観測した人です。望遠鏡は、1608年に、オランダのH・リッペルズハイなる人物が特許を申請したらしい。その翌年にガリレオが自作の望遠鏡で月を観測しました。しかし、この時代から、特許をとるということをやっていたわけです。これには、かないません。

 望遠鏡が日本にもたらされたのは、1613(慶長18)年5月4日、肥前平戸に入港したイギリス船グローブ号の船長一行が、駿府に徳川家康を訪問したときの献上品のなかにあったのが最初といわれています。長さが一間ほどあったそうです。

 そして間もなく、望遠鏡は井原西鶴(1642~93)の傑作『好色一代男』に登場します。主人公、伊之助が19歳のとき、屋根にのぼって望遠鏡で、女性の行水をのぞき見します。発明から、「のぞき見」まで、何という速さでしょうか。鉄砲もそうです。種子島に伝わって、アッという間に日本国中に普及しました。

 辞典は「引く」のではなく、「読む」べきもの

 轡田氏は辞典の大事さにもふれており、常に手元においています。

 たとえば、【初恋】を引くと、少年少女時代の、うたかたと消えた恋
とあります。「初恋」の人と結婚した男の「初恋」なるものは、ほんものでなかったことになるのかしら?

 轡田氏は、「闇」という文字に興味をもちます。「闇」という文字は、「門」のなかに、「音」という文字がうずくまっているのだろう?と、疑問を持ちます。

 『字統』によると、
「門」は神社などの「廟」であり、囲いである。その前で人が、神に祈る。神はいつでも暗闇のなかに現れ、姿は見えない。人の祈りに応えて神は顕現してくださったが、姿は見えない。しかし、木の葉や草のそよぐ気配がする。かそけき「音」がして、神がそこにお出ましになったことを知るのである。

 辞典を読むのは、まことに効率のいい読書であるとも言っています。
右、左を定義するのも難しい。「右手のある側を右という」では、「右とは右側のこと」と答えたに等しく、これでは定義したことにはならない。1972年版の『新明解国語辞典』では、「大部分の人がはしや金づちやペンなどを持つ方(の手)[からだの、心臓が有る方の反対側]、なんぞと、いたってヤボに答えていたけれども、新しい版では、スッキリ答えています。

 みぎ【右】アナログ時計の文字盤に向った時に、一時から五時までの表示のある側。[「明」という漢字の「月」が書かれている側と一致]とあります。辞典類にはじつにいろいろな内容のものがあります。「連想ゲーム式」の「考える力」をつける方法のためにも、図書館でこうした多彩な辞典、事典を活用しなければもったいない。

2010年6月20日日曜日

読書術(12)

 轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の12話目です。
 中学、高校時代を思い出すと、漢文で唐詩を習った記憶が、いまも鮮明です。「春暁」の「春眠不覚曉」だとか、「静夜思」の「挙頭望山月/低頭思故郷」だとか、李白の「孤帆遠影碧空尽/唯見長江天際流」なんていう節が、轡田氏の美意識や文章意識のどこかを創ってくれたような気がすると語っています。

 日本文学でいうなら、すでに古典である夏目漱石や森鴎外がいい。漢文脈の文章は、重厚で、しかもリズミカルで、日本語の歴史そのものの響きに満ちているからです。

 作家の木村美苗さんは、次のように書いています。
人類はあるときから文字を書くようになった。私は、その「書く」という行為が、「話す」という行為と密接につながっているとは思わない。「書く」という行為は、「読む」という行為と、はるかに密接につながっていると思っている。漱石は「読む」ことによって漱石になったと思っている。

 読書こそが、「書く」行為に誘ってくれるのです。
 つまり、「読書」こそが、「考える力」を培ってくれます。

 轡田氏は、「考える力」のすべてが、ぎっしりつまっている古典を紹介しています。すなわち、
福沢諭吉の有名な著作『学問のすゝめ』(樽谷昭彦・現代語訳・解説 三笠書房)と、イギリスのサミュエル・スマイルズの世界的名著『自助論』(竹内均訳・知的生きかた文庫・同社)です。どちらも、現実の社会にどう生きるべきかを、具体的に説いた本です。

 「好奇心」が芋づる式にわいてくる思考法

 考えがまとまらない時には、白川静氏の三部作、『字統』『字訓』『字通』の出番です。
文字の存在しなかった日本列島では、国語を表記するのに、中国、朝鮮からの輸入品である漢字を用いました。漢字に、列島で用いられていたことば「和語」、つまり「国語」のことばをあてはめて読む(発音する)ことを「和訓」といい、その読みの固定したものを「字訓」といいます

 本来は中国語であった漢字を国語化したわけです。「山」を「やま」、「川」を「かわ」、「海」を「うみ」と読むのがそれです。

 列島に生きるわたしたちの祖先は、もともと「やま」「かわ」ということばを用いていましたが、それを表記することができませんでした。

 そこへ、「山」「川」という漢字が入ってきました。なるほど、これは便利だぞ、というわけで、本来の中国語の発音は無視して、意味は同じというところを採用して、その文字に「やま」と「かわ」という読みをあてはめたわけです。

2010年6月19日土曜日

読書術(11)

 轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の11話目です。
 何についても、いつだって、「なぜ?」と問いかけつづければ、もうそれだけで「文章」になります。「なぜ?」がなければ文章でない、断言したくなるほど「おいしいカレーライスを食べた」という文章だって、そのカレーがおいしかったのは「なぜ?」なのだろうか、と問いかけなければならないのです。
「読む人」「書く人」は、カレーライスもぼんやりとは食えません。

 「短いことば」のほうが気持ちは伝わる

 人間の表現はすべて「要約」なのです。会話のすべては、考えたことの要約をしゃべっているのにすぎません。要約ができていないと、ダラダラと要領をえない発言になってしまいます。
どんな大きなニュースだって、ほんの何十秒かで、批評しなければなりません。

 テレビを見ていたり、本や新聞を読んでいるとき、ときに、コメンテーターを演じてみたらいかがかと提案しています。要約して、短く語って見るのです。書く前に「座右の書」を読みます。特に漢字の多い本がいい。脳の刺激には絶好なのです。

