2010年1月31日日曜日

外国人の地方参政権は違憲

 1月29日の産経新聞によりますと、外国人の地方参政権で、「憲法に完全に触れているわけではない」として、これまで理論の拠り所となっていた中央大学教授の長尾一紘氏が、自身が学説を紹介したことで外国人参政権付与が勢いづいたことに関して「私の読みが浅かった。慙愧に堪えない」と語っています。また鳩山首相が提唱する東アジア共同体、地域主権とパックの国家解体に向かう危険な法案だとも述べています。
 長尾氏は、過去には“憲法の許容範囲内”と言っていたものが、完全に禁止説に変わっています。これには、韓国が在外選挙権法案を成立させ、在日韓国人の本国での選挙権を保障したこと。また、日本に住民登録したまままで韓国に居住申告すれば、韓国での投票権が持てる国外居住申告制度を設けたこともあって、論拠が不合理になったと話しています。二国に選挙権をもつことは、通常ありえません。しかし、外国人の地方参政権を認めますと、二国で投票権が持てるという馬鹿げたことになります。これは、わたしのブログでも述べたことです。。
 また、長尾氏は理論的反省とも言っています。「法律の文献だけで問題を考えたのは失敗だった。国民とは、国家を守っていく精神、愛国心を持つものだ。外国人にはこれがない。日本国憲法15条1項は参政権を国民固有の権利としており、この点でも違憲だ」としています。
 さらに、「この法律は、憲法違反であり、国家の解体に向かうような最大限に危険な法律である。
また、中国人が24日の名護市の市長選挙で、わずか1000人引っ越せば選挙のキャステイングボートを握ることができた。これが、大きくなると日米安全保障を脅かす状況になる」とも語っています。
 長尾氏は、自らの間違いを正しているので、立派ではありますが、論文を発表する前に、これがどういう影響を与えるかということも学者であれば、考えてほしいものです。修正ではすみません。世の中には、発表しない方がいい論文もたくさんあります。いずれにしろ、民主党が馬鹿な法案を通さないことを祈ります。世間の方がよほど常識があり、選挙権を行使したければ、日本国籍を取りなさいと言っています。そうすると、腰かけではなく、日本に対する愛国心も生まれるでしょう。

2010年1月30日土曜日

貴乃花親方の理事選立候補

 日本相撲協会の理事選挙に貴乃花親方が立候補の届け出を28日に行いました。理事の席、10人に対して11人が立候補し、久しぶりの選挙ということになりました。驚いたのは、貴乃花を支持する親方が、6人もいたことです。長いものに巻かれろの時代に立派だと思います。貴乃花親方は、現役時代、唯一、八百長をしなかった部屋におり、常にガチンコ勝負でした。これがあって、若貴時代を作り、大相撲の人気を回復した大功労者です。ガチンコ勝負は他の部屋の力士には、嫌われました。7勝7敗であれば、千秋楽の相手が、勝ち越しをしているか、大負けをしている力士であれば、星を売ってくれます。しかし、見る人には、すぐ分かっているのですが、かなり横行していたようで、週刊誌に何度か取り上げられました。まだ若いという人もいますが、37歳くらいの若い理事が一人くらいいる方が、相撲協会にはいいと思いますが、2年後まで待てと理事長なども言っています。いっそ、この機会に1人増やして、11人して、多数決で決めれるようにした方がいいとも思うのですが、朝の赤枝さんの番組で、竜虎氏が相撲協会を弁護して、「新入社員が取締役の席を要求するものだ」と言っていましたが、こういう人が大相撲をダメにしたのでしょう。2年後は待てない貴乃花の気持ちは分かります。これからの角界を背負っていかねばならないのです。退職金の計算ばかりしている定年待ちの理事の席が空くのは待てないのでしょう。
 この初場所の最中に横綱朝青龍が、一般人に暴行を加えていました。被害者は、鼻を骨折するなどかなりの重傷だったようですが、朝青龍側は、怪我をしたのは、マネージャーだと言って、誤魔化そうとしていました。被害者は、被害届を出さずに示談の交渉中のようです。理事長も示談書の中身をよく調べてから対処すると言っていますが、結論ははっきりしています。これまでに5回の厳重注意が出ているにもかかわらず、甘い処分でした。これは、興業のことを考えるからで、これとは、別の次元の話です。横綱という最高の地位にあってこういうことを何回も繰り返す朝青龍には、本来、国技ともいわれる大相撲にいてもらっては、困ります。プロレスとは、違うのです。今回は、厳然と解雇を言うべきです。退席する時に親方の奥さんに手が触れて転んだだけで、解雇になった横綱双羽黒や、休場中に野球観戦に行った前田山も解雇になっています。理事長は、示談になれば、厳重注意意でお茶を濁し、示談にならず、警察が動けば、解雇しようと考えているのでしょうが、示談に関係なく、解雇すべきです。そして、真に強い、品性のある力士を作ることです。朝青龍を辞めさせるとともに、理事長、前理事長以下も辞職すべきです。この機会に空気を入れ替えるべきでしょう。朝青龍がいい土産を置いていってくれたというようなことになればいいなと思います。

2010年1月29日金曜日

中国の言論統制

 インターネット検索大手の米グーグルが、中国政府が「ネットの検閲」をやめなければ「中国から撤退も辞さない」と強硬に表明しました。これにクリントン米国務長官も「検閲は世界人権に違反する」と大上段にふりかぶり、メディアもこれに同調しています。産経新聞なども「グーグルは中国側の営業的な懐柔策に乗ることなく、本気で交渉に臨んでほしい」と書いています。
 どうもメデイアも中国を先進国と同じにしようとしていますが、少し無理があります。どうもこれらを書く記者は、日本の机の上に座って、書いているようです。グーグルがいうのが正しいと思っているかもしれませんが、ある面の危険を感じます。世の中がインターネットで動かされる感があります。とくに中国の場合は、まだまだ発展途上国です。ソビエトの崩壊を忘れておられないと思いますが、これを境にソビエト連邦はアメリカの思うままに解体されました。ロシアの国民は、貧苦に喘ぎました。石油が出てきたので、どうにか生活は落ち着いていますが、アメリカに対抗する力もなくなりました。西ドイツは、ベルリンの壁の崩壊とともに統一されたのは、いいのですが、その後、ドイツは経済の低迷に悩みました。中国は、まだまだ言論統制しないと、分裂する危機があります。分裂すると、どうなるでしょう。ソビエト連邦が崩壊した以上の影響が出ます。世界の景気は、凋落するでしょう。中国によって、辛うじて踏みとどまっている日本や世界の景気も底なし沼に落ち込みます。今、中国を崩壊させるべきではありません。
 多少の不自由さはあるでしょうが、わたしたちは、中国に行って、それほどの窮屈さを感じません。入ってはいけないところに入ろうとするルポライターは不自由を感じるでしょうが、ほとんどの人が中国にいて、不自由を感じません。昔は、電話は盗聴されていましたが、今はそういうこともありません。中国の幹部たちとも話しますが、発言を好ましくないと言われたこともありません。しばらくは、グーグルなどの発言に惑わされずに、見て上げた方が、結局は世界のためにいいと信じています。

2010年1月28日木曜日

京セラ社員のJAL利用

 稲盛名誉会長がJALのCEOに2月1日に就任することを受けて、京セラの川村誠会長は社員にJALの利用を呼びかけました。ところが、これが結構大変です。これまで、京セラは、ANAを利用していました(少なくともわたしが在職中は)。京セラは、各事業部の事業部会議、生販会議を月に各1回行います。これに開発関係の会議もあります。だいたい、工場で行いますので、かなりの大移動になります。鹿児島には、国分、隼人、川内の3工場があり、関西には、滋賀、八日市、伊勢、玉城があり、長野の岡谷、福島の棚倉、北海道の北見に工場があります。移動には、飛行機か新幹線が使われます。これらの会議には、課責任者以上が出席しますので、相当の人数が移動します。ANAにとっては、上得意でした。お返しに国分にあるホテル京セラにANAの客室乗務員が泊まってくれたりしていました。
 これが、JAL利用になると、すべてが変わります。ANAでマイレージを貯め、エグゼクティブのランクになっていた人もこれからANAでは、スタートからやり直しです。京セラ社員の困惑が、目に浮かびます。しかし、JALを使用せざるをえないでしょう。とくに地方空港の利用率が低いので、京セラ社員のJAL利用は、晴天の慈雨かも分かりません。

