2009年12月31日木曜日

曹操の陵墓発見

新華社通信によると、河南省文物局は27日、同省安陽市安陽県で、三国時代の英雄で魏の国の基礎をつくった曹操(155~220年)の墓を発見したと発表しました。墓から曹操を示す「魏武王」と刻まれた銘文と出土品および60歳前後とみられる男性の遺骨が見つかり、中国の考古学者や歴史学者らが鑑定した結果、曹操本人のものと断定しました。
 墓の総面積は740平方メートル。前後に2つの大きな墓室と4つの副室があり、最も深いところは地表から15メートル。金や銀の器や、鉄剣、水晶珠など約250点の副葬品があり、曹操の遺骨のほか、2人の女性の遺骨も見つかりました。
 文物局は、墓を曹操のものと断定した理由として
(1)墓の規模が巨大で、魏王となった曹操の身分にふさわしい
(2)墓から出土した文物は、いずれも後漢と魏の特徴があり、曹操の時代と一致する
(3)墓が見つかった場所は、「三国志」などの歴史文献とほぼ一致する
(4)副葬品の特徴が、曹操の「遺令」(遺言)とほぼ一致する
(5)墓に曹操を示す「魏武王」と刻まれた銘文が複数見つかった
(6)男性の遺骨は60代で、曹操の死亡時の年齢と一致する
の6つを挙げています。
地元の考古学者らは、1998年に曹操の墓の位置を示す墓誌を見つけて以降、周辺で調査を続け、昨年12月から本格調査を開始しました。墓には何度も盗掘された跡があり、一部の副葬品が盗まれた可能性もあるということです。墓の正確な場所は「千古の謎」の一つとされてきました。
 曹操は後漢末の混乱期に中原を統一した武将で、蜀の劉備と呉の孫権と天下を争ったことで知られています。最近の映画“レッドクリフ”でも主役級で出て来ます。“三国志演義”のために曹操は悪役にされていますが、実際は明君だったようです。中国では、劉備よりもむしろ尊敬を集めています。
曹操は埋蔵された墓「高陵」の具体的な位置を裏付ける確かな証拠は、長年発見されていませんでした。そのなかで、発掘された「曹操墓」は各メディアの注目を浴びましたが、その真偽をめぐっていろいろの意見が出ています。
 多くの専門家やネットユーザーからその信憑性を疑問視する声が上がっています。曹操の身分を証明する最大の根拠とされた「魏武王」の銘文が刻まれた石碑と石枕は、この調査で見つかったものではなく、盗掘者から押収したものだとするネットユーザーもいます。文化学者や考古学者の中にも、より説得力のあるものが出土されない限りは、不用意な断定は避けるべきだとの意見が多数を占めています。
 しかし、漢字の発祥の地では、銘文などが残っていて、比定するのが楽ですが、日本では、卑弥呼の墓とされる箸墓でも碑文がありませんので、厄介です。日本でも天皇陵などの発掘が出来ればいいのでしょうが、宮内庁がガンとして、認めません。これが続く限り、日本の歴史は、謎のままです。

2009年12月30日水曜日

まず一歩先

 これは、津本陽氏の直観力~カリスマの条件~にあるものです。ここで、かれは松下幸之助氏を例に上げていました。幸之助氏も最初から現在のパナソニックを作り上げようなどとは、夢にも考えていませんでした。社運をかけて自転車用の砲弾型電池ランプを開発するという目先の目標に打ち込みました。これも結果的には、大ヒットしましたが、当初は売れませんでした。よい商品なのに売れないのは、消費者が知らないからだろうと、全財産を宣伝にかけました。従来品は3時間しか持たなかったものが、彼の製品は50時間もったそうです。消費者に確かめてもらおうと、当時のお金で1万5、6千円もかけて、大量の見本品を作りました。当時の大卒の初任給が50~60円だったそうです。それでも注文が来ず、万事休すで、工員に戻ろうかと思ったときに売れ始めたそうです。こういった経験を積んだ幸之助氏は、「一歩先だけ見たらいいんやないか、三歩も四歩も先を見ようとすると失敗しまんな」と語っています。
 わたしも京セラの頃、稲盛和夫氏に「今日食えなくて、明日が食えるか」とよく言われました。今日、ちゃんと食えるようになって、明日のことを考えろということです。京セラの場合は、長期の開発目標はなかったように思います。成功した経営者、創業者というのは、地道な経営をするものです。この辺が、大企業のサラリーマン社長との差のように思います。わたしは、京セラに13年間、在職しましたが、高収益の秘密は、かなり勉強したつもりです。いずれ書きたいと思います。