 となれば、どうしたって古典ということになります。なかでも漢字が多いのは、中国の詩です。

松下問童子
言師採薬去
只在此山中
雲深不知処

松下 童子に問えば
言う 師は薬を採りに去ると
只だ此の山中に在らんも
雲深くして処を知らず

 漢字の一つひとつが何かを物語ってくれるのです。蛇足ながら、この唐の詩人、賈島が詩を作っていた時に「敲く」にしようか「推す」にしようか苦吟しながら歩いていたら、位の高い役人が、詩人の韓愈の行列に突き当ってしまいました。この故事から、文章を練ることを「推敲」というようになったそうです。

2010年6月18日金曜日

読書術(10)

 轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の10話目です。

 読書には、人生を決めるような出会いがある
国立八代工業高等専門学校教師の村田秀明氏は、『中島敦「李陵」の想像 創作関係資料の研究』(明治書院)という立派な本がありますが、村田氏の中島敦との出会いは、高校の現代国語教科書に収録された『山月記』でした。生まれて初めて読書によって心の奥底から激しく揺り動かされました、と語っています。学校の教科書が、立派な役割を果たしています。

 「感動的な出会い」こそ、読書の醍醐味ではないかと、述べています。その出会いが、人生を大きく左右します。

 4章には、「読む力」は何を与えてくれるのか?~要約力、表現力、発想力を育てる方法があります。

 「読む」楽しさは、ごく自然に「書く」楽しみを誘いだすはずと言います。はたしてそうでしょうか。ここには、疑問符が付きます。

 さて、書くことに目覚めて、自然の情にせかされて、一念発起して机にむかいます。ウーム、とうなって天井をにらみますが、いくらにらんでいても、そこから先には進みません。

 これは、順番を間違えているのです。机の前に腰掛けてから、さあて、何を書こうか、と考えるのではなく、何を書くかをきめてから、原稿用紙に対面すべきなのです。頭のなかが空白であっては、「神」は降りてきてくださりません。毎日、時々刻々、目にふれるもの、耳に入るもの、そうしたすべてにむかって、「なぜ?」と問いかけつづけて、いわゆる問題意識が頭のなかで発酵しているなら、そのひとつに、「神」は降りてくださるかもしれません。

 優れた写真家は、「シャッター以前」とよくいいます。ねらい通りのいい写真が撮れるかどうかは、シャッターを押す前にすでに決まっているというわけです。

 どう書くか。文章は写生なり、と思い定めましょう。本でもいいし、映画もいい、もちろん旅もいいし、食事もいい。大いに楽しんだり、感動したのだったら、楽しんだり、感動している自分の姿を「写生」しましよう。景色をスケッチする要領で。ただし条件があります。写生するには、「面白かった」「悲しくなった」「感動した」「おいしかった」というような、形容する表現を使わないことです。そういう表現を用いなくても、面白かったこと、悲しかったことなどが、読む人に伝わるように、具体的に要約して描写します。
写生するためには、自分の姿やこころの動きを、もう一人の自分が観察しなければなりません。客観的とは、そういうことです。

 「面白かった」では、感想を述べたにすぎません。テレビのレポーターが、おいしい料理を食べておいしかったではだめなのです。「笑いをこらていたけれど、とうとう吹き出してしまった」なら写生です。「写生」というのは、あの正岡子規が俳句を作るときの心構えとして盛んに主張したことです。かれは、「理屈はいらない。ズバリと描写せよ」と述べています。

2010年6月17日木曜日

読書術(9)

 轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の9話目です。
 入学、卒業、就職、結婚(失恋も!)、退職など、人生の節目ごとに、それまで読んだことのない分野の本を読んでみるといい。新しい世界が発見できることは確実だと述べています。

 さて、その本の読み方ですが、大別すれば、
①ゆっくりと楽しみを求めながら読む本。そこから何かを得ようなんて考えない。
②必要に迫られて、ともかく急いで読んで、何かをつかまなければならない。
の二種類ということになるでしょうか。ほんとうの意味での読書とは、①の、ただ楽しむためのものでしょうが、なかなかそうはいきません。それと、
①みんなが読んでいるから、じゃあ読もうという、ベストセラー読み、受賞作読み。
②なるべくなら、ほかの人があまり読まないような本を読みたい。
と、いう読み方もあるでしょう。さらに、ただ何となく読んでみる、何となく読んでしまった本もあるでしょう。これは、轡田氏の読み方といっています。

 佐藤優さんの著作である『獄中記』(岩波現代文庫)は、「国策裁判」を批判しながら、裁判を闘う、冷静、強固な意志が、印象的です。読書という一点に限っても、驚くほど多彩な内容です。512日間の獄中生活で読んだ本は、150冊を超えているようです。

 読書リストを見ると、思わずウームとうなりたくなるような本ばかりです。佐藤さんの場合とは、てんで異なる低次元の話だけれど、同じように裁判の渦中にある若い経済人も、「獄中記」ふうのものを書いています。多分、わたしたちもよく知っている六本木ヒルズの住人でしょう。「読む人」と「読まない人」の差の、あまりの大きさにビックリすると書いています。

 「本を読まない」とこうなる、志の方向が金儲けで、「和」の志が乏しいと、こういう人物になっちまうかもしれないぞ、といささか不安にさせてくれるという意味では、教訓的な貴重な本かもしれない!しかし、わたしは読みたいとは思いません。時間とお金の無駄でしょう。

 佐藤さんは、「外にいるとき」の速読についてちょっとふれていますが、1日1500から2000ページは読むようにしていたそうです。ウーンとうなります。キーワードを焼きつけていく方法で、目次と結論部分だけは少しゆっくり、読む、そうです。ただし、どんな本でも斜めに読むことができるという意味での速読法はない、背景となる知識(教養)がどの程度あるかが問題になる、と語っています。

 佐藤氏の「獄中読書リスト」に、高校の数学の教科書が何冊かふくまれていました。どう読むか、によって、教科書を読むのも読書のうちに入ります。ことに大人になってから、子ども時代の教科書を、ふと手にして、結構、読むに値するものという発見に喜ぶこともあります。なかなか勉強になります。

2010年6月16日水曜日

中国の端午節


 6月16日(水)は、中国では、端午の節句でお休みです。6月16日は、旧暦5月5日に当たります。日本では、男の子の節句となっていますが、中国では、男の子、女の子関係なく、こどもの節句で、こどもの成長を家族、親戚で喜び、祝います。

 休みはどうなっているのでしょうか。暦では、⑫ ⑬ 14 15 ⑯ですので、16日は、土日から離れた休日です。ところが、中国は政府の指示により、12日(土)、13日(日)は出勤し、14日(月)、15日(火)を休日として、16日と続けて、3連休としています。

 最近、中国は、大型連休をやめています。なぜでしょうか?