2010年1月27日水曜日

永住ビザ発行による日本経済の復興

 どうも日本の政治家は、創意工夫と観察が足らないようです。当選したと同時にボケ老人化した感じで、思考が止まるようです。日本経済の発展には、いろいろ考えて、金のかかることばかりをやっています。国債は借金です。わたしは、借金は嫌いです。借金は、甲斐性という人もいますが、国の借金は、次の世代への“ツケ”です。仕事もない、年金もない、あるのは借金ばかりで次の世代は、どうして生きてゆくのでしょう。
 ところで、香港はなぜこれだけ繁栄が続くのでしょうか。観光、金融、貿易が売り物ですが、どれもそれほどたいしたことはありません。観光と言っても、ビクトリアピークから見た夜景くらいです。金融も貿易もヤドカリ的で、いつ倒壊するか分からないものです。浮島の上の都市のような感じがします。
 ところが、香港政府がやっているのが、すばらしい。すなわち、永住ビザ発行ビジネスです。中国の人は、どこに行くにも基本的にビザが必要です。日本に来るためにも申請期間が2~3カ月かかります(観光などは、例外もありますが)。香港がやっているのは、第三国(ケイマン諸島でもOK)で永住権を持っていれば、650万人民元(約8500万円)の不動産を購入するか、金融資産を持つと、永住ビザを発行してもらえるというものです。今、ビザ待ちの人が、8000人います。この人たちが買った不動産・金融資産は、最低6812億円です。こういうお金の稼ぎ方はすばらしいでしょう。 
 普通に香港で永住ビザを貰おうとしますと、7年間住まねばなりません。8500万円で7年間を買うようなものでしょう。このために、香港の不動産が上がっています。中国の金持ちは、子供のために香港の永住権をとってあげ、そのために何億円というマンションを買っています。
 日本は、どうかといいますと、永住権をとるためには、10年間日本に住まねばなりません。なおかつ、このうちの5年間は働いていなければなりません。学生の間は、この5年には勘定されません。
日本も永住権ビジネスをやったらどうでしょう。日本で、不動産投資か、金融資産投資を2億円以上行うと永住権ビザを与えるという具合に。これに年齢制限を加えると、日本の平均年齢を下げることにもなりますし、1年間に2万人の申請があれば、4兆円の収入になります。増税をしなくても、これだけ収入を増やすことが出来るのです。
 これだけの資産を持っている人は、日本に来ても悪いことはしないはずです。このビジネスが出来るのも、あと数年です。このことに気づいて始める国が増えるでしょう。まったく投資せずに巨大な利益を生み出せます。この4兆円を何に使うか、考えるのは楽しいではないですか。是非、やってほしいものです。

2010年1月26日火曜日

徳島県上勝町の「いろどり」事業

 徳島県上勝町は、山や畑でとれた木の葉や小枝を料理に添える「つまもの」で、全国の大都市の高級料亭向けに出荷する「いろどり」事業で、「葉っぱをお札に変えた町」として有名になりました。この事業は、平均年齢67歳(女性がほとんど)の約150人の農家を中心に1人当たり平均年収は170万円となっています。高齢化率では、県内1位ですが、寝たきり老人は皆無に近く、1人当たりの年間医療費も格段に低いそうです。非常に示唆に富んでいます。
 上勝町の案内によると、1980年代は激動の時代でした。町の人口は年々減少し、主な産物であった木材や温州みかんは輸入自由化や産地間競争で、伸び悩んでいました。1981年には局地的な異常寒波が上勝町を襲い、ほとんどのみかんが枯死しました。一年間でみかんの売上は約半分となり、農家は大打撃を受けました。
 この歴史的大災害を乗り切るため、軽量野菜を中心に栽培品目を増やし(1981年8品目⇒82年14品目⇒83年24品目)、農業再編成に成功しました。続いて季節的要因の少ない椎茸に注目し、現在の年間売上約5億円と、成功を収めています。
 そして町の半数近くを占めるお年寄りが活躍できるビジネスはないかと模索したところ、"つまものビジネス"="葉っぱビジネス"が1987年にスタートしました。
 「葉っぱビジネス」とは、"つまもの"、つまり日本料理を美しく彩る季節の葉や花、山菜などを、販売する農業ビジネスのことです。 株式会社いろどり代表取締役である横石氏が「彩(いろどり)」と名づけてスタートしました。
 葉っぱビジネスのポイントは、軽量で綺麗であり、女性や高齢者でも取り組める商材であること。現在の年商は2億6000万円。中には、年収1000万円を稼ぐおばあちゃんもいます。
 それを支えるのはPC(ブロードバンド・ネットワーク)。 決まった数量を毎日出荷するのではありません。おばあちゃん達はPCを駆使し、全国の市場情報を収集して自らマーケティングを行い、葉っぱを全国に出荷するのです。 PCでは自分が町で何番目の売上を上げているかの順位等も分かるようになっています。こういったビジネスモデルのすべてが良い刺激になり、更なる発展へつながっています。
こうして見ますと、優秀なリーダーがおり、やる気があるとまだまだやれるということです。人間、諦めがもっとも悪く、生きがいを求めてゆけば、老人特有の病気になるリスクも低くなり、いつまでも元気になり、回りからも喜ばれるようです。また、いくつになっても競争という刺激は必要なようです。
 先に述べた、中国の女子大生が村長の村も、リーダーによって変わります。過疎の村も工夫次第でまだまだ再興できます。このためには、生きがいです。政府も農業に生きがいを与えてほしいものです。以前に大分県がやった一村一品運動ならぬ、一村一業運動でも各県知事は進めたらどうでしょう。

2010年1月25日月曜日

中国の女子大生村長

 1月6日の産経新聞によると、中国陝西省の山あいにある寒村の楡林市清澗県高傑村で19歳の女子大生の白一彫さんが村長になっています。「若さと知識で村を豊かにする」を選挙公約に掲げて、昨年1月当選しました。一部の村民によるリコール署名活動にも負けず活動を続けています。
 この村は、飛行場から山道を約7時間の山奥で村の戸籍人口は1000人余りで、1人当たりの平均年収は1000元(約1万3千円)で、まわりの村と比べても格段に貧しい村です。
 村長に立候補するきっかけは、2008年の村民委員会主任(村長)選挙で、男性候補3人の支持者が対立して混乱し、年末までに4回投票が行われましたが、誰も過半数に達しませんでした。そして昨年1月14日に出直し選挙が行われ、安康大学文学部2年生だった白さんが立候補したところ、清新なイメージが村民に受けて9割以上の得票で圧勝しました。村民の白小革さんは「元気の良さと大学で学んだ知識、都会的なセンスが村を変えてくれるのではないかとワクワクした」と語っています。
 テレビなどの取材に応じると「目立ちがり屋」と非難され、歳出削減のために村の幹部の交際費を削減した際には猛反発を受けてリコールの署名運動までに発展しました。
 白さんはいま、最大の公約である「酒造工場」の投資誘致を目指して商談を繰り返しています。
 村長を務めて一番つらかったのは、「酒を飲むこと」と答えています。この地方は宴会でお酒を一気飲みする習慣があり、倒れたこともあるそうです。この習慣は、この村に限らず、まだ中国の一派的な習慣です。 
 中国の農村が抱える最大の問題は何かという質問に、「若い人がみんな都会に出稼ぎにいってしまい、都市部と農村部の格差が広がっており、農村に残って頑張っても、夢や希望は見えない」と答えています。
 なにやら、日本にも似ています。しかし、日本の若者には、村の村長になろうという意気込みもなく、村民には若者を受け入れる度量もないように思います。

