2010年11月29日月曜日

ダライ・ラマ(6)

 欧州諸国との関係
 イギリス政府は、中華人民共和国との国交関係を元に、同国が掲げる"一つの中国"の政策を掲げており、ゴードン・ブラウン第74代首相が対中関係強化を図っている一方で、王室のチャールズ皇太子は、ダライ・ラマ14世と長年にわたる親交で知られています。

 国連との関係
 ダライ・ラマ14世が率いるチベット亡命政府は、現在に至るまで国連の加盟国ではありません。国連は、2000年8月28日から8月30日にかけて開催した「宗教・精神指導者のミレニアム世界平和サミット」に世界の宗教指導者を1000人以上を招聘しましたが、ダライ・ラマ14世は招聘しませんでした。中国を気にしてのことでしょう。しかし、このことにかかわらず、国連というのは、世界平和のためにある組織ではないようです。

 日本との関係
 日本に入国する際は、日本国政府が中華人民共和国の推進する"一つの中国"の立場を外交政策として掲げているため、中華人民共和国への配慮から「政治活動をしない」等の条件があります。

 オーム真理教との関係
 1995年3月29日に来日した際には、成田空港で日本の記者団より、麻原彰晃ならびにオウム真理教との関係について質問責めに遭いました。麻原とは亡命先のインドで 1987年2月24日と1988年7月6日に会談しています。またダライ・ラマ14世は、オウム真理教から布施 の名目で1億円にのぼる巨額の寄付金を受領しており、1989年にオウム真理教が東京都で宗教法人格を取得した際には、ダライ・ラマ14世は東京都に推薦状を提出してオウム真理教を支援しました。

 なお、麻原をインドに最初に紹介したのはペマ・ギャルポですが、彼は数カ月もしないうちに麻原の問題点に気づき、麻原とはかかわらないようにとダライ・ラマ法王庁に上申しています。これに怒った麻原は雑誌や本などでペマを批判しました。のちに麻原はオウム事件を起こしましたが、ペマは大阪国際宗教同志会の平成11年度総会の記念講演にて「幸いにして、麻原さんが怒って、私のことを悪く書いて下さったもんですから、助かりました。本当のことを言って……」と回想しています。

 パンチェン・ラマ10世との関係
 1989年1月28日、パンチェン・ラマ10世が入寂しましたが、この時、中国仏教協会は追悼式への出席をダライ・ラマに特別要請しましたが、ダライ・ラマはこれを拒絶しました。

 ダライ・ラマに行動を共にしたひとたち、すなわちチベットからインドに亡命したひとたちは、奴隷を使う立場にあったひとたちです。この奴隷を解放したのが、中国人民共和国ということです。したがって、このひとたちが、チベットに戻って来ることを、今のチベット人は望んでいません。ダライ・ラマ14世のみが目立ち、亡くなれば亡命政府も自然消滅でしょう。このときにインド政府がこの人たちをどう扱うのでしょう。難民扱いでしょうか。それとも中国が引き取るのでしょうか。これも早晩、答えが出ます。

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