 内需拡大のためです。大型連休にしますと、海外旅行に行きます。これでは、中国のお金が海外で消費されるだけです。短い連休ですと、海外には行けないので、中国国内を旅行します。中国には、中国国民も知らない名勝地がたくさんあります。もっと中国のきれいなところを国民に見てもらい、自国を知ってもらい、誇りをもってもらおうという深慮もあるようです。

 この3連休は、さしもの北京の道路もがらがらでした。みな、国内旅行に出かけたようです。気を利かせた会社や官庁は、13日の午後から、休みをとってもいいことにしていました。おかしいのは、台湾企業で、12日、13日も当然のごとく休み、14日、15日、16日も当然のごとく休み、5連休にしていました。さすがに日本企業は、中国の暦に合わせて休むところがほとんどだったようです。

 この短い連休で、それでも海外という中国人は日本に来た人も多く、たくさんお金を遣ってくれたようです。

2010年6月15日火曜日

読書術(8)

 轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の8話目です。
「換骨奪胎」とは、詩文を作るとき、古人の作品の、趣意は変えずに語句だけを変えて自分のものとして表現することと、あります。

 有名な「換骨奪胎」の例として、松尾芭蕉の句があります。
  夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
 これは唐の大詩人、杜甫の作品である「春望」の、
  国破レテ山河在リ、城春ニシテ草木深シ
の、「換骨奪胎」です。趣意は借りながら、完全に芭蕉の精神による、芭蕉の作品に生まれかわっています。芭蕉は、杜甫を読み、杜甫をまねして自分の作品を創りだしたのです。みごとな「換骨奪胎」です。ですから、わたしたちも、芭蕉のまねをして、大いに「換骨奪胎」をすればいいのです。

 詩を読むことによって、わたしたちは、ことばという貴重な存在がひそめている、深い意味も美しさも学ぶことができるといいます。ことばを選んで組み合わせる作業とは、つまり「考える力」による作業なのです。
 「詩的ことば」とか「美しいことば」というものはありません。ごく平凡なことばが、組み合わせによって「美」に変貌するのです。松尾芭蕉の名句、「古池や蛙飛び込む水のおと」だって、分解すれば、ことばの一つひとつはごく平凡なものばかりです。

 「社交の時代」こそ、「ことばの時代」なのです。ことばを磨かなければ、生きて行けません。この国の政治の、どうしようもない混迷は、すなわち「ことばの混迷」なのですとまで書いています。
そして、ことばを磨く絶好の舞台が「詩」です。

 話は変わりますが、「どうして、このように日本で漫画文化が発達したのでしょうか」「それは、手塚治虫が日本で生まれたからです」と作家、夢枕獏氏が書いていました。また、内田樹『街場の教育論』ミシマ社は、日本語は、漢字・カタカナ・平仮名をそれぞれに脳が対応するという、不思議な言葉であるために日本独特の「マンガ」表現を生んだという説は興味深いものです。

2010年6月14日月曜日

読書術(7)

 轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の7話目です。
 おしゃべりもそうで、「社交の時代」のおしゃべりには、何がしかの「隠し味」が欲しく、「知ったかぶり」と受け取られないように用心しながら、それなりの「蘊蓄」、つまり「知の貯え」をサラリと口にする。「知の貯え」は「充電」しなければ、涸れてしまう。充電の最も確実で手っとり早い方法こそ、読書なのだと書いています。すべての源は、読書にあるということのようです。

 本を読み、まねる~これが最もいい「学び方」
昔の、偉大な人びとの学び方、書物の読み方を、いまのわれわれが書物を通してまねしたら、おかしいでしょうか。ちっともおかしくないはずです。なぜならば、宗教において、たとえば仏教徒にしても、キリスト教徒にしても、イスラム教徒にしても、信じるということは、オシャカさま、イエス・キリスト、マホメットたちをまねして生きようと努めることだといいます。
「まねをする」とは、「合法的に盗む」ことではないか。それが、やがて「まね」が骨肉化して、ほんとうに自分のものになります。

 ひろさちや氏の著書に『50歳からの仏教入門』(講談社)があり、「仏陀(ブッダ)」とは、サンスクリット語で「目が覚める」という意味だそうです。人はだれでも毎朝かならず「目が覚める」から、毎朝だれでも「ブッダ」になるというわけです。

 ここで、「引用」について、イエス・キリストの、十字架上の最期の叫びを取り上げています。
エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ
(神よ神よ、なんぞわれを見捨てたまいか)
(『新約聖書』マルコ伝福音書)

 十字架にかけられて、息を引き取る寸前にアラム語で叫んだこのことばは、ユダヤ教の聖典(キリスト教徒たちが『旧約聖書』と呼んでいるもの)の「詩篇」の一節なのです。つまりイエスは「引用」したのです。原文はもちろんヘブライ語ですが、イエス・キリストはそれを、日常語であるアラム語で暗記したらしいのです。

2010年6月13日日曜日

読書術(6)

 轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の6話目です。
 3章には、「できる人」は、なぜ読書家なのか~人間的魅力とその遊び心とは?と、あります。
本に勝る“話題の宝庫”はないと轡田氏は、強調しています。
新沼謙治の『津軽恋女』に、こな雪、つぶ雪、わた雪、ざらめ雪、みず雪、かた雪、こおり雪と、雪には、7種類の雪があると謳っています。