2010年1月24日日曜日

悪役を作るマスコミ報道

 最近のマスコミ報道は、どうも検察に手を貸すことが多いように思われます。今回の小沢幹事長の報道もそうですが、検察からのリークと思われる情報によって報道されているように思われます。今回の土地取得の4億円も残り1億円がどこから出たかが問題になっています。小沢幹事長側は、タンス預金であったと言うのでしょう。検察は、そんなはずはない、建設会社から貰ったはずだと言い、マスコミに流します。マスコミは、これに尾鰭をつけて報道します。もともと今回の件は、小沢氏が与党にいず、ダムの発注などに大きく関与出来なかったはずです。野党にいた小沢氏が、それだけの資金提供を受けたとすれば、直接発注の出来る与党議員には、はるかに大きな資金提供がなされたはずです。
 西松建設の社長が、べらべらとしゃべっていますが、証拠は何もありません。ひょっとすると、献金したという資金の多く、もしくは一部をネコババしたかも分かりません。わたしの考えは、一般庶民の感覚からはずれていないと思います。
 検察の手法は、怪しいと思うと、逮捕拘留し、その間に苦痛を与え、自白させるといったやりかたのようです。足利事件でもそうです。あれだけ菅家利和に強要したにもかかわらず、担当検事だった森川大司氏は、一言の謝罪もしていません。森川氏が特別にやった取り調べのやりかたではなく、検察内で一般にやられていた方法だったからでしょう。
 検察のやり方には、やはり透明性、公正性、公平性が必要に思います。1994年6月27日の松本サリン事件を思い出します。妻の澄子さんが被害に遭っているのもかかわらず、渡辺義行氏を犯人(容疑者)としました。渡辺氏は会社にもおられなくなり、退職し、澄子さんは意識が戻らぬまま2008年8月5日に亡くなりました。このときも、マスコミは一斉に渡辺氏を犯人として報道しました。自宅から試薬がいくつか見つかったというだけで。このあと、サリンはそう簡単に出来るものではないということが分かりました。ちょっと専門家に聞けば、そのことくらいは、すぐに分かったはずです。
 どうもマスコミは、悪役を作ろうとしているようにしか見えません。怖いのは、どのテレビも新聞も検察に踊らされたように同じ書き方であることです。良心があれば、また分析能力があれば、検察を咎めるような報道があってもいいはずです。テレビ朝日や朝日新聞のトップが拘留されたらどういう報道の仕方をするのでしょう。
 マスコミも社の全力を挙げて透明性、公正性、公平性に努める必要があるでしょう。鈴木宗男氏のように意思の強い人は、400日間以上の拘留にも耐えることが出来ましたが、普通の人には無理です。鈴木氏の場合は、わずか3畳の窓もない部屋で拘留されたようです。エアコンもなかったそうです。これだけの環境で耐えただけでも鈴木氏はえらいと思います。以前にも書きましたが、マスコミは、今や第1主権者です。その認識をもって、社員を採用し、教育し、事件に臨み、報道してほしいものです。

2010年1月23日土曜日

グーグル、中国での携帯端末の販売を延期

 アメリカのインターネット検索大手のグーグルは、中国国内からのサイバー攻撃や、政府のネット検閲などを批判して、中国からの事業撤退も辞さない方針を示していますが、20日に予定していました中国での携帯端末の発売を延期すると、19日に発表しました。
 グーグルの携帯端末は、独自開発した基本ソフト「アンドロイド」を搭載した携帯端末2機種(モトローラ製XT701とサムソン製GT-i6500U)でした。これを中国聯通から発売する予定でした。今月、表面化したグーグルと中国当局の対立が影響している可能性も指摘されていますが、延期の理由は明らかにされていません。中国聯通は、グーグルのGphone共同開発計画は現在も進行中だと発表しています。Gphoneとは、グーグルの基本ソフト「アンドロイド」を搭載した携帯電話を指します。Gphoneには、Gmail、Google Maps、YouTubeなどGoogleの製品が組み込まれています。07年、グーグルは業界企業33社とOpen Handset Allianceを結成し、共同でオープンソースモバイルプラットフォーム「アンドロイド」を開発してきました。中国移動、中国電信、中国聯通もOpen Handset Allianceに加盟しており、中国移動と中国電信もアンドロイドを搭載した携帯商品を打ち出しています。
 「アンドロイド」を搭載した携帯端末は、すでにアメリカやイギリス、シンガポールなどで20機種以上が販売されていて、検索や地図機能などグーグルが提供するさまざまなサービスが利用できます。
 グーグル開発のスマートフォン「ネクサス・ワン」は、台湾のHTCで製造し、発売しますが、これはもともと中国での発売予定はありませんでした。
 いつまで販売を延期するのか分かっていませんが、中国は今や世界最大の携帯端末市場です。ここからグーグルが本当に撤退するのか、注目されます。

2010年1月22日金曜日

香港ディズニーランドは09年も赤字

 香港ディズニーランドの昨年の入場者は460万人で、一昨年よりも2%増え、売り上げは25億4000万人民元でしたが、13億1500万人民元(約172億2650万円)の赤字が出ました。これまで、累積1900万人が訪れました。
 香港サィエンスパークは、日本のディズニーランドの3分の1くらいの規模しかなく、すこし大きめの遊園地という感じです。入場料はディズニーランドと変わらないくらいに高かった記憶があります。ここで売っている土産は、結構、実用的で、ミッキーマウスの傘なども買いましたが、いまだに使えます。
 しかし、上海ディズニーランドの建設工事も始まっていますので、開園された後は、閉園の憂き目にあうかも分かりません。香港の人口は、700万人ちょっとですので、中国からの来園を期待せねばなりませんが、香港ディズニーランドに行くには、いまだに事前に許可をとらねばなりません。

2010年1月21日木曜日

グーグルが中国から撤退

 インターネット検索最大手の米グーグルが中国政府にネット検閲をやめるように申し入れましたが、中国政府の「国際的なネット企業が法に基づいて業務を展開することを歓迎する」とした発言と、「Gメールがサイバー攻撃を受けた」として、グーグルは中国からの撤退を決めました。
 グーグルは中国側の要請で続けてきた自主規制を一方的に解除して、1980年の天安門事件やチベット仏教の最高指導者のダライ・ラマ14世を検索すると写真が表示したりということを行っていました。しかし、今は、これらは閲覧できません。ヤフーなどは、中国側の指導におとなしく従っています。
 今回のグーグルの中国からの撤退に対しては、北京の一部では、「言論の自由を大切にしている」として、支持している人もいますが、大方の人は、グーグルは中国でのシエアも上がらないために、責任者が責任を回避するために、撤退理由を“中国の検閲”を理由にしたと話しています。たしかに、中国の百度がシエア62.1%で、グーグルは半分以下の29.7%と大差をつけられています。
 香港などは、今回のサイバー攻撃は、グーグル社員が内部で行ったものだと書いています。真実は分かりません。
 たしかにわたしのブログも中国では見ることが出来ません。わたしの場合は、どちらかというと、親中派と思うのですが、海外の情報は、極力、流さないようにしているのかも分かりません。そのうち、中国も変わって来るだろうと思っています。いきなり、体制が変わるようなことはありませんから、中国では、じっくり取り組むことが必要です。中国は、建国60周年と若いのです。あわてるといいことはありません。

2010年1月20日水曜日

外国人の参政権法案

 どういう意図か、永住権を持つ外国人に対して地方参政権を与えるという法案が、小沢幹事長が強く推していることから、可決される可能性が高くなっています。
 わたしは、かなりなことは、小沢氏の考えには、同調できますが、これだけは賛成できません。いつから、こういうことになったのでしょう。韓国では、大統領の選挙権を海外の韓国人にも与えていますので、日本にいる韓国人(永住権を持つ)には、日本と韓国で投票権を持つことになります。基本的に参政権などを得るには、その国の国籍を取ることだと思います。母国にも帰りたくない、しかし日本での参政権を得たいというのは、日本人にとっても迷惑でしょう。一部の社民党の国会議員が税金を納めているから、参政権を与えるのは当たり前だとか、言っていましたが、こういう脳みその構造でも国会議員になれるのが、日本の不幸です。税金は日本での公共のサービスを受けるために必要なものです。参政権とは、まったく次元の異なるものです。もう少し勉強してほしいものです。わたしは、もし中国に住んで、永住権がとれて、それ以降も中国に住みたいと思えば、帰化することを考えるでしょう。しかし、帰化したくないのであれば、日本での参政権を行使します。中国での参政権を得ようとは思いません。
 多くの県、市で外国人の参政権に反対しているのは、憲法第15条の「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とはっきり明記してあります。日本国籍を有する国民にしか参政権は与えられないのです。
 小沢幹事長には、2000年から秘書に抜擢した金淑賢さんという人がいるようです。彼女は、反日活動家でした。一部の週刊誌には、このことを書いていました。この人に影響されたわけではないでしょうが、正常に頭をリセットしてほしいものです。そのために検察も小沢氏を狙っているのではないでしょうか。国会前に逮捕されますと、この法案は可決されないでしょう。