2009年12月29日火曜日

日本の戦争放棄

 これも津本陽氏の言を借ります。
 「第2次世界大戦後に総理大臣の吉田茂や国務大臣の緒方竹虎が「戦争放棄」を宣言しました。これは、あの時点において、非常に巧妙な選択だったと思います。うっかりしたらアメリカの傭兵として世界の紛争地域に送り込まれ、先頭に立って戦わねばならないという状況に追い込まれたかもしれなかった。そうした事態は、戦争放棄を唱えることによって回避することができました。
 しかし、それと同時に、アメリカに追随し、アメリカの傘の下、経済力だけで生きていくことをも意味していました。
 そこにあるのは、単純な経済原則です。政治家も一般人も、自分の儲けだけを考える。蟻が蜜に引き寄せられるように、富に群がっていく。その結果、日本という国はアメリカ中心のグローバリズムという構図の中で動いていく一つの駒になってしまいました。日本独自の動き方は見られません。今の政治家たちは、アメリカの代弁者として、働いている」
 まさに津本氏の考えは、真を捉えています。民主党になって、これまでの日米関係を見直そうと言うと、大新聞社、テレビのコメンテーター、学者先生までが、アメリカのロビイストのような発言をします。従来の日米関係は、見直す時期に来ていることは、考えれば、すぐに分かることです。また、これは、政権が替わった今しかありません。これが、なぜ知識階級という人が、誤った方向に日本を導こうとしているのでしょうか。わたしには、評論家の立花隆氏もアメリカのロビイストのような気がしてなりません。今こそ、政治家が、正しい思考と理念を持って日本を導かねばならないでしょう。日米関係についても、しかりです。アメリカとわざと喧嘩しろと言っているわけではありません。民主党の大臣、議員の中には、これらアメリカのロビイストと思われるような人たちに媚を売っている感があるのは、残念なことです。外務省の役人もそうです。小村寿太郎までを望むのは、無理としても、小小村と言えるような人材の輩出を待ちたいものです。

2009年12月28日月曜日

張春江中国移動書記兼副董箏長が取り調べ

 26日の香港報道についで新華社も張春江中国移動書記兼副董箏長が重大な規律違反容疑で、取り調べを受けていることを伝えました。中国共産党中央規律検査委員会が、中国国内最大手の通信キャリアである中国移動通信集団の張春江副総裁(51)を取り調べていることを明らかにしました。
 具体的な容疑は、まだ分かりません。今や、中国移動は世界最大の通信キャリアで、張氏は同社の共産党組織の書記を兼任。すなわち、No.1ということです。会社の地位は、総裁兼董事長の王建宙の方が上ですが、組織としては、張氏の方が上です。張氏は、現在は国政助言機関、全国政治協商会議の委員も務めています。張氏は、中国移動に移る前は、同じく中国通信キャリアの中国網通の董事長でした。それ以前は、信息産業部の副部長(副大臣)を務め、呉基伝部長のあとは、張氏と呼ばれたこともありました。若くして副部長になったこともあり、日本の通信機器メーカーの人の中にもよく知られていますし、知人も多いようです。今回の容疑は、中国移動に移ってからは、間がないためにそれ以前のことと推測されています。
 もし日本のメーカーの人たちの中には、彼と関係があったのは、相当前の話だから、大丈夫と思っておられる方もいらっしゃるかも分かりませんが、これは禁物です。法律には、時効はあっても、中国共産党には時効はないのです。
 これらの汚職の調査は、一連の汚職調査から出て来たものかも分かりません。胡錦濤主席、温家宝首相は、汚職の根絶を目指しています。これには、江沢民派も関係ありません。張氏は、江沢民派と目されています。
 日本の企業も、これらの汚職に絡まぬように心してほしいものです。

2009年12月27日日曜日

重慶市の汚職事件(2)

 先のブログで述べたことは、そう単純ではありません。今の重慶市委書記の薄熙来氏は、第17期中共中央政治局委員で、父は副総理などを務めた薄一波氏です。1949年7月生まれですので、60歳になります。
 文化大革命では、紅衛兵組織「連動」のメンバーでした。1978年2月から1979年9月まで北京大学歴史学部で、1年間だけ学習し、学位取得しています。1980年10月中国共産党入党。1982年には中国社会科学院を卒業し修士号を取得しています。
 1992年から大連市長を務め、海外企業を招致しました。経済成長も目覚しく、この功績で、2001年からは遼寧省長を務めました。しかし、省内の国有企業の多くが停止状態になり、失業率は全国最高となりました。よく日本のテレビでも首に求職のカードをぶら下げた人たちが報道されました。2004年には、商務部部長として国務院入りしました。しかし、2006年から中国製品の品質に相次いで問題が生じ、安全宣言を何度も出すこととなりました。
 そういう中でも、薄熙来氏は順調に昇格し、2007年10月には、第17期党中央政治局委員になりました。そして、12月、重慶市委書記に就任。2009年7月より市公安局などを巻き込んだ大規模汚職事件の摘発に乗り出し、1500人以上を摘発しました。
 これは、単純な汚職摘発ではなく、前重慶市委書記の汪洋氏や、かって書記を務めた賀国強の批判が目的ともいわれています。汪洋氏は、2005年から2007年12月まで重慶市委書記と務め、現在は、中国共産党中央政治局委員で、広東省省委書記となっています。中央での出世レースから、いつのまにか逆転された感がないでもありません。1999年から重慶市委書記を務めた賀国強氏は、曾慶紅のあとを受けて中国共産党中央委員組織部長を務め、2009年からは、呉官正の後任として、中央紀律検査委員会書記となっています。江沢民前主席を支えとぃます。賀国強氏の福建省長のあとを受けたのが、現在の副主席の習近平氏です。汪洋氏、賀国強氏、習近平氏らは、江沢民派で知られています。先の文強の汚職は、今から16年前からですので、汪洋氏、賀国強氏二人も関わっていた、もしくは管理責任があるということになります。中央委員のポストを狙って、熾烈な競争が行われているとも言えます。薄熙来氏は、最後のチャンスに賭けたともいえます。習近平氏も副主席になったとはいえ、今後何が起こるかは、余談を許せません。一寸先は、闇です。中国の出世競争も大変です。こういう熾烈な競争に鍛えられた国の幹部ですから、外交その他で日本の大臣や官僚を手玉にとることなど朝飯前でしょう。
 話し変わりますが、薄熙来氏の現在の妻の谷開来氏は、弁護士として北京で法律事務所所長を務めています。 彼女との間に長男の薄瓜瓜がおり、2009年10月現在、イギリスのオックスフォード大学政治哲学部に留学中で2010年卒業予定です。完全な英才教育です。
 薄熙来氏は、離婚歴があり、前妻との間に李望知という一男がいます。李は北京大学法学院で学び、さらにアメリカのコロンビア大学に留学しています。
 中国共産党で出世しようとすると、血も大事なようです。太子党という言葉が出来て久しくなりますが、まだ死語にはなっていないようです。