 怪談『牡丹灯篭』は、中国の小説『剪灯新話』を、江戸時代前期の作家、浅井了意が翻案したものです。これを明治の落語家、三遊亭円朝が江戸の実話を加えながら、驚くべき想像力で創作した噺でした。娘の死霊が、牡丹灯籠を提げて恋人のもとに通うという怪談は、中国から渡ってきた書物に源があったのです。子どもの頃に映画で見ましたが、まさか中国にその下書きがあったとは、知りませんでした。

 轡田氏は、他の人の書いた本から、かなり転用するようです。かれは、「拝借」とは、じつにあいまいな表現で、「引用」や「受け売り」や「モジリ」のことではないかと、書いています。
『日本国語大辞典』(小学館)によれば、「引用」とは、自分の論のよりどころなどを補足し、説明、証明するために、他人の文章や事例または古人の言を引くこと。
「受け売り」とは、他人の意見や学説をそのまま自分の説のようにして述べること。
「モジリ」とは、著名な詩文・歌謡などの調子をまねて滑稽化すること。また、その作品。パロディー。と、あります。

 轡田氏自身も「ぼくの文章のほとんどは「引用」「受け売り」「モジリ」ばかり。いちいち断るのも何だから、三つを総称して、「拝借」という、まことにあいまいな表現で逃げています。いや、「逃げている」のでは、ない。それでいいのだ、と思っている、「確信犯」なのだ」と書いています。また、「本を読んでは、あれこれ「拝借」したもので、頭のなかの引き出しをいっぱいにする。それを小出しにしては、書いたり、しゃべったりしているのだ」とも書いています。
 また、モジリという手法は、轡田氏の好物と書いています。

 「考える力」をつけるための、最も手っとり早い方法こそ、読書なのだ。漢字・カタカナ・平仮名と、3種類の文字が入り交じっている、世界で唯一の文章を解読する作業が、脳を活性化することになります。「少年時代」と違って、大いに「考える力」をつけなくては、「大人」として生きていけません。

2010年6月12日土曜日

読書術(5)

 さて、轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』の5話目です。
 右脳が、かっては神の声を語っていました。
 右脳に囁きかける神々の声は、どこに消えたのでしょうか?

 発掘された化石や骨から古代人のこころを読み取ることはできませんが、古代人の残した言葉が、文字、すなわち書物になってくれれば、それを解読することによって、こころを読むことが可能になります。
 3000年前の人間は、「意識」というものを持っていませんでした。人間のこころは、命令を下す「神」の部分と、それに従う「人間」の部分に二分されていました。これを「二分心」と呼びます。右半球が「神々」の側、左半球が「人間」の側です。右脳が「神々」の声、すなわち「命令」を聴いていました。
そもそも「神」とは、言語が進化してゆく過程のなかで生まれたものであり、ホモ・サピエンスが誕生して以来の、生命の進化の最も明瞭な証でした。神々は、だれかの想像から生まれた虚構ではなく、人間の意志のもたらしたものだったのです。そのようにして創造された神々は、人間の神経系、おそらく右の大脳半球を占め、そこに記憶されました。訓戒的、教訓的な経験をはっきりした言葉に変え、本人に何をすべきかを、「幻聴」という姿で「告げた」のです。
 しかし、「文字」の発明とそれが発展するにつれて、「神々」を沈黙させることになりました。文字は、文書となり書物になって、訓戒も教訓も命令も、いつでも読むことができるようになりました。その結果、右脳にささやきかける神々の言葉は消えてしまいました。神々は沈黙したのです。人間が文字と意識を得た代わりに神々は沈黙しました。
 ヨハネ伝福音書には、「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」と、記されています。
 文字は、神話と歴史との接点にあります。文字は神話を背景とし、神話を承けついで、これを歴史の世界に定着させてゆくという役割をにないました。
太平洋戦争に敗北したあと、乱暴にも漢字廃止論まで飛び出し、あげくは、日本語を廃止してフランス語にしようなどという暴論まで登場したということです。そして、漢字は大幅に制限され、略字も増えました。「拉致」などは「拉」が使えないために「ら致」というコッケイな姿がそうとうの間、続きました。「英語のアルファベットはたったの二十六字で、それで何でも書けるのに、漢字は何千もあるからむずかしい、と言う人もあるが、こういう人はかならずバカである」(高島俊男『漢字と日本人』文春新書)に書いてあります。
 漢字は、たとえば、川でも漢字一文字でも書物といえるほどに風景を連想させてくれます。漢字は、想像力を刺激してくれます。つまり脳の働きを活性化してくれるのです。「頭を良くしてくれる」のです。読書とは、平仮名、カタカナと交流しながら、そうした効験あらたかな、たくさんの漢字を読むことなのです。

2010年6月11日金曜日

読書術(4)

轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』から、参考になるところ、面白いところを抜き書きしました。

2章は、『本を読めば読むほど、頭は良くなる~読書習慣がある人、ない人の埋められない差』です。

毎日読書をする人、しない人、この「埋められない差」とは?

『「読む」には頭を使うが、使った頭は、どんな影響をうけるのか?ほんのしばらくでも本を読まないでいると、「読む力」がてきめんに低下する事実を永年の読書体験で知っている。それは、サッカーの練習とまったく同じだ。期末試験やシーズン・オフでしばらく練習を休んだあとの練習は、きつい。すぐに息切れするし、筋肉痛にもなるし、ボールは足についてこない。肉体も頭のなかも、つまり、なまっている。「なまる」は漢字で「鈍る」と書くが、回復するのに1週間はかかった。この「なまる」という状態はなかなか深刻で、読書(文章を書くのも)もまったく同じで、1日でも読まない(書かない)日があると、てきめんに「力」が「なまる」。まずスピード。そして集中力。

「読み書き」はふつう「頭脳労働」といわれるけれど、じつは肉体労働だ。筋肉労働だと考えた時に目からウロコが落ちた』と書いています。

人類進化史上の時間経過の90%は、文字のない世界でした。文字を操作する能力は、「話し言葉」によってすでに用意されていたのに、その能力が発揮されるチャンスはありませんでした。それが、「文字の発明」によって、その能力を発揮するチャンスがやってきました。「文字の発明」は、いいかえるなら、「読み書きの発明」で、読書への、長い道のりのはじまりだったわけです。