2010年1月19日火曜日

中国の不動産バブルの崩壊

 崩壊というのは、多少言い過ぎでしょうが、かなりそれに近い線まで低迷するでしょう。中国では、不動産が上がり過ぎて、不動産を持っている人と持っていない人で階級が分かれています。すなわち、不動産を持っている人は、富裕層で、持たない人は貧困層といった具合です。北京、上海などは、日本よりも高くなったと言えます。とてもサラリーマンには買えません。しかし、少し前には買えたのです。だれもが、こうも高くなるとは思っていませんでした。買えなかった人は、今は高くなりすぎて買えず、賃貸住まいです。
 中国政府は、この行き過ぎた不動産投資に抑制をかけることにしました。すなわち、不動産を購入するときの頭金は、これまでゼロでも買えましたが、これ以後は、40%です。そして、金利も0.5%上げました。金利は、為替や景気、株に対する影響もあって、すぐには大幅には上げられないでしょうが、頭金40%は少しきついと思います。これまでは、頭金がいらなかったので、比較的何も考えずに買えましたが、40%となると、そうはいきません。自分で貯金してからと思っていますと、貯まるスピードよりも値上がりのスピードの方が速いので、永久に追いつきません。あとは、両親からの支援でしょうが、普通のサラリーマンの場合は、両親もそれほどお金を持っていません。
 ということで、崩壊というのは、行き過ぎでしょうが、もうあまり上がらなくなるでしょう。投機目的で、2つ、3つとマンションを買っていた人が苦しくなり、投げ出し物件が出てくるでしょう。これに経済の回復が遅れると、アメリカのようなことが起こります。  
 バブルというのは、バブルの中にいる時には、分かりません。過ぎ去って初めて分かるという厄介なものです。人間、“足るを知る”が大事なようです。

2010年1月18日月曜日

普天間は佐賀空港へ

 昨年の11月10日の日刊ゲンダイによると、この時点で民主党の煮え切らなさに苛立っています。鳩山首相の「来年(今年のこと)1月の名護市長選の結果を見て判断したい」などととぼけた発言をしています。総選挙では、沖縄選挙区の4選挙区ですべて現行案(辺野古埋め立て案)に反対する候補が当選しています。世論調査でも現行案反対が67%、嘉手納統合案反対が72%、県外・国外移設賛成が70%と答えは出ています。しかし、県外・国外も難しい話でしょう。橋下大阪府知事は関空にどうだといっていますが、府民の賛成は得られないでしょう。
 ここで、提案されていたのが、佐賀空港です。ここは、飛行機の離着数が少なく、周囲に住宅もありません。米外交官も“もってこいの場所”と述べたようです。海兵隊基地が佐世保に近い佐賀空港であれば、有事の場合の出撃時間を大幅に短縮できるというものです。佐賀から北朝鮮まで760キロ、沖縄からだと1400キロなので、半分になります。こういう案は、なぜかあまり出て来ませんが、検討の余地はあるように思います。

2010年1月17日日曜日

太陽光発電に比べて損な風力発電

 1月11日の産経新聞によりますと、太陽光発電に比べて風力発電は損なようです。全国で稼働する大型の風力発電設備は平成14年度には576基でしたが、現在は1500基に増加しているようです。この7年間で2.6倍に増えたことになります。
 昨秋から始まった新制度で、太陽光発電の場合は1kWH当たり48円で買い取ってもらえるのに対して、風力発電を併設していると、太陽光発電以外の電気が配電線に流れないようにする逆流防止装置を設置しなければ12円前後に抑えられます。これまでの買い取り価格は太陽光、風力にかかわらず自然エネルギー分は、24円でした。
 逆流防止装置は費用が数十万円する上に、小型の風力発電設備に設置するのは技術的に不可能だといわれています。小型設備を併設しているユーザーからは「損をするので撤去したい」という不満が、業者や国に寄せられているといいます。このために小型風力発電設備メーカーの「ゼファー」は昨年12月に減少分の差額となる1kWH当たり36円を補填することを決定しました。
また、一方で、風力発電所の周辺では、健康被害を訴える人が出て来ました。報告は全国にまたがり、特定疾患がないのにめまいや動悸、耳鳴りなどの悩まされるといいます。風車の回転による100ヘルツ以下の低周波数の音波が原因ではないかという指摘もありますが、因果関係は現時点では不明だそうで、時間をかけて調査します。
 風力発電は、グリーンエネルギーの代表のようにいわれていましたが、いろいろ問題が出て来ました。また、渡り鳥が風車に当たって死ぬということで動物愛護協会からもクレームが出ていることも報告されています。国も太陽光発電を世界一にしようと思っています。風力発電には、それほど興味を持っていないのでしょう。残念ながら太陽光発電メーカーは大手が多いのに対して、風力発電はベンチャーが多いために経産省への働きかけも弱いということもあるかも分かりません。

2010年1月16日土曜日

日航OBの欲ボケ

 日航の再建案は、法的整理で会社更生法の適用に決まったようです。裁判所の決める管財人によって、粛々と進められてゆきます。しかし、日航が倒産というのは、さびしい限りです。若い時に海外出張から帰国するときに日航の当時スチュワーデスと呼ばれていた人たちの笑顔を見ると、「あー、日本に帰った」と思ったものです。
 そして、今回の再建。日航と国土交通省は、私的整理を考えていましたが、企業再生支援機構などによる法的整理になるようです。この大きな理由のひとつは、多額の企業年金の問題です。OB、社員に年金の圧縮を求めましたが、社員は応じたものの、OB9000人のうち、4000人程度の合意しか得られなかったためです。3分の2の同意が必要です。
 会社更生法の適用でどうなるのか。日航が債務超過なので年金の強制放棄といった大なたをふるうことも可能です。そうすると、年金の3分の1の放棄などでは、すまない大損になります。現役中も世間の給与よりもはるかに高い給与をもらい、退職後も世間相場の数倍をもらっていたのですから、苦しい会社の状況を理解してあげるべきではなかったかと思います。たしか、松下電器産業でも同様のことを行ったと思いますが、こちらは倒産寸前という状況でなかったにもかかわらず、OBたちは、年金の圧縮に了承したように聞いています。そのほかの企業でも実施されたはずです。あまり、欲深くすると、元もなくなります。
 参考までに、株券は、どうかといいますと、100%減資されることもあり、この場合は、当然のことながら、株券は紙屑同様になります。

2010年1月15日金曜日

日航の法的整理

 官民ファンドの企業再生支援機構は法的整理案を提示し、日航と国土交通省は私的整理での再建を主張していましたが、どうやら法的整理に落ち着いたようです。私的整理は裁判所が関与しないために、民事再生同様に債権者らの合意が条件で調整が困難なことがあります。高額な年金の穴埋めに資金が流用される、企業年金を制限する特別立法も憲法の財産権に抵触する危険性があって難しいようです。
 結局、法的整理となり、会社更生法の適用を受けます。倒産というイメージはついてまわりますが、仕方がないでしょう。企業再生支援機構は約3000億円の出資をするほかに約4000億円の融資する方向で調整しているようです。一方で、金融機関には、2500億~3500億円程度の債権放棄を求める方向です。
 先に前原誠司国土交通相直轄の専門家チームが査定した債務超過額は、2500億円としていましたが、実際は7000億円程度になったようです。このチームは、このコンサル料として10億円を日航に請求したそうです。
 企業再生支援機構は、上の7000億円のほかに日航の取引金融機関のつなぎ融資に6000億円の保証を与える方向ですので、最大1.3兆円の金融支援を検討していることになります。
法的整理をしたのは、アメリカの自動車最大手のGMも同様ですし、そごうも法的整理を経て再建を果たしています。
 しかし、日本の航空会社は世界でもっとも割高な着陸料や航空燃油税を徴収され、政府はそれを原資にして利用客の少ない地方空港を次々に建設して来ました。この無駄な構図を解消しない限り、航空の自由化に勝てないと思いますし、顧客も逃げてゆきます。この機会に徹底的に膿を出してほしいものです。わたしは、JALは好きで、年に100回弱、乗っています。

