2010年11月13日土曜日

『ペリーの来航と鯨』(3)

 吉村昭氏は、「ペリーは、談判の席で、『日本は太平洋をへだてた遠い国であったが、汽船の出現によってその距離はちぢまり、隣国になった』という趣旨のことを口にしている。

 これは決して誇張ではなく、経済都市ニューヨークからアメリカの太平洋岸に赴く日数と、その沿岸から日本に行く日数に大きな差はなく、そうした地理的条件から、アメリカの経済にとって日本は無視できぬ国になっていたのである。

 ペリー来航の嘉永6(1853)年は、アメリカの捕鯨業が最高潮に達した年で、箱館を基地港としたことは最大の収穫であった。が、その年以後、捕鯨業は急速に衰退する。石油の発見によって、それが灯火や機械の潤滑油に使用され、鯨油の価値は無に近いものになったのである。そのため、日本近海にアメリカ捕鯨船の姿をみることはなく、箱館も基地としての意義も失われた。アメリカの経済の変化が、そのまま日本にも及んだのである。

 ペリー来航から百三十年が経過しているが、私には、その歳月がきわめて短いものに感じられてならない」と書いています。アメリカは昔から、唯我独尊で、歴史が浅いというコンプレックスもあったのでしょうが、強引な所作が見られます。こういう国と交渉する時は、相手の歴史も十分に頭に入れておかねばなりません。これは、4000年の歴史を持つ中国も、今はアメリカと同様に唯我独尊になりかねない国だと思っていた方がいいでしょう。

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