2009年12月26日土曜日

司馬遼太郎のフィラデルフィア

 これも「アメリカ素描」の中にあります。わたしは、ボルチモアで数日、過ごしましたが、フィラデルフィアには、行きませんでした。この文章を読んで、残念に思います。機会があれば是非行ってみたいと思います。以下、司馬氏の文章です。
 アメリカにきておどろいたことのひとつは、機能を失った都市を、平然と廃品同然にしていることだった。フィラデルフィア市を見てそうおもった。日本でいえば、大阪を廃品にするようなものである。(中略)幕府が倒れて、大阪の商権が消滅し、その機能は半減した。げんに、明治初年、大阪の人口は激減している。この時期に、アメリカ流でいえば大阪は廃品になってもよかったのである。
 (都市の使い捨てというのがあるのか)
とおもうほどのショックをうけたのは、ワシントンからニューヨークにもどる途中、列車の窓からフィラデルフィアの鉄鋼製構造物の巨大な廃墟群をみたときだった。
 ぬしをうしなった造船所や人気のない造機工場、あるいは鉄道車両工場といった、19世紀末から20世紀の半ばまでの花形産業が、いまは河畔に「ながながと残骸の列をさらしている。
「かれ(資本)は、どこへ行ってしまったんだ」
と、私は思った。
 明治のころ、日本ではこの街は、
「費府」
と書かれていた。
フィラデルフィア市は、日本史年表でいえば、明治初年までは、ニューヨークを越える都市だった。
 その後も金融の中心であるニューヨークに対し、重工業の中心として、あるいは大きな商業の中心として栄えつづけた。
 明治政府はロシアの南下にそなえてこの街の私立造船所に軍艦を注文した。ところがおなじ造船所に帝政ロシアも戦艦を注文していたのである。その双方が、数奇にも日本海で開戦を演ずることになる。
 第1次世界大戦ではここは世界の造船所だったし、アメリカを走る機関車のほとんどはこの街で誕生した。そのほか、繊維、食肉加工、製紙、印刷など、19世紀から20世紀のある時期までのアメリカ生活をささえるほとんどの工業製品がこの街でできた。
 それが、いま過去の街になっている。
「19世紀的な工業はすべて儲からない時代になった。だからやめる」
という露骨さがアメリカ経済の伝統的な“単純さ”であるとすれば、その象徴が、すでに鉄鋼業の墓地になったフィラデルフィア市ではあるまいか。
 これらのフィラデルフィアが担っていた造船業を日本が奪い、そして韓国が奪っていったのでしょう。このフィラデルフィアは英国からの独立戦争を勝ち取ったところでもあります。この記念日には、テレビで流されますが、司馬氏の眺めた鉄鋼製構造物の巨大な廃墟群は映しません。日本で言えば、京都的な存在でしょうか。それは、ボストンだという人がいるかも分かりません。アメリカ人のダイナミックさは、大西部時代のように家族とともに動くことでしょうか。そして、金鉱を見つける。昔は、金鉱でしたが、それがサンノゼのようなベンチャーであったりするのでしょう。この点、残念ながら、日本には、そのダイナミックさが欠けるようです。もっともっと動いてもいいのではないでしょうか。わたしなどは、毎週、関西と東京、中国を移動しています。こういうミツバチ的な動きではなく、どっしりした動きが必要なのでしょう。日本の産業全体を動かすような企業が、地方から立ちあがってほしいものです。
 

2009年12月25日金曜日

メダカと鮒

 当家には、人間以外の動物は、メダカと鮒しかいません。ほんとに小さな水槽に最初は、メダカが8匹いました。知人からもらったものです。それが、卵を産み、孵化して50匹程度になりました。回りからは、“孵化の名人”とか言われました。佐渡島のトキが、生きた魚がいなくて困っているから、増やしてあげたらと言われたりもしました。しかし、メダカも絶滅危惧種に入っているのです。
 ところが、メダカが減って、とうとう1匹にまで、なりました。3匹ぐらいまでに減った時に水草を近くの大きな池にとりに行きましたら、どうもその水草の中に鮒の卵がいたようで、そのうち、1匹が孵り、段々、大きくなりました。今では、鮒がメダカの何十倍(体積比)も大きいのです。鮒が、メダカを食べないかなと心配していましたら、メダカの方が威張っているのです。餌をやると、まずメダカが水面近くに出て来て食べます。鮒は、水槽の下に落ちた餌しか食べません。
 動物のサイクルからすると、大きなものが小さなものを食べるように思うのですが、我家では、そうではないようです。なぜかと、考えていましたら、鮒は自分の姿を見たことがありません。メダカも自分の姿を見ることが出来ていません。きっと、メダカは、鮒を見て、これが自分の姿ではないかと思っているのではと思います。鮒は逆で、メダカが自分の姿と思っているのではないでしょうか。この二匹は実に仲がいいのです。
 わずか二匹の動物ですが、いつも和ませてくれます。物をいいませんので、うるさくもありません。鮒は、止まることを知らず、常に泳いでいます。なにやら、わたし自身のような気もします。