2010年1月14日木曜日

日航の法的整理後のCEOに稲盛氏

 法的整理に向け、19日にも会社更生法の適用の申請が予定されていますが、法的整理後の最高経営責任者(CEO)に京セラの名誉会長の稲盛和夫氏(77)に委託されるようです。日航の再建は、民主党にとっても非常に重要な課題です。自民党政権であれば、絶対に起用されることはなかったと思いますが、手腕的には、申し分ありません。わたしも13年間勤務していましたので、京セラのやり方は、こういった再生には、非常に適した経営方式です。さらに稲盛氏は、カリスマ性もあり、適任でしょうが、なかなか厄介な再建になるでしょう。年齢的にも心配です。
 日航はこれまで政治的にも利用され、地方空港への便を強要されました。割高な着陸料も経営を圧迫し、世界の航空会社との競争にもハンディキャップを負っています。
 現在、日航の資本金は2510億円ですが、90%以上の減資する方向ですし、場合によっては、100%減資もあるようです。そうなると、上場維持は出来なくなり、上昇廃止になり、株券は紙くずになります。
 稲盛氏は、冷徹に見えて、一般社員にはあまり冷酷ではありません。したがって、日航社員にとっては、いい方向になるのではと思っております。ただ、平均年収が、810万円と高いのが気懸りです。

2010年1月13日水曜日

麻薬密輸の英国人の死刑執行

 麻薬密輸で逮捕されていたパキスタン系英国人のアクマル・シャイフ死刑囚が、29日に死刑執行されました。ブラウン英首相も直接、温家宝首相に電話をかけて死刑執行を延期すること、精神鑑定をすることを要請しました。駐英中国大使にも死刑の執行の停止を求めましたが、「中国の司法制度は政府から独立している。麻薬所持は50グラムでも死刑だ」として、死刑は妥当との見解を出しています。事実、中国では、日本人男性4人を含むアジア、アフリカ国籍の十数人が麻薬密輸の罪で死刑判決を受けています。
 シャイフ死刑囚は2007年9月にタジキスタンから新疆ウイグル自治区のウルムチ空港に到着した際にスーツケースにヘロイン約4キロを所持しているのが見つかり逮捕されました。本人は「中国で知り合った男からスーツケースを渡された。中身は知らない」と話しています。08年10月に地方の裁判所で死刑判決を受け、控訴しましたが、棄却され、09年10月に死刑が確定しました。中国で欧州の市民に死刑を執行したのは、1951年以来ということです。
 今回の事件では、英政府が中国の司法に口を出そうとしたという印象を中国国民に与えたようです。嘆願という態度ではなく、強要という態度に見えたのかも分かりません。外交上手といわれた英国にしてもこの結果です。わたしも思い起こしましたが、中国には、アヘン戦争という屈辱的な歴史があり、「中国はもはや英国の植民地ではない」という報道もあったようです。そういう歴史認識が、加害者であった英国にはなかったのかもしれません。
 これが、日本だったらどうでしょう。日本では、麻薬では死刑にはならないようですが、死刑の判決を受けたひとの死刑の執行をやめろと海外から言われた時に毅然と執行できるでしょうか。麻薬は、社会の害悪ですので、日本ももっと厳しくすべきでしょう。これほど氾濫させているのは、法に甘さがあるからかも分かりません。
 今回の中国の態度には、麻薬は絶対に中国に持ち込ませないという毅然な態度が出ていました。英国政府ももっと下手に出ていれば、死刑執行はこれほど急いでやられなかったかもしれません。
 オーストラリアには、日本人で、ツアーに参加し、ひとに頼まれたスーツケースを持ちこもうとして、逮捕され、終身刑もしくは無期懲役になっている人がいます。このひとは、ほんとに頼まれただけのようでした。外務省が動いてもまったくダメでした。現在も服役中です。軽い気持ちでスーツケースや荷物を預かると、非常に危険です。入国の時には、絶対にひとからものを預かってはいけません。
 

2010年1月12日火曜日

カリスマ

 カリスマについて、津本陽氏は、次のように書いています。
 カリスマは、本来、神から特別の賜物を授かった人という意味だそうです。その資質は人から与えられたものではなく、自身の努力で獲得したものではないというのです。つまり、そういう人として生まれてきたというわけです。
 しかし、生まれつきの資質だけで、絶体絶命の場面で人を動かすだけの説得力を持ちえるでしょうか。やはり、何がしかの実績の積み重ねがあってこそ、初めて人を説得し、従わせることができるようになるのです。
 記録によると、信長は生涯におよそ130回に及ぶ、敵味方入り乱れての野戦を戦っています。家康と秀吉はそれぞれ150回、毛利元就に至っては260回に及ぶそうです。野戦では陣営をまとめるために、大将みずから旗や馬印を挙げ、自分の居場所を示します。これは非常に危険なことで、敵は手柄を立てるため大将をめがけて攻めてくる。大将は足軽などよりも、はるかに危険な立場にあったのです。こうした野戦を生き延びてきた百戦錬磨の経験が、みずからを成長させ、また家臣を瞠目させたのです。こうして彼らはうまれついてのカリスマ性を、さらに高めていきました。
ところが、明智光秀は生涯において、野戦の経験がほとんどない。唯一の例が、秀吉と天下を争った山崎の合戦でした。その他の戦いは、すべて城という要塞を攻める補給戦でした。彼には決定的に経験が足りなかった。カリスマ性というものは、血で血を洗うような修羅場をいくつもくぐり抜けることでほんとうの力になっていくのです。
 誰もが、カリスマ性を持ちたいと思うのですが、なかなか持てません。これは、人がそう思うものであって、自らが思うものではありません。むかし、カリスマ性のある人間になるには、刑務所に入った経験があること、大病にかかって生死をさまよった経験があること、もうひとつあったのですが、これは忘れました。戦争の経験があることであったかも分かりません。現代社会においては、野戦の経験などは経験できませんが、今、書いたことはできます。わたしも心臓のバイパス手術の後、院内感染にかかり、もうすこしで死ぬところでした。おかげさまで世の中が、よく見えるようになりました。10日前後、死地を彷徨いましたが、2度と経験したくないほどに苦しいものでした。あまりの苦しさに入院している病院から飛び降りようとしたほどでした。
 みなさんの中でこのひとは、カリスマ性がありそうだと思われる方の名前を書いてください。この人であれば、不可能と思われることでもやりこなすであろうと思われるひとと解しても結構です。JALの法的整理後のCEOに名前が挙がっている稲盛和夫氏もカリスマ性を持っておられると思います。

2010年1月11日月曜日

オンラインゲームで「朝鮮海」表記

 1月5日の産経新聞によりますと、日本製のオンラインゲーム、「大航海時代 Online」シリーズの「El Oriente(エル オリエンテ)」で、日本海を「MER DE COREE」と表記されていることが分かりました。フランス語で「朝鮮海」という意味です。
 これには、多くの日本人から、「大変不愉快!」、「どこの国の企業か」、「日本人ユーザーの気持ちを無視している」など、ホームページへ修正を求める書き込みが相次いています。
 このゲームを開発した大手ゲームソフト「コーエー」(横浜市)は、「現存する古地図をそのまま利用した。修正は予定していない」と話しています。この大航海シリーズは、日本人ユーザー3万人の人気シリーズです。
 日本海の呼称については、韓国がノムヒョン大統領時代に「東海」との併記や、「朝鮮海」への表記変更を求めていました。「日本海」の呼称は、植民地時代に押しつけられた表記だと強弁しています。
 ところが、外務省が平成16年にフランス図書館所蔵の19世紀に発行された古地図を調査したところ、「日本海」表記は249枚あり、「朝鮮海」はわずか60枚で、歴史的に「日本海」という表記が一般的であったと判明しています。もっとも韓国は東支那海の表記にもケチをつけています。竹島も韓国領といい、軍隊を送り込んでいますし、対馬すら、韓国領と称して、せっせと土地買いに走っています。困った国です。為政者の常として、国内が治まっていない時には、国民の目を外に向けようとします。
 しかし、ゲームソフト会社の「コーヨー」の社長、もしくはゲームの作成者は、韓国人かも分かりません。古地図の中からあえて、20%しかない「朝鮮海」、「MER DE CORRE」を探すのは、大変だったでしょう。それをあえて探し出して、載せ、かつ修正の予定はないというのは、確信犯と思われます。愛国心のかけらがあれば、是非、韓国での発売前に修正してほしいものです。