人間の能力は、文字の発明によって飛躍的に伸びました。「文字」イコール「書物」といっていいほどに、人間の歴史は、書物の集積の上に成り立っています。

読書は、脳を鍛える一番いい方法

日本人は、中国で発明された漢字をまず「万葉仮名」として用い、さらに漢文で書かれているお経を読みやすくするための「カタカナ」を発明しました。「漢字・平仮名・カタカナ交じり文」という、世界でもきわめて珍しい表記方法を発明したのです。わたしのまわりには、中国人が多いのですが、みな、「平仮名」「カタカナ」の素晴らしさを褒め称えます。

話は変わりますが、イカの神経は、人間の神経を研究するのに重要な存在らしいのです。不思議なことに、イカの神経は動物界最大で、太さにして直径1ミリほどあり、カエルの神経の百倍も太いのです。このために、中の電圧も測りやすいということです。「漢字・平仮名・カタカナ交じり文」を読んでいるときには、脳の中の回路では、漢字に行ったり、平仮名に行ったりで、かなり忙しく働いています。

本を1ページ読んだだけで放り出してしまうのと、100ページ読んだのでは、100倍の差が開いてしまいます。その結果から得られる読解力の向上は、脳の発達そのものなのですから、本がスラスラ読めて、意味が素早く、確実につかめるようになることは、ただ単に本がよく読めるようになっただけでなく、明らかに脳の能力が向上したのです。頭が良くなったのです。漢字も平仮名の読みも、左脳で営まれているそうです。脳の両半球から、左半球の効率のよいシステムへ切り替わってゆくことによって、思考と感情を別々に処理できる速さを手に入れたことになります。「漢字・平仮名・カタカナ交じり文」を発明してくれた先祖に感謝しなければなりません。

2010年6月10日木曜日

読書術(3)

 いい本と出会う、とっておきの方法
 どの本を読むか。文章の達人が、実際に読んでみて、面白かったり、感動した本について書いた本を読むのがいいと書いています。
 哲学者の木田元さんの著書『猿飛佐助からハイデガーへ』の中には、『少年講談―一休和尚』から100冊の本が取り上げられています。
 木田さんは、読む本の量は、週に2、3冊とすると年に58週で116~174冊。仮に150冊とすれば、10年で1500冊、70年間で1万冊ぐらいになる。この中で、轡田氏のいう1000冊読破がどういう位置付けになるか分かりません。受け取り方でさまざまでしょう。
 もっとも手っとり早い方法は、日刊紙の朝刊の書評欄、読書欄をたんねんに読むことであると書いています。朝日、毎日、読売、日経、東京、産経などの日刊紙は、主として日曜日の朝刊に「読書欄」を設けています。2009年2月1日付の朝日新聞朝刊の「読書」のページは5ページもあります。そこに紹介されている本は、50冊を超えています。それが、月4回として、200冊になります。1年なら2400冊となり、1000冊読破などは、屁の河童です。
 「それは、本の数だけではないか」、という人もいるでしょうが、「読書」欄の筆者たちは、読書の名人ぞろいなのである。「読書の名人」は、必然的に「文章の名人」であり、「要約の名人」である。とくに毎日新聞の「今週の本棚」を推奨しています。執筆陣が驚くべき陣容で、丸谷才一氏、山崎正和氏、鹿島茂さんなど、現代日本を代表する「読書の名人」、すなわち「文章の名人」「要約の名人」が綺羅星のごとく並んでいる。家で毎日新聞を購読していない人は、日曜日の朝、散歩がてら駅売りを買いに行くことを勧めています。
 書評こそは、一国の文化・文明の程度を示す尺度なのであるとも書いています。書評欄を読むと、その本を「読んだつもり」「読んだふり」ができるだけのネタはもらえるとあります。

 時間がない人のための超読書術
 書店の店頭に積んである、出版社のPR用の小冊子もきわめてお得な読み物です。本の紹介はもちろん、手だれの筆者によるエッセイなどは楽しい。しかも原則タダである。轡田氏は、くたびれ果てて帰宅したとき、しばしば文庫解説目録を手に寝床に入るそうです。
 明日に続きます。

2010年6月9日水曜日

読書術(2)

 次に1008年に生まれた「菅原考標の女」としか名前の知られていない女性の晩年の回想日記である「更級日記」の冒頭部分に「源氏物語」が読みたくて読みたくて仏様に手を合わせて祈ったとあります。「源氏物語」は彼女が2歳頃に完成していて、紫式部が書くやいなや、当時の最高権力者の藤原道長は読みふけりました。娘の中宮彰子にねだられて写本づくりを命じました。遠い上総の国で暮らす少女にとっては、うわさに聞くだけの夢物語でしたが、この願いが4年後にかなえられました。家族とともに上総から京に帰った少女は、おばから「源氏物語」を贈られたのです。夢中で読みました。
 この興奮を次のように書いています。

 はしるはしるわづかに見つつ、心も得ず、心もとなく思ふ源氏を、一の巻寄りして、人もまじらず、几帳のうちに打臥して引きいでつつ見るここち、后の位もなににかせむ。ひるは日ぐらし、夜は目のさめたるかぎり、火をちかくともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらにおぼえうかぶを・・・

 こうして、14歳の少女は、「源氏物語」全54帖を暗記するまでになりました。このことは、彼女が書き残した「更級日記」という書物のおかげで分かるのです。すべては書物があってこそです。夫の死後、52歳の頃に少女時代の頃からを回想した日記が1000年の時を超えて読む人に感動をもたらします。