2009年12月24日木曜日

司馬遼太郎の“ウォール街”(2)

 昨日からの続きです。
 「資本主義というのは、モノを作ってそれをカネにするための制度であるのに、農業と高度技術産業はべつとして、モノをしだいにつくらなくなっているアメリカが、カネという数理化されたものだけで、将来、それだけで儲けてゆくことになると、どうなるのだろう。亡びるのではないか、という不安がつきまとった」と書いています。この考えは、わたしも以前から持っていましたが、ハードからソフトへが、世の流れとばかりに流されて来ました。しかし、資本主義である限りは、先に司馬氏が述べたことが基本の基本でしょう。基本から離れたものが、少しある分にはいいのでしょうが、それがすべてになってくるとどうなるのでしょう。そういう社会は、天才みたいな人が数人いて、コンピュータの前に座って、キーを叩いているとすむような気がします。
 また、司馬氏は、「19世紀末から世界通貨がポンドからドルにかわり、アメリカの産業力が圧倒的に凌駕した。そのドルを裏打ちしている産業がもし衰えれば、金融や相場という、考えようによっては資本主義の高度に数理化された部分は、どうなるのか、素人の不安はとりとめもなくひろがるのである」と書いています。今のアメリカ式資本主義の行き詰まりを見事に看破していると言えます。
 昨年の秋の経済ショックは、まさに錬金術が起こした経済不況、経済危機でした。こういう怪しい話になると、竹中平蔵氏の顔が浮かびます。たしか、慶応大学で教授として教えているはずですが、大丈夫でしょうか。かれは、日本の経済システムをアメリカ式に変え、アメリカの数式にすぐに当て嵌めることが出来るように変えました。これらのアメリカの経済学者の数式に入れるには、同じレベルのデータのとり方をしなければなりません。アメリカの投機家のためには、半年ごとの決算指標よりは、四半期ごとの決算指標の方が精度がよくなり、リスクが少なくなるのです。完全にウォール街のバクチシステムに嵌められたようです。
 今、世界は、多巨頭制に移りつつあり、すでに国際通貨はドルとユーロがあり、おそらく10年以内には、中国の人民元がこれに加わっているでしょう。アジア、アフリカでは、ドル、ユーロよりも信頼性の高い通貨になっている可能性があります。そして、中国はアメリカと違って物を作っています。
 わたしたちは、経済の時間に100円の物を作り、これを100円より高く売れば、これが利益になり、会社が回り、国が回り、資本主義が回るのだと教わりました。本来、ウォール街は、資本家が資本を調達するところであったはずですが、いつしか大きく目的を変えているように思われます。日本式資本主義でもいい。きちんと足元から見直して、後世の人たちが、安心して生活が営まれるようにしておかねばならないでしょう。投機は、全体の10パーセント以下で、投資が90パーセント以上でなければ、危なっかしくて歩けません。

2009年12月23日水曜日

司馬遼太郎の“ウォール街”(1)

 この作品は、「アメリカ素描」の中に書かれたものです。これは、第一部が昭和60(1985)年4月1日から5月19日、第2部が同年の9月28日から12月4日まで、読売新聞に連載されました。この本は、これまで手に取ったことがありませんでした。しかし、この本を読んで、あらためて司馬氏が、“只者でない”ことに気づかされました。
 ウォール街は、当然のことながらニューヨークのマンハッタン島にあります。マンハッタン島は、開拓時代、南から開けて来ました。「17世紀前半、最初の入植者たちは開拓期がおわったころ、放牧している家畜が南端の居住区にしばしば迷いこんできたので丸木の塀(wall)をつくった」とあります。これが、ウォール街の名前の起こりです。
ここで、司馬氏は野村証券の寺沢芳男氏に会います。寺沢氏は、
「日本の証券界とは大きなちがいがあります。日本では、むかしから投資と投機とをわけて考えます。伝統的に、投資を正しいとし、投機をいかがわしいとするのです」。
そこで、司馬氏は、資本主義の正道は投資であり、投機はバクチであるまいか、と疑問を投げかけています。今のわたしも司馬氏の考えと同じです。
しかし、寺沢氏は、
「アメリカでは、投資的な証券市場参加者は10パーセントぐらいしかいません。あとの90パーセントは、投機家です」。
 それがウォール街だというわけです。この文章が書かれたのが、1985年のことですから、少なくともこの10年以上前、今からだと35年以上前から、ウォール街ではそうだったと思います。
また、「スペキュレーションとは、熟慮とか思索と辞書にあるが、ウォール街では、「投機」、「思惑」のことです」。「先物売買のことをフューチャー(future)と言うが、投機とは、主としてフューチャ-をやることなんです。ウォール街では先物買いは決して危険ではない」と、寺沢氏は語っています。それは、なぜか。
 「投機家たちは危険でないシステムをつくるのです。投機家である会社(銀行・証券会社・保険会社)は、先物に数学的な体系をあたえる能力を持った頭脳を、年棒何億円かで契約します。その専門家に決してソンをしないシステムをつくってもらい、コンピューターで運用するんです」。
 そういう頭脳は、ハーバード・ビジネス・スクールのところで養成されると、寺沢さんはいいいます。この寺沢氏もハーバード・ビジネス・スクールの卒業生です。
 司馬氏は「わたしのような素朴な日本人からはみればこの大学院はじつに危険なことを教えていることになる。保険会社、証券会社、銀行が投機のためにウォール街にオフィスをおき、バクチでありつつもソンをしないシステムを開発しては、それへカネを賭け、カネによってカネを生む。(アメリカは大丈夫だろうか)という不安をもった。」と書いています。多くの人が、司馬氏と同じ感じを持ったのではないでしょうか。(以下、明日へ)