2010年1月10日日曜日

中国人学生が外国の大学の面接で、不合格になった理由

 米国のペンシルベニア大学が最近、中国の上海で新入生の面接試験を行いました。その中には。
国際数学オリンピックの選手で有名になった学生もいました。その学生は、面接の時に、教授の質問に次のように答えました。
 
 教授:成績は非常に優秀ですね。なぜ勉強するのですか。
 学生:お金を儲けるためです。
 教授:なぜお金を儲けたいのですか。
 学生:世界を旅行したいからです。
 教授:世界旅行以外に何をしたいですか。
 学生:家を買いたいと思います。
 教授:家を買ってから何をしたいですか。
 学生:両親に一緒に住ませたいです。

 最終的に、この学生はペンシルベニア大学に不合格となり、入学できませんでした。大学側は、不合格の理由は、「社会に返すという心がないからです。われわれは社会に価値のある人材を育成することが需要だと考えています」と答えています。
 以前も、勉強の成績が優秀な学生が海外に留学した後に自分の勉強の目的を失い、インターネットやゲームに熱中したりして、最終的に自分を見失う人もいました。このような例をたくさん見てきていますので、学生が入学する前に、面接を行うことにしたそうです。
 今、中国の問題は、金儲けに熱中していることです。金儲けできれば、何でも出来るといった風潮があります。事業に成功すれが、大きなマンションに住んで、きれいな女性をはべらすことが出来るといったおよそ共産主義の思想とは合わないことをやっている人を星の数ほどに見ます。愛人マンションまであります。今後、中国人は、どちらに向かうのでしょう。中国には、四書五経という立派な教科書があるのですが。

2010年1月9日土曜日

崔中国駐日大使が外交副部長に

 4日の新華社通信によると、中国政府は、崔天凱駐日大使(57)を中国に戻して、外交部(日本の外務省)の副部長(副大臣)にする人事を発表しました。後任は、程永華駐韓大使(55)が有力と見られています。
 崔大使は、武大偉副部長(63)のあとを受けて、6カ国協議の議長になるはずですが、武氏が引き続き、務めるとの噂もあります。崔大使の日本赴任は、2年ほどで、比較的短かったように思います。わたしは、一昨年と昨年と中国建国記念式典に招かれたり、中国大使館でお会いしましたが、非常に実直な方でした。日本語が出来ずにご苦労されたようですが、天皇陛下と習近平副主席との会談なども成功させ、ミスなく任期を終えられたと思います。崔大使が、日本のテレビに出演されたのは、フジテレビが初めてでした。そのときも、フジテレビのアナウンサーのチベット問題を含む多岐に亘る質問にも適切に丁寧に冷静に答えられ感心したものでした。日本の大使では、無理なのではと思ったりしたものです。よく勉強されています。
 崔大使の前の王毅大使も副部長兼書記で戻られました。日本の大使をやることは、中国外交部にとっては、重要な道のようです。
 後任と見られている程永華駐韓大使は、以前に駐日公使を務めました。知日派で知られ、日本語も堪能で、日本での留学経験もあり、日本の経済界、政界にも知人が多いようです。日本との関係強化にも最適な人物と見られているようです。
 これに比べて、日本の大使人事はどうなのでしょう。駐中国大使の宮本雄二氏は、わたしの高校の後輩なので、エールを送りたいところですが。成果がまったく見えません。今後は、中国との関係が、これまで以上に重要になるので、優秀な人材を送り込んでほしいものです。くれぐれもどこかの党の総裁のように中国でハニートラップにかかるような人でないことを祈りたいものです。

2010年1月8日金曜日

世界に冠たる国の寿命

 戦後、日本はアメリカに追随し、アメリカの核の傘の下で、経済力のみで生きて来ました。経済界も別に難しい舵取りをせずとも高成長を続けることが出来ました。これには、日本の教育制度も寄与しました。規格の揃った社員を生み出して来ためです。
 明治時代においても、日清戦争において、清の艦艇は、中国人が動かせず、軍艦の製造国の水兵によって動かされました。清の場合は、ドイツの水兵によって、操作されていました。ヨットであれば分からないではありませんが、軍艦の場合はそういうわけにはいかないでしょう。単に雇われただけですから、戦況が悪くなると逃げ出します。日本の場合は、もちろんすべて日本人が動かします。これによって、3倍も大きさが違う清の戦艦を破りました。日本の企業も、戦艦による勝負の時は、日本の純血主義はよかったのでしょうが、アメリカ自身が変わって来るとこの経済モデルは、成り立たなくなりました。長年、日本の国民がせっせと貯蓄していたのに自民党政府は、何の方針もなく、湯水のごとく使い果たしました。そして、非戦闘員である官僚や外郭団体が水膨れで太り、今日のだらしない日本になりました。身体でいいますと、筋肉はぶくぶくで、内臓は疲弊しています。足腰も非常に弱くなっています。
 そして、今、日本の傘になっている世界に冠たるアメリカの寿命は、大丈夫なのでしょうか。危なくなったアメリカは、金融市場で手品のような手口で世界のお金を集めています。しかし、世界に冠たる国家は、100年で寿命が尽きるといわれています。わたしの記憶にもありませんが、イギリスの繁栄は約100年続きました。アメリカも頂点に立って、約90年が経過しています。あと10年ほどしか残っていません。アメリカの力にも変調を来たしています。アフガニスタンもイラクもイランも北朝鮮もアメリカのいうことを聞きません。基盤も盤石ではありません。MicroSoftやGoogleは、個々の方面のトップに立っていますが、会社が出来て、トップに立つまでの期間は、わずかな時間です。トップに立つまでの時間が短いと衰退する時間も短いといわれています。
 これからどうなるのか。アメリカ、EU,中国、そして願わくば日本、の多頭世界が出現するのでしょう。そのときに日本は、どう生きるのか、その青写真もありません。こういう時代になると、日本のリーダーには、非常に心許なさを感じます。毎年毎年、アメリカのダッチロールはひどくなります。この時期に政権交代があったことは、日本国民にとっては、喜ばしいことでした。新しいリーダーには、日本の進む方向を明確に出してほしいものです。メディアも単に政府の足を引っ張るのではなく、建設的な意見をまとめてほしいものです。

2010年1月7日木曜日

信長と秀吉の構想力の違い

 NHK教育テレビでも朝鮮半島と日本との歴史について何回も放送しています。その中で、秀吉が行った文禄・慶長の役、韓国ではイムジンウェランといいますが、これは、その後の日本に対する朝鮮人の認識を非常に悪くしました。朝鮮国土を荒廃させたうえに多くの職工、職人を日本に連れ帰って来ました。秀吉は、すでに国内には分け与える知行がないために朝鮮の征服を狙ったと書いています。また、これは信長の構想であったと書かれているものもありますが、どうやら信長の構想とは違うようです。信長は、壱岐・対馬経由で朝鮮を従えて明に入るということではなく、一気に明の港を抑えるつもりだったようです。そのあとは、フィリッピンに進出し、インドのゴアに入り、ゆくゆくはヨーロッパまで行くつもりだったかも分かりません。信長は、当時、宣教師に地球儀をもらい、世界がどうなっていたかも聞いていました。そして、彼らが乗って来る帆船も知っていました。こういう構造の船でなければ、速く遠くまで、多くのものを運べません。そのために、大航海の出来る竜骨構造の船も造らせたでしょう。秀吉のように安宅船での海外遠征は考えていなかったと思います。鉄の船まで考える信長です。
 当時、日本には、50万人を超える職業軍人がいました。鉄砲も30万丁ぐらいはあったと推定されます。金、銀ともに大産出国でした。インドのゴアに行って貿易することも可能です。明の港を抑え、フィッリッピンのマニラ、ベトナム、タイからインドまでは、征服したかも分かりません。秀吉は、朝鮮出兵のために2000隻の船を用意したそうですから、信長もヨーロッパ式の帆船でそれだけの船を製造させたしょう。また、安宅船は構造上、大砲を乗せれませんでしたが、帆船には乗せれます。当時のヨーロッパでも50万人の兵はいません。ヨーロッパまでは、行かなかったかも分かりませんが、現在の東南アジアは抑えたかも分かりません。おそらく世界の歴史も大きく変わったことでしょう。それにしても信長はすごい構想力の人物でした。