 イタリアの作家、イタロ・カルヴィーノの「なぜ古典を読むのか」という本があります。 古典とは、ふつう、人がそれについて、「いま、読み返しているのですが」とはいっても、「いま、読んでいるところです」とはあまり言わない本であると書いています。 
 「『源氏物語』をお読みになりましたか?」と質問されて、「いいえ」と、ほんとうのことを答えるのは恥ずかしいから、「遅まきながら、いま読んでいるところです」と答えたりしていますと世の知識人は答えます。しかし、読んだ本よりも読んでいない本の方が圧倒的に多いのです。
 そこで、ピエール・バオアールは、「読んでない本について堂々と語る方法」について述べています。その「こころがまえ」として、①気後れしない、②自分の考えを押しつける、③本をでっちあげる、④自分自身について語る、の4点を挙げています。さらに彼は、「読んでいない本について語ることは、まぎれもない創造の活動なのである」とまで語っています。
 また、丸谷才一氏は、わかりやすく人びとを熱狂させるものは原典を読まなくても伝わっていくとも書いています。「たいていのマルクス主義者は、『資本論』なんて読んでいませんよ。徳川光圀の編纂した『大日本史』を幕末の志士たちは、読んでいなかった。読んだとしてもダイジェスト版でした」とも書いております。なかなか真意を語っています。必ずしも読まなくてもいいようです。
 頭の痛いことで、中国の書物には、本を大事にするだけで読まないことを「高閣に束ねる」というそうです。高いところにただ積み上げておくだけという意味です。多くの人にこの傾向がありそうです。わたしも今、買っておかないといつ会えるか分からないと思って、買った本がたくさんあります。
 『鉄仮面』は、1961年、得体のしれない囚人が一人、極秘裏にサント・マルグリッド島に運ばれてきました。これは、アレキサンドル・デュマとボアゴベの二人が書いていて、デュマのは鈴木力衛が訳し、ボアゴベのは黒岩涙香が翻訳して大評判になりました。戦後は、長島良三の翻訳が出ましたが、これもすこぶる評判がいいそうです。
 明日に続きます。

2010年6月8日火曜日

読書術(1)

 今回は、轡田隆史氏の『1000冊読む!読書術』(三笠書房)から、標題について述べたいと思います。この本は、5章からなっています。
まず、1章は「多読は絶対、あなたを変える」で副題として「本を1000冊読むと、何が起こるのか?」がつけられています。
 2章は「本を読めば読むほど、頭は良くなる~読書習慣がある人、ない人の埋められない差」
 3章は、「できる人は、なぜ読書家なのか?~人間的魅力とその遊び心とは?」
 4章は、「読む力は何を与えてくれるのか?~要約力、表現力、発想力を育てる方法」
 5章は、「1000冊読破の贈り物~もし、本がなかったら世の中はどうなる?」
と、書かれています。
 わたしの今回のブログは、この本の評論ではありません。この中から参考になるところ、面白いところを抜き取ったと考えてください。
 1章は、轡田氏の読書体験を述べています。父の書架から面白そうな本を抜き出して「盗み読む力」を鍛えました。ここで、森鴎外の「ウィタ・セクスアリス」(ラテン語で「性欲的生活」の意)を読んだそうです。こども心に興味があったのでしょう。この本は、明治42年に発表するや、すぐに発禁処分を受けました。かれは、森鴎外のこの本を読んだのが、森鴎外との最初の出会いで、「渋江抽斎」にいたるまでに随分時間がかかったそうです。
 そして、2009年は、2008年の「源氏物語1000年」につづいて、読書人にとって忙しい年となりました。大岡昇平、中島敦、太宰治、松本清張の「生誕100年」でした。大岡は3月6日、中島は5月5日、太宰は6月19日、松本は12月21日生まれです。俊才の生まれた年でした。生誕100年祭などがあり、出版業界にとっては、賑やかな年になりました。

「今読むべき本」「今しか読めない本」
 おませな轡田少年は、D.H.ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」を父の書架からこっそり持ち出して読みました。「貴族の夫人と森番の男の、肉体の関係を経て魂の解放にいたるさまを描いた小説は、少年にはてんで理解できなかったけれど、雨の森の激しい情事は、野の花の匂うような、不思議に美しい印象が残っている」と書いています。いま、この小説は、どこでも、いつでも、だれでも抵抗なく読めますが、「ワイセツ文書」として発禁禁止とされた時に、密に読むことの興奮は、もう二度とできないと書いています。「それはただ一度限りの、永遠にかえらない少年の日の、輝くような、懐かしい盗み読みだった」。
轡田少年は、このときよりサッカーへとのめり込んでゆきます。かれは、早稲田大学経済学科に入り、早稲田大学サッカー部の全盛時代を築きました。かれは、「ポケット・ミステリ」と比較的安易な本を読んでいましたが、のちにイレブンの仲間から送られてきた回顧録を読んで、愕然とします。その友人は、あの激しい練習をしながら、ケインズ経済学をしっかり読んでいたのです。その友人とは、今でも愉快に飲んで語り合いますが、現役ジャーナリストの轡田氏がいつもタジタジになるほどと書いています。読むべきときに読んだ本は、血となり肉となり、いつでも取り出せるようです。
 以下、明日へ。

2010年6月7日月曜日

普天間基地の代替案

 普天間基地の移転問題は、民主党の5月30日の読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」で、井上和彦氏がいっそ地上をやめて海上の案を話していました。しかし、これまで自民党が提案していた辺野古浅瀬の埋め立て案とも異なります。
 この案は、現在、海上自衛隊がヘリ空母を建築中ですが、長さ248mで、19500トン、これを3隻製造すれば機動洋上基地となり、場所を移動させることも出来、騒音問題その他のいまの問題はすべて解決します。寄港地は、米軍の那覇軍港とします。ここは、日本への返却が決まっており、ここを母港とすればいいのです。出動要請があれば、従来のように普天間基地から飛び立つことなく、ヘリ空母によって移動すればいいのです。機動性も上がります。
 肝心の費用ですが、1隻1200億円ですが、辺野古の埋め立て費用のみで2000億円ですので、これにその他の費用を加えると同じくらいの金額になりそうです。
 わたしは、ヘリ空母でなくとも、関空を造るときのことを考えればいいでしょう。最終的に、埋め立て方式になっていますが、当時は浮桟橋方式もありました。巨大な船のようなものです。しかし、ヘリポートであれば、関空のような規模の必要はなく、十分に可能と思っていました。これであれば、環境汚染もなく、陸上のような問題もないと思います。