2009年12月22日火曜日

中国重慶市の汚職事件

 中国の行政職の幹部が、次々に汚職で摘発を受けています。先日は、広東省の深圳市の市長が逮捕されました。今回は、重慶市です。この重慶市というのは、北京市、上海市、天津市にならぶ特別市で、省と同じ扱いを受けています。
 この重慶市の市長で、副書記の王鴻挙が免職になりました。中国は、行政の長の市長よりも共産党の市の書記の方が上なのです。そして、重慶市書記が薄熙来氏です。重慶市長の王鴻挙が王天倫に便宜を与えたカドによるものです。王の承紅食品有限公司に便宜を与え、重慶市の豚肉供給の41%のシェアをとらしたというものです。中国では豚肉の消費は、牛肉と比べものにならないくらいに多く、羊肉なども相手になりません。重慶市は、4000万人以上が住む大都市です。ここで、41%となると、莫大な金額になります。この二人がどうなるかは分かりませんが、金額が大きいので、最悪は公開死刑で、軽くても終身刑になるでしょう。
 そして、今回が、重慶市公安局副局長の売春窟事件です。かれは、文強(54)といいます。写真で見ますと、悪相をしています。かれの、この売春窟を仕切っていたのは、文の義理の妹です。文は、16年間に亘り、お目こぼしをして来ました。その代わりに数十億円の金や物品を上納させていました。文は、食事会では、1本4万元(約50万円)のルイ13世を毎回2本空けていました。また、薄給の公務員にもかかわらず、別荘も持っていました。
 この売春窟は、常時200人ほどの女性を働かせていました。文は、職制を利用して、12人もの婦人警官らを愛人として囲っていました。台湾の女優の林志玪も愛人の一人といわれています。林は、映画“レッドクリフ”で呉の総司令官周瑜の妻を演じました。林と文が裸で横たわっている写真がインターネットで流出しました。林の母親は台湾の陳水扁前総統の後援会長です。シンセン市長も台湾の女優を囲っていました。昔から、英雄色好むといわれていますが、現代も変わらないようです。
 そして、文強ですが、取り調べに対して、一切どこにお金を隠したのか、言わなかったのですが、文の妻にあるビデオを見せました。そのビデオには、幼い少女と文が交わっているものでした。このビデオを見せられて、文の妻は、隠し金のありかを白状しました。文の家の庭の池から3500万元(4億6000万円)相当の紙幣や金塊が引き上げられました。文強は公開死刑の可能性が高いと言われています。
 これらの汚職をこうまでも重慶市書記の薄熙来氏が暴いているのか、次の機会に述べたいと思います。

2009年12月21日月曜日

中国の汚染粉ミルク事件その後

 「三鹿」ブランドの粉ミルクに有害物質のメラニンが混入して、乳幼児6人が死亡、30万人以上が健康被害を受けた事件で、初の民事訴訟が北京で開廷されました。
この事件では、ほとんどの被害者が賠償協議に合意しています。しかし、約200人が賠償額が少なすぎるとして、民事訴訟で争っています。しかし、被告の「三鹿集団」は今年2月の石家荘市中級法院によって、破産申請が受理されています。
 破産申請が受理された企業は、第一に実施すべきは、従業員の給与や社会保障費を支払うこと、次が銀行への借り入れ返済です。被害者への賠償の支払い義務は、順位が低く、資産が残っていたときのみに支払われます。今回は、「三鹿集団」には、資産とも言うべきものが何も残っていませんので、被害者への賠償金の目処は立ちません。
 原告団の弁護士は、「三鹿集団」に賠償能力がなければ、「三鹿集団」の株主である石家荘乳業有限公司、承徳華寧乳業公司、唐山市康尼乳業公司を被告とするように戦略転向するようですが、どう考えても無理筋でしょう。
 結局は、被害者は、「企業に賠償能力がなければ、監督不十分であった国が賠償すべき」としていますが、常識的にこれも難しいように思います。
 この民事裁判を見ていますと、妥協せずに裁判で争って、少しでも多くとろうとした人が、失敗した感があります。ここは、想像ですが、わたしに任せるとかなりの賠償額がとれると、弁護士が言ったのかもわかりませんが、相手をよく調査しておかないと、肝心の相手が倒産したという笑えない話になります。
 こうしてくると、やはり賠償能力のあるしっかりしたブランドのものを買う以外にないと言えます。中国では、日本の粉ミルクがよく売れています。しかし、粉ミルクは、いかんせん重く、輸送費もかかって個人輸入では、利益はあまり出ないようです。