2010年1月6日水曜日

戦う前の準備

 先に信長のパフォーマンスについて書きましたが、おおよそ信長はそういうことをしない人でした。戦をやるときには、7割方勝利が確信できるまでは戦を始めません。美濃を落とした後も上杉謙信、武田信玄には、信長とは思えないような卑屈な態度をとっています。極力、この二大勢力とは、戦をしないようにしました。なぜなら勝てる自信がなかったからです。体力の育成に努めました。しかし、単なる怖れではありません。情報をしっかり集めていたのです。その集まった情報から、捨てるものは捨て、役に立つものは使いました。戦国武将の中で、もっとも情報を大事に考えたひとりでした。この情報があるゆえに情報操作も行えました。戦わずして、内部分裂させたこともあります。信長の素晴らしかったことは、次にどう展開するかという構想力に長けていたことです。
 これを今のビジネスに当て嵌めて考えますと、非常にお粗末です。たとえば、これからは中国ということで、わたしどもは10数年前から、中国の重要性を訴えて来ました。みなさん、それは理解されるのですが、その構想力、情報収集力、分析力が、お粗末すぎて、最終的には失敗されます。山に譬えますと、登れる道がありますのに、どういうわけか崖崩れがあったり、道が切れているところを登られます。ビジネスには、大きくは情報に入るのでしょうが、どういう人を知っているのかも大事です。中国では、特に大事です。伸びている国には、チャンスも多くころがっています。幸いにわたしどもが、コンサルタントをやっている会社は、うまくいっています。いうことを聞かない会社は、チャンスを逃します。

2010年1月5日火曜日

信長のパフォーマンス

 信長という人は、かれの人生において、パフォーマンスをあまり行いませんでした。しかし、かれの最大の危機、しかも勝てる見込みのない戦で、パフォーマンスを行っています。すなわち、今川義元を桶狭間で討ち取る戦いに出陣する前です。10倍以上の今川勢です。しかも、京都に上って天下をとろうという意気込みも今川勢にありました。これに対して、信長は怯むことなく、果敢に勝負を挑みました。
 信長は、清州城を出る時にわずか200ほどの手勢で出発しました。しかも勢いよく。これによって、兵は大将の自信に満ちた態度に安心し、勝てるのではと思います。結局、残りの兵も熱田神宮で揃います。そこで、信長は、二つ目のパフォーマンスを行います。信長は、熱田神宮で戦勝祈願します。祈願中に静かな誰もいないはずの祭壇の奥で御幣が鳴りました。次に白鷺が飛び立ちました。最後は、信長は、一文銭を宙に投げ、「表が出たら吉、裏が出たら凶」と言います。そして、表が出ます。これは、一文銭を2枚貼り合わせているのですから、何百回、投げても表が出ます。しかし、兵は信じます。
 津本陽氏も「太平洋戦争の際も、敵に取り囲まれた絶体絶命の局面で、心身ともに消耗しきっていた兵士たちが、師団長が顔を見せただけで息を吹き返したことがあったそうです。緊張の極みにある状況では、リーダーの姿そのものが部下に何よりも勇気を与え、活力を取り戻させることもあるのです」と、書いています。リーダーの大切さが、今日ほど求められている時代はないように思います。リーダーは、誰にも負けないという意気込みと熱い思いを部下に見せる必要があります。強いリーダーを求めたいものです。

2010年1月4日月曜日

北京の大雪

 1月3日の北京は、大雪でした。北京は、雪が少ないところです。乾燥している土地です。したがって、スタッドレスタイヤを装備している車もほとんどいません。ですから、雪が降ると大変です。交通にも影響します。国際空港は、3日42便が欠航しました。市内の道路は、渋滞などが目立ちます。北京は、40年間で最低の気温-16℃になりました。雪に対する防備が出来ていませんので、こういう大雪が降ると、ツルツルと滑って渋滞します。
 北京の大雪の写真を添付します。雪の程度は、日本の雪国に比べますと、たいしたことはないのですが、交通は渋滞する一方で、市民は喜んで雪で遊んでいます。
 わたしは、当分は北京に行かないから大丈夫ですが、北京に出張していて、こういうことに遭遇するとたちまち困ってしまいます。北京の雪は、地球の暖冬が言われるようになって、雪が降り始めました。緯度が高くなると、北極からの寒気の影響を受けやすくなるのでしょうか。
 わたしの住まいの近くに北向きの道路があります。以前は、1年に2~3度、雪が積もって、車が滑って困ったものですが、この2~3年は、雪が積もらずに喜んでいます。暖冬もいいかなと思っています。

2010年1月3日日曜日

国連の敵国条項の廃止

 日本政府、特に外務省が糊塗していることに国連の敵国条項があります。これは、国際連合に加盟している国が、敵国条項の国(日本、ドイツなど)を国連の議決を受けなくても攻撃できるという非常に危険なものです。ところが、これがいまだに生きているのです。もし、国連加盟の国(たとえば、中国、北朝鮮、ソ連など)が日本を攻撃しようと思えば可能なのです。それが、いまだに放置されたままです。これは、民主党がなさねばならぬ緊急の事項です
 敵国条項(英語:Enemy Clauses、旧敵国条項)は、国際連合憲章の条文の中の「第二次世界大戦中に連合国の敵国であった国」(枢軸国)に関して特に言及している第53条、第77条、第107条の3ヶ条のことです。
 国連憲章第107条を指して、一般に「旧敵国条項」と呼んでいます。その内容は、第二次世界大戦の際、枢軸国だった日本・ドイツ・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリー・フィンランドを対象(イタリアは途中で枢軸国から脱退し、連合国側に立って日独に宣戦したので除外)に、これら諸国が国連憲章等に違反した軍事行動(侵略等)を起こした際、旧連合国(アメリカなど)が国連決議などの拘束力に優先して軍事制裁を課す事が出来るとした差別条項です。
 しかし、戦後半世紀も経ち、日・独などが国連の中でも重要な地位を占める現在においては死文化した条項ですので、時勢に合わないとして、1995年の国連総会に於いて、同条項の国連憲章からの削除を求める決議が圧倒的多数で採択されました。ここで、安全保障理事会改組問題が難航し、国連憲章の改正に支障を来し、同条項の削除自体は未だ実現していません。
 国際連合憲章第53条、第107条では、第二次世界大戦中に連合国の敵国であった国が憲章に違反する行動を起こした場合、国際連合加盟国は国連決議に関係なく、単独でも無条件に、当該国に対して軍事的制裁を課すことが認められるとしています(53条は決議の例外を、107条は旧敵国に対する加盟国の武力制裁は制止出来ない事を定めています)。
 また、第53条の2では「本項で用いる敵国という語は、第二次世界大戦中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される」としていますが、具体的にどの国がこれに該当するかは明記されていません。日本政府の見解では、日本(大日本帝国)、ドイツ(ナチス・ドイツ)、イタリア(イタリア王国)、ブルガリア(ブルガリア王国)、ハンガリー(ハンガリー王国)、ルーマニア(ルーマニア王国)、フィンランド共和国がこれに該当すると解釈しているようです。つまりアメリカ合衆国・グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国・ソビエト社会主義共和国連邦(現ロシア連邦)・中華民国(現在は中華人民共和国)を含む51の原署名国の敵国であるとなっています。
 イタリアに関しては、「大戦中に枢軸国から離脱し、連合国側に立ったので条項から除外されている」といった内容の誤った通説が存在していますが、大戦中に連合国と休戦して日本、ドイツに宣戦布告をしたのはイタリア(1943年)に限ったことではなく、ブルガリア、ルーマニア、フィンランドの3ヶ国も1944年に日本とドイツに対して宣戦布告をしています。しかし、日本の外務省は、敵国になると考えています。
ハンガリーは、休戦発表後まもなくドイツ軍によってクーデターが起こされ、矢十字党の新政府が成立ましした。このためハンガリー国政府は、日本とドイツの軍事同盟から脱退せず、1945年5月まで戦闘を続けました。しかしハンガリーの大部分はソビエト連邦に占領されていましたので、占領地域でハンガリー臨時国民政府が設立され、この政府は日独に対し、宣戦しています。
 したがって、イタリアが除外されるのであればブルガリア、ルーマニア、フィンランドも除外されることとなってしまい、条項の対象が日本、ドイツ、ハンガリーの3ヶ国のみとなります。特に重要なのは、イタリア以下の5ヶ国は、1947年に連合国とパリ講和条約を締結し、領土の割譲や賠償金の支払いを履行しています。これは、連合国から敗戦国であると明確に認定されたものといえます。実際に、これらの国の国際連合加盟は、日本が加盟する前年(1955年)にまで遅れています。これは、ハンガリーが加盟した年と同年です。
 2001年7月発行の外務省パンフレット『日本と国連』によりますと、イタリアも日本・ドイツと共に敵国条項削除の協議を行っています。
 タイに関しては、日本と日泰攻守同盟条約を締結して枢軸国側に立っていましたが、日本の敗戦後、条約締結は日本の軍事力を背景とした強迫によるものであると主張し、連合国によって枢軸国の扱いから除外され敗戦国の扱いも免れました。国際連合発足後、タイは即座に加盟しました。1947年のパリ講和会議、また1951年のサンフランシスコ講和会議にも他の枢軸国とされませんでした。したがって、敵国条項の対象には含まれていないと考えられます。