2010年6月6日日曜日

官房長官、幹事長人事

 官房長官は、内閣のまとめ役であり、スポークスマンです。一方、幹事長は、党のまとめ役です。これを菅首相は、官房長官を仙谷氏、幹事長を枝野氏としましたが、これは大きなミスです。マスコミは、小沢氏から距離をおいた人事と拍手喝采するでしょうが、これは危険です。このふたりは、あまりに小沢氏を嫌うひとたちであり、小沢氏がもっとも嫌うふたりです。戦国の世のように小沢氏を殺せれば、問題ないのですが、そうではありません。このふたりは、小沢氏の窮地のときに真っ先に塩を塗り込んだひとたちです。小沢氏が忘れるはずがありません。
 口で、小沢氏と距離を置くというのは、問題ありません。しかし、この人事のように弁解が効かないやり方は、好ましくありません。
 菅氏は、立候補を決断すると、鳩山首相や衆院議長などに挨拶に行きました。この時、菅氏が載っていた車を見られたでしょうか。国産の最高級車です。小沢氏は、カネ云々を言われますが、いつも大衆車のワゴンカーです。
 小沢氏にも、2日に亘って、アポを入れましたが、とれませんでした。小沢氏は、菅氏のために会わない方がいいと思ったのですが、菅氏陣営は、「失礼な奴だ」と思いました。そういう中、枝野氏、前原氏、岡田氏が、菅氏支持を表明しました。菅氏は、これに強気になって、「小沢幹事長には、しばらく静かにしてもらっていた方がいい」と余計な発言をしました。
 小沢氏は、これくらいのことで、下り坂を下る人ではありません。民主党の隔絶した最大勢力です。協力してもらわないと、党運営が出来ません。ところが、このふたりは、小沢氏ならびに小沢グループを追い込みかねません。そうすると、どうなるか、再び、政界再編です。菅氏は、ふたりに釘を刺しておかねばなりません。ところが、この菅氏は、この空気が読めません。仙谷官房長官は、体調が芳しくありません。枝野氏は、事業仕分けでみるように、目立ちたがり屋です。結局、目立っただけで、実務的効果は、何もありませんでした。これが、もっと実績を上げていれば、民主党の支持率もこれほどに下がっていません。目立っただけで、実績が上がっていないことも一因です。 このふたりも、自分の足らざるところをよく理解して業務に励んでほしいものです。

2010年6月5日土曜日

菅首相誕生

 民主党の代表選挙は、菅氏が291票、樽谷氏129票で、形の上では、菅氏の圧倒的な勝利です。しかし、支援がない中で、推薦人も20人をすぐ集め、この短期間で129票とは、よく票をとったと思います。有名とか、無名とかは、抜きにして、樽谷氏は、少し首相としても資質に欠けるように思います。インテリジェンスが匂ってきませんでしたし、若手というには、清冽さが感じられませんでした。樽谷氏にとっては、これが初デビューと見ればいいでしょう。そのわりには、合格点でしょう。
6月4日の朝日新聞に“首相にこれを望む”とありました。この項目に沿って、菅氏、樽谷氏、そしてわたしが推す細野剛志氏で点数をつけてみました。最後に見栄えをわたしが勝ってに付け加えてみました。


氏名        菅氏  樽谷氏  細野氏
1.強さ      4     3    5
2.信念      4    4    5
3.統率力     5    4    5
4.言葉に責任   5    3    5
5.大物感     4    3    4
6.うそはダメ    4    4    5
7.心意気     4    5    5
8.判断力      5    4    5
9.若さと決断     4    5    5
10.頼りがい    4    3    5
11.見栄え     4    3    5
 次回の代表選挙は、9月に行われるので、その時には、民主党も、もっと清新な候補を選んでほしいものです。たしかに鳩山、菅の時代でもないでしょう。田中真紀子、海江田万里でも物足りません。岡田、前原も今、ひとつです。かなり若くなりますが、細野氏あたりに立候補してほしいものです。

2010年6月4日金曜日

消えた宇宙人

 とうとう鳩山首相が辞任しました。これは、ある程度、予測されたことでした。普天間問題も政治とカネの問題も子ども手当の予算の裏付けも自信がなかったのでしょう。お人よしの宇宙人は、福島社民党党首とも話せば分かると思ったのでしょうが、あっさり連立政権から下りられました。幸夫人の信ずるインド人の占い師も当てにならず、これからどうしたらいいのかと迷っていました。韓国で日中韓の首脳会談を行い、温家宝首相らと多くのカメラの前で握手をし、機嫌よく幸夫人と日本に帰って来ました。すると、小沢幹事長、興石参院議員会長が待っていました。華やかな場所から、現実に戻されました。奥石氏は、「このままでは、参院選は戦えない」と、辞任を迫りました。そして、翌日は、鳩山首相は、腹心と話をし、覚悟を決めます。再び、三者で打ち合わせをしました。その席で、「辞任しましょう。しかし、小沢幹事長も辞めてください」と、道連れにしました。そして、無責任に普天間問題は、棚上げのまま、宇宙に消えて行きました。
 マスコミなどで、この間、何もしなかったと言いましたが、実績は、先のブログで書きましたように、結構上がっています。自民党時代と大違いです。インド洋の給油も辞めました。秘密外交文書も明らかにしました。この普天間問題もわたしのアイデアを盗めば、解決していました。
それにしても、マスコミ、特にテレビの報道はひどくて、みのもんた氏などは、民主党が政権をとったときから、批判していました。そして、今は、自民党、みんなの党のいう「衆参同時選挙」をがなり立てています。放送倫理法に触れているのではないでしょうか。  
 このなかで、外見によらず、中立な意見を述べているのが大谷昭宏氏で、「衆議院の任期は4年ですよ。48カ月あって、いま、8カ月なんです。ということは、6分の1が終わったところで、あと6分の5あるわけですよ。せっかく政権交代をしたんですから、巻き返さなければウソでしょう」と、冷静にコメントしています。もう少し、冷静に見たいものです。