2009年12月20日日曜日

キングジムのポメラ

 「ポメラ」を早い段階で買いました。電池で結構、長時間使えます(20時間)。立ち上がり時間も非常に早い(2秒起動)のです。わたしは、毎日、ブログを書いていますので、「ポメラ」は、空港のラウンジや喫茶店でも簡単に使えるので重宝しています。最初は、文具メーカーのキングジムが製造しているので、心配がないわけではありませんでした。しかし、キングジムの作る事務用品その他は、好きでよく使っています。どういうものを作ったのか、検証しようと思い、購入しました。2008年11月に発売以降,年間販売目標の3万台に対して3倍の9万台が売れたそうです
 この「ポメラ」は、3万円弱で安くもなく、高くもないという価格でした。ネットブックにしようとも思いましたが、先に述べた理由で購入しました。こういう機能も欲しいということがないわけではありませんが、キングジムの割り切り方にも感心しました。これは、文書入力の専用装置ですが,知らない間にヒット商品となったようです。
 今回の新製品「DM20」は、入力・編集した文書を外部の機器に転送する手段として「QRコード」を採用しています。入力した文書の編集が終われば,メニューから「QRコード表示」を選ぶと、文書がQRコードに変換されて表示されます。それを携帯電話で撮影すれば,文書を取り込めるというわけです。
QRコードとは、バーコードではなく、2次元コードです。2次元コード方式は、いくつかありますが、QRコードは 、日本のデンソーウェーブが考案したものです。
 このたび、新製品「DM20」が出ましたが、ディスプレイサイズは若干大きくなり,メモリの容量も増強されましたが,ディスプレイのカラー化も,通信機能もありません。文書入力の専用機としての「存在価値」を守るためであるとキングジムは、語っています。
 もちろん,「編集した文書を無線通信で送りたい」というユーザーの要望は強く,DM20の企画段階では、Bluetoothや3Gの通信機能の搭載を検討しました。しかし,「専用機として2秒起動,20時間駆動という価値を維持したかった。Bluetooth機能を搭載すると電池は20時間持たなくなるし,3G通信機能では携帯電話事業者との契約が必要になるなどユーザーに手間をかけることが増える。通信しないで文書を送る手段を模索したところ,たどりついたのがQRコードだった」そうです。
 「インターネット端末」という汎用機になっていれば、機能が豊富なパソコンと比較されてしまい、専用機としての本来の価値が見えにくくなってしまっていたでしょう。少し欲張って、消えていったパソコン・ライクな製品がいくらもあります。企画台数が3万台と控えめなところも好感が持てます。企画台数の3倍の9万台売れたとしても、9万人 しか持っていないのかと、皆の前で取り出したくなります。

2009年12月19日土曜日

パンダが初めて南半球へ

 2頭のパンダが、オーストラリアのアデレード動物園に貸し出されました。南半球に貸し出されるのは、初めてのことです。オーストラリアには、パンダと並ぶコアラがいるのですが、それでもパンダを借りないといけないのでしょうか。どちらが、人気があるのでしょう。コアラは、わたしが見たときは、いつもY字形の枝と幹に挟まって寝ています。正直なところ、ぬいぐるみをおいていてもさほど変わらないように思います。見ててもさっぱり面白くありません。
 この点、パンダは成長する前は、コロコロとよく遊んでいます。動きがかわいいので、どこででも、人気者です。今回、オーストラリアに行くパンダは、オスが網網、メスが福妮と名付けられています。日本には、現在は、2カ所しかいません。和歌山県の白浜と神戸の王子動物園です。いずれも関西です。白浜はなんと7頭もいます。2頭を中国に返しましたので、本来は、9頭いたことになります。王子動物園には、2頭います。一番早く、パンダが日本に来たのは、上野動物園です。ランランとカンカンだったと思います。遠い過去のように思われますが、大勢の人が押しかけました。とくにこどもには、大人気でした。それが、繁殖せずに、すべて死んでしまいました。石原慎太郎知事は中国が嫌いなものですから、動物園には、パンダはいなくていいと言って、今やその衰退は目を覆うばかりです。
 しかし、白浜の保育担当のひとたちは、実にすばらしいと思います。毎年のように、ここのパンダはこどもを産んでいます。本場よりもうまい感じがします。多分、上野動物園の保育係の人と白浜の保育係の人では、学歴は、相当に上野動物園の保育係のひとの方が上でしょうが、結果は、明確過ぎるくらいの差がついています。上野動物園は、過保護だったのでしょうか。たしか、ガラスも二重になっていたのではないでしょうか。白浜は、ガラスはありますが、写真を撮ってもかまいませんし、ガラス1枚隔てて、パンダがいます。白浜は、暖かくていいからと言う人もいますが、上野でも人間様も叶わない空調の整った部屋にいるのですから、この論は当たっていないように思われます。王子動物園などは、大きな溝で仕切っていますが、ガラスはありません。要するに愛情の問題でしょうか。
 いずれにしましても、パンダを見ていますと、心がなごみます。多くのこどもたちにこの気持ちを味あわせてあげては、いかがでしょう。石原都知事。
 