敵国条項の現状
 第53条、第107条は、旧敵国のすべてが国際連合に加盟して半世紀が経過した今、事実上死文化した条項と認識されています。日本やドイツといった旧敵国は、1995年の国連総会で、第53条と第107条を憲章から削除する決議案を提出し、賛成多数によって採択されました。
 しかし、憲章は一つの国際条約に該当します。この採択の効力を生じさせるには、それぞれの加盟国において批准の手続きを踏むことが必要です。その批准の手続きは、各国によって異なりますが、通常、批准には政府による最終確認と同意過程を経た上で、議会が承認することが必要です。
 こうした状況から、第53条と第107条の削除を決議した国連総会採択から月日を経た今日において、同採択を批准した国は効力発生に必要な数には及ばず、敵国条項は依然として憲章に姿を留めたままとなっています。
 これらは、平成2年6月11日の衆議院安全保障特別委員会における赤尾信敏外務省国際連合局長の答弁です。しかし、今、日本の外務省には、評論家は必要ありません。これを危険、あるいは矛盾と感ずれば、敵国条項の廃止に精力的に動くべきでしょう。日本の役人という人は、大事なこと、厄介なことをすべて投げ出しているようにわたしには思えます。

2010年1月2日土曜日

東大寺の南大門 金剛力士像

 大仏殿の正門にあたる南大門について触れましょう。南大門は、大仏殿に参るときには、必ず通ります。重層入母屋造の木造本瓦葺きの建物で、高さ25mの豪壮な門です。平安時代の962年に台風で倒壊したものを鎌倉時代の1199年に再建したものが、現在まで残っているという非常に貴重な建物です。俊乗坊重源上人が中国の当時の宋の建築様式を取り入れて建築した大仏様の建築です。
 そして、南大門におさめられた金剛力士像二体は、治承4年(1180)の南都焼き打ちのあと、東大寺再建の際、重源上人が南大門に納めるために、造らせたもので、運慶・快慶らによって、1203年9月1日より造営開始され、1203年11月8日に完成・開眼されました。これだけの巨大像二体をわずか69日間で造り上げたわけです。寄木作りという工法ですが、すばらしいチームワークと管理技術です。
 1988年から1993年にかけての修理の際、2体の金剛力士像の躰内から重源上人や仏師たちの名前が記された『宝篋印陀羅尼経』など、経巻や文書、それにおびただしい墨書銘が発見されました。これらによって、二体が同時進行で造像されたこと、用材は山口県から運ばれてきたことなどがわかりました。それによると阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造り、吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人とともに造ったものとなっています。これは、「阿形像は快慶、吽形像は運慶が中心になって造った」とする従来の通説とは若干異なっていますが、運慶が制作の総指揮に当たっていたとみていいでしょう。
 像の高さは、 いずれも8m40cm弱です。門の向かって右に吽形(口を閉じた像)、左に阿形(口を開いた像)を安置しています。これは一般的な仁王像の安置方法とは、左右が逆になっています。 夜に行きますと、ライトアップされていて、昼とは違った印象を受けます。平城遷都1300年の今年は、ガイドブックを片手に奈良の町をあるいてほしいものです。

2010年1月1日金曜日

東大寺への初詣

明けましたおめでとうございます!
 わたしは、奈良にいる時には、必ず東大寺の大仏殿に参詣に行きます。右の写真はわたしのカメラで撮影したものです。大仏殿は、天平時代の創建から2度も火災に遭い、大仏も焼け落ちたりして1mほど高さが低くなっています。体もつぎはぎです。しかし、聖武天皇創建時の雰囲気は、今に残っています。元旦の朝、3時か、4時にまいります。この時間は、さすがに初詣の参拝客も少なく、松明の火で手や身体を暖めて正面から参ります。元日の0時から8時までは、正面の中門から、入れます。大仏殿の外からも大仏が拝めるように観相窓が開いています。大仏様には、今年一年の無事を祈ります。大きな仏像ですので、参拝客全員の願いを聞いてもまだまだ十分に余裕がありそうです。
 東大寺は、728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まりです。743年になって、聖武天皇が大仏造顕の詔を公布、745年に造営が開始されると、東大寺と名称変更しました。大仏は752年に開眼供養が行なわれましたが、大仏殿や講堂などの伽藍が完成したのは789年になります。その後、1180年に平重衝によって焼かれ、1567年には松永久秀によって伽藍が焼失しました。現在の伽藍は1709年に再建されたものです。
 大仏殿は、国宝の本尊盧舎那仏(大仏)を安置する、東大寺の金堂です。廻廊と中門に囲まれた壮大な建築で、大仏殿は高さ46.1m、横幅は57.0m、奥行きは50.5mほどあります。創建時よりも、間口が3分の2に縮小されていますが、それでも木造古建築としては世界最大です(木造建築としては、世界第2 位です)。銅造の盧舎那仏は、高さ14.98m、台座の高さ3.05m、下から見上げると頭頂部までは約18m見上げることになります。
 東大寺は良弁上人を開基として奈良時代の8世紀前半の聖武天皇の時代に創建されました。聖武天皇が大仏建立の詔を出されたのが743年、有名な東大寺の大仏の鋳造が始まったのが、その4年後の747年9月29日のことです。それから約2年と1ヶ月の歳月を掛けて749年10月24日に鋳造を終え、752年に開眼法要が営まれました。当時、天然痘が大流行しており、干ばつ、飢饉、地震、藤原広嗣の乱などがあって、世間が非常に不安定でしたので、これらを鎮めようとして国ごとに国分寺を造ることを奨励し、その総国分寺として東大寺を設立しました。総国分寺には巨大な大仏が必要だったのでしょう。大仏完成後の758年に大仏殿の建物が完成しています。現存する大仏は1691年2月に修復したもので、大仏殿の建物は1709年3月に完成しています。しかしそれでも創建当時の横幅86.1mにははるか及ばず、いかに当時の聖武天皇がこの大仏殿建立に力を入れていたかがよく分かります。
オバマ大統領も学生時代に訪れたという鎌倉の大仏とどちらが高いのかいいますと、鎌倉高徳院の大仏は、台座も含めて高さ13.35m、奈良東大寺の大仏が台座も入れると18.03mですから東大寺の大仏の圧勝でしょう。おまけに奈良の大仏は、大仏殿を造ってもらって、風雨をしのいでもらっています。
 しかし、大仏開眼の願いとは裏腹に、この国を挙げての大事業が財政を疲弊させ、余計に民衆などの税負担が増えて貧しい人々をより一層飢えに苦しませるという現実が平城京を見限らせ、平安遷都のきっかけになってしまったという皮肉な結末になってしまったようです。いつの時代も箱物行政は、行き詰ります。本当は、この機会に日本も首都を移せばいいのでしょうが、そういう腹の据わった人はいないでしょう。
 天平勝宝4年の開眼供養会には、聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇をはじめとする要人が列席し、参列者は1万数千人に及びました。開眼導師は、インド出身の僧・菩提僊那が担当しました。当時は、想像以上に国際化が進んでいたようです。