2010年6月3日木曜日

航空会社の定時到着率

 わたしは、日航の再建のため(?)に毎週、JALに乗るのですが、先日、機内誌でしたか、何か忘れましたが、標記の統計があることを知りました。米国の調査会社であるコンデューシブ・テクノロジー社が国際線を有する世界の主な航空会社40社について、 予定時刻(15分未満の遅れは許容)に到着できる割合「定時到着率」(2009年)を 調べました。利用者にとって重要な到着時間に着目し、初めて全世界的な通年のデータを集計し、「フライトスタッツ」という同社のホームページで公表しました。それによると、日航の定時到着率は90.95%でトップ。全日空が小差の90.37%で2位と続いています。 日本の航空会社にとっては、名誉なことです。
 同社ホームページでは、「日本の大手航空会社を使えば、ほぼ時間通りのフライトが保障される」 としています。 日航「お客さま本部」の佐藤直彰氏は、「日々の努力が数字に表れ、励みになる」 と話していますが、これは航空会社としては、非常に大事なことだと思います。日航も再建途上にありながら、現場は日々の努力を坦々としているように思われて好ましく思います。
 業界関係者によると、日本人は「時間通りに飛ぶのが当たり前」と思っている傾向があり、各社は定時運航に神経をとがらせています。しかし、乗客の中には、離陸時間と着陸時間を理解していない人がいます。12時30分離陸なのに12時30分に搭乗して来るひとや、もっと遅く来る人もいます。最近は、15分前には、搭乗して来る人が多いように思います。羽田も国際便が増えるので空も混み始めて、予定どおりに飛べないことが増えて来ています。それでも、日本の航空会社が定時到着率で1位、2位を占めているということは、空港の管制もよくやっているのでしょう。
 定時到着率の上位10位までは次のとおりです。
 1. 日本航空
 2. 全日空
 3. スカンジナビア
 4. 大韓航空
 5. ホライゾン
 6. ノストラム
 7. チャウタクア
 8. カンタス
 9. ルフトハンザ
 10. ジャージー・ヨーロピアン

2010年6月2日水曜日

iPadで雑誌55誌を閲覧

 iPadは、日本での販売もうまくいっているようです。ソフトバンクの孫正義氏もひときわ喜んでおり、iPadを持って愛想を振りまいています。笑いが止まらないのでしょう。一番弱い通信キャリアのソフトバンクがアップルと組むことにより、うまく当たりました。iPhone効果で、ソフトバンクの収益も随分と高くなっています。iPadでさらによくなるのでしょうか。しかし、ソフトバンクがキャリアとして今後どうなるかは、SIMロック解除が、どうなるかによって大きく左右されます。このことは、いずれ書きたいと思います。
 今日は、iPadのソフトです。電通やソフトウエア開発のヤッパは、iPad向けに雑誌55誌を閲覧できる有料サービスを始めます。AERAや週刊ダイアモンド、アサヒ芸能、NHKの語学テキストなどですが、料金は1冊115~180円だそうです。はたしてこの料金は、安いのでしょうか。少し高いと思いますが、iPadもソフトがなければタダの板ですから、魅力あるものであれば、ユーザーはお金を払って見るでしょう。これらのサービスは、iPhoneでもやっているようですが、雑誌の閲覧には、iPadの方がいいのは分かりきってます。しかし、iPadは持ち歩くには、どうなのでしょう。iPadは、液晶が9.7型ですが、米デルは5型の「ストリーク」を発表しました。6月には英国で発売し、夏には米国でも売り出すそうです。iPadは、少し大きいように思いますが、「ストリーク」は売れるのでしょうか。日本メーカーは、これら2社の様子を見ながら、小判ザメ商法で勝ち馬に乗って行くのもいいのでしょう。iPhoneやiPadは、日本メーカーが強いフィールドのはずですが、どうもいけません。コミックには、手塚治虫という天才が生まれました。情報端末、携帯端末にも日本に天才が生まれてほしいものです。

2010年6月1日火曜日

普天間、辺野古の基地問題

 普天間基地の移設問題でとうとう社民党の福島少子化担当大臣が罷免されました。鳩山首相は「辞任したらどうですか」と言ったそうですが、本人が罷免を望みました。普天間基地については、鳩山首相も「最低でも県外、できれば国外」と言ったものですから、それが県内の辺野古ですから、沖縄の人の反感を買いました。
 自民党時代に日米間で普天間基地の返還が合意されたのは、96年4月です。それから14年間混乱が続いています。この間になにがあったのでしょうか。5月18日の日刊ゲンダイによりますと、『当事者のひとりで、防衛庁次官だった守屋武昌氏が、中央公論1月号で暴露した話は生々しい。オネダリ次官として逮捕され、今なお、裁判中の守屋氏だが、その守屋氏が自民党の強欲ぶりに「驚いた」と告白している。それによると、歴代自民党政権がやってきたのは一部地元業者とタッグを組んだ埋め立て利権あさりだ。当初、話し合われた浮体方式(メガフロート)や杭を打ち込む桟橋方式(QIP)は金儲けにならないからと潰され、防衛庁が画策した陸上案も実現せず、埋め立て案が強行された。それも最初は滑走路は1本、埋立地も最小限の計画だったのに、「騒音だ」「危険だ」と騒がれ、埋立地はどんどん沖合にずれた。滑走路も1本からV字の2本に変更させられ、埋め立て利権が拡大されてきたのである。これだけでもあきれるが、安倍内閣では久間防衛相がさらに基地を沖合に移転させることを主張、自民党有力者も同調したという話が出て来る。さしもの守屋氏も「これには驚いた」と言い、「12年間も移設を実現できなかった、かっての自民党に民主党批判を言えるはずがない」と切り捨てている』と書いています。
 さらに日刊ゲンダイは『沖縄の宝は美しい海だ。だから埋め立て案には体を張った阻止行動が続けられた。それなのに金儲けのために埋め立て案を強行、拡大させてきたのが歴代自民党政権で、それを見直そうという鳩山政権が非難されている。これほどおかしな話はない』とも書いています。それにしても鳩山首相の空気を読めないのにすぐに約束するやり方は、政治家としては問題でしょう。しかし、この日刊ゲンダイに書かれたことも的を得ています。普天間の基地の台案については、また書きますが、県内は誰もが認めず(一部の辺野古案推進者は別ですが)、県外もダメ、海外もダメとすると案はいくらもないように思います。しかし、マスコミも鳩山政権を追い込まず、時間を与えてほしいものです。自民党政権では、米国と14年前に合意しながら、何も進まなかったのです。ここ1年や2年かかってもいいでしょう。どう思われますか。