2009年12月18日金曜日

天皇陛下と習副主席との会談

 お二人の会われた15日は、あいにく日本にいませんでしたので、どういう報道がなされたか、今の段階では、わたしは知りません。
 中国では、天皇と習副主席が会われることも、会われたこともほとんど報道されていません。日本のことを慮ってのことでしょう。ひょっとすると、小さく取り上げられたかも分かりませんが、北京に住む知識階級の多くも知りませんでした。
 知日派の中国人に聞くと非常に謙虚でした。中国側もどうしても会いたいのであれば、もっと早くから手続きをすればよかったという人もいます。宮内庁は、今回の件は、「天皇を政治利用」していると言っていますが、万が一、政治利用でもいいじゃないでしょうか。今や、世界でNo.2ともNo.3ともいえる軍事力を持った中国です。東アジア、極東に限ると、最大の軍事大国でしょう。その国のNo.2で次期No.1になるともいわれる習近平副主席です。折角、日本に来ているので、是非、ご挨拶したいと言っているのです。これを30日ルールとか、小賢しいことを言って、門を塞ごうとしています。また、マスコミも“おかしい”と一斉に掻き立て、報道しています。これこそ、“おかしなこと”です。狂っていると言ってもいいかも分かりません。天皇陛下は、業務多忙につき、その国のNo.1としか会わない、体調もすぐれないとか、バカなことを言っています。No.1であれば、人口が100万にも満たない国の元首と会うというのならば、13億の国民のいる、すぐ隣国のNo.2と会うべきでしょう。胡錦濤主席が、副主席の時も天皇陛下は、会われています。そのため、今度は30日ルールというわけのわからないことを持ち出しています。この発言をしたのは、羽毛田信吾宮内庁長官です。この人は、12月7日の平野官房長官からの要請を断っています。この間、マスコミにリークしながら、ぎりぎりの12月10日になって、再度の申し入れを受け入れています。また、日本の外交当局(これは誰が言ったか、マスコミは隠しています)も、「民主党側はまるで中国の走狗になった」とけっして許されない発言をしています。こういう発言には、責任を持つべきです。こういう人が、外交をやっていて、外国とうまくいくはずがありません。
 どうも宮内庁というのは、おかしいように思います。直接、本件とは、関わりがないのですが、天皇陛下は、前立腺がんの治療をされましたが、これを高齢にもかかわらず、全摘出という手術を行いました。先のわたしのブログでも書きましたが、わたしも前立腺がんで治療を行いましたが、全摘出は行いませんでした。QOL(Qualitu of Life)がよくないのです。読売新聞の渡辺恒夫会長も行われたようですが、よくないと言っておられます。わたしは、IMRTによる放射線治療で完治しました。米長永久棋聖も放射線治療によって治癒しています。ただし、この治療には、IMRTという治療機が必要です。天皇陛下が、どこで、全摘出をされたか、書いてありませんでしたが、多分、その手術を行った病院には、IMRTがなかったのでしょう。天皇陛下のようなご高齢のかたに対しては、外科手術は行うべきではありません。これは、常識です。天皇陛下のご容態が悪いとか、すぐに言う宮内庁長官は、このこと(全摘出を薦めたこと)が分かっているのであるでしょうか。天皇陛下を人質にとっての態度が不遜すぎるように思います。
最初に戻って、天皇陛下と習近平副主席の会談は、日中のこれからにとって、非常によかったと思います。

2009年12月17日木曜日

ゴリラの生態

 ゴリラも人間と同じ霊長類ですが、知らないことがたくさんあることが分かりました。まず、人間の赤ちゃんは、1年程度しか、お乳を吸わないのにオランウータンやチンパンジーは5年から6年吸います。ゴリラは、4年吸います。なぜでしょう?
 これは、人間は、多産だからだそうです。母親が早く授乳を切り上げて次のこどもを産む準備をしたいからだそうです。驚くのは、人間の女性は、理論的には、10人から20人産めるそうです。野球チームどころか、バレーボール、サッカー、はてはラグビーのチームも可能です。ところが、ゴリラは4、5年に1度しか産みません。寿命が50年として、繁殖出来るのは、その半分の25年ですから、4、5頭しか産めません。そのうち、半数は死にますので、子供は増えないということになります。
 また、ゴリラやチンパンジーが熱帯雨林という豊かで安全な場所にとどまっているのに人間は危険な環境に出て行きました。森を出て、サバンナに出ました。多くの危険にさらされることになり、多産にならざるを得なかったというわけです。
 人間の赤ちゃんは、よく泣きます。またにっこり笑います。早く乳離れするから、自分の母親だけではなく、いろんなおとなに育てられるようになっています。ゴリラの赤ちゃんは、ずっとお母さんの手の中にいますから、泣く必要はありません。霊長類学者の山極寿一氏の話です。

2009年12月16日水曜日

石上神宮の国宝・七支刀の公開

 来年の平城遷都1300年祭に共催して、石上神宮の国宝・七支刀が公開されます。
公開日時は、来年5月17日~6月11日(土日を除く)、場所は、石上神宮です。
 拝観には、事前申し込みが必要ですが、申し込み方法は、まだ決まっていません。
この七支刀は、銅製です。刀身の左右に3本ずつの枝があります。銘文からは、西暦369年に製作されたといわれています。仏教伝来前から、大陸との交流があったこと知る貴重な資料、文化財です。
 小学校の頃、歴史の時間で「ななさやのたち」とカナがふられていたのを思い出します。今は、「しちしとう」というようです。この神社は、非常にいい神社です。拝殿も国宝です。その地が神様ですので、拝殿しかありません。石段を上がると鎌倉時代の国宝の建物もあります。ここの鶏は、飛ぶことで有名で、夜は木の上で止まって寝ています。
  以前にここを訪れたときに台湾からの旅行客が、
「この七支刀を是非みせてくれ。これを見るために台湾から来たのだ」
神官は、
「見せるものではないので、見せられない」
と、いつまでも口論していたのを思い出します。
 七支刀も6年ぶりの公開です。時間がある方は、是非、奈良県天理市まで来られて、拝観してください。七支刀だけでなく、山辺の道もこの神社を起点にして南北に伸びています。七支刀の拝観がてら山の道を歩くのもいいでしょう。この道を南に下って行くと纒向(まきむく)遺跡もありますし、崇神天皇陵、景行天皇陵、三輪山などもあり、古代を偲ぶには、いいところです。

2009年12月15日火曜日

最近の企業の組織

 組織は、単純なほどよいはずです。日本が、太平洋戦争で負けたときもそれ以前の組織とは、大きく異なり、巨大化していました。陸軍省と海軍省が置かれたところまでよかったのでしょうが、天皇直属の参謀本部、軍司令部、大本営などが出来、強大な組織に発展して行きました。日清、日露の頃は、比較的組織が単純で、意思疎通が良かったのです。しかし、以後は、派閥が出来、情報の流れが悪くなり、軍部の独走が始まりました。そして、多くの国民が赤札一枚で召集され、戦地で亡くなって行きました。
 今の企業も、同じような形になりつつあります。組織が大きくなると、複雑になります。内部で大なり、小なりの権力闘争が起こります。その結果、指揮系統が錯綜し、組織が複雑になっていきます。これからの日本企業は、政府の有効な支援は受けられません。しかし、海外の企業に勝たねばなりません。そのためには、組織を出来るだけ、単純にして、指揮系統、情報の流れをよくしなければなりません。真剣に企業組織の単純化に臨まねばなりません。社内の調整、社内の戦いにエネルギーと時間を浪費することなく、もう一度、組織を簡略にして、活力を取り戻したいものです。

2009年12月14日月曜日

豊かさの勘違い

 わたしの友人の祖母が亡くなられて、ハガキが届きました。105歳だったそうです。松山で生活された人でした。わたしは、この方がどういう生活をされていたのか、まったく存じません。しかし、都会で生活するよりは、幸せであり、豊かだったのではないでしょうか。わたしの郷里、福岡でも町内に医者がいて、いつでも、もちろん、夜間でも親身になって、診てくれました。休みの日には、どこかの家でちゃぶ台に座って、昼飯を食べさせてもらったものです。そして、夕方、暗くなると、声がかかり、「また、あしたね」といって、分かれて帰りました。ラジオはありましたが、テレビはありませんでした。洗濯機も電気冷蔵庫もありませんでした。そのあと、電化製品が揃って行きました。これを豊かだと勘違いしたかも分かりません。
 昔、中学を出て、夜行列車に乗って、東京や、関東に就職でやって来た人たちがたくさんいました。一生懸命に働いて、結婚し、家を買い、こどもも生まれ、そのまま都会に住みました。たしかに収入は、田舎よりも多いのでしょうが、生活は、どうでしょう。住宅も田舎とは、比べものにならない小さな家です。そして、たくさんのローン。風呂は、ガスや電気で沸かせます。コンビニがあって、便利です。しかし、こういうことに誰も豊かさを感じていないでしょう。高速道路で田舎に行ってのなつかしさ、その高速道路にすさまじい費用がかけられています。誰のためでしょう。空港、ダム、高速道路、無駄なものが多いように思います。宮崎のように美しい国にコンクリートの塊である高速道路を作らないといけないという東国原知事。都会に出た人間は、都会を田舎に持ち込もうとします。都会がないと、生きていけないと勘違いします。車も多すぎます。もっと時間軸をゆっくりして、自然の豊かさ、人情の豊かさ、食べ物の豊かさ、太陽の豊かさを実感したらどうでしょう。クレジットカードでなにでも買えるというのは、やはり病気です。アメリカ文化から、そろそろ卒業したらどうでしょう。みな、腹が出て来て、成人病になります。そして、莫大な医療費。病院は、病人の山です。そろそろ考えましょう。

2009年12月13日日曜日

マラソンの中山竹通氏の血

 マラソンの瀬古利彦氏と中山竹通氏は、ライバルでした。瀬古氏は非常に几帳面で、計算尽くされた走りをしたのに比べ、中山氏は、才能的には、遜色がないと思うのですが、マラソンの戦歴では、かなり差がついています。絶好調の時も余裕があり過ぎて、優勝は出来ずに3位か、4位に終わり、がっかりしたものです。瀬古氏は、35キロ地点まで、肩を並べて走りますが、最後は、必ず勝ちました。中山氏は、たしかダイエーにも在籍したことがあると思うのですが、1988年のソール五輪では、誰もが認める「金メダル」の最有力候補でした。しかし、ボルディン、ワキウリ、サラに破れて、6秒差の4位でした。バルセロナ五輪でも2秒差の4位でした。勝負に対する執念が少し甘いように思ったものです。
 その中山氏の息子の卓也氏(19歳)が、父がライバルだった瀬古氏の母校の早大競走部に入っています。そして、正月の箱根駅伝を走るようです。スポーツの世界は、世襲はありませんが、まわりの環境がいいのでしょう。スポーツは、母の遺伝子を嗣ぐことが多いので、卓也氏のお母さんもスポーツをやっておられたのでしょうか。父の遺伝子のみでは、なかなか一流にはなれないようです。この例では、すぐに長島一茂氏を思い出します。
 いずれにしましても、中山竹通氏のマラソンランナーの血が、卓也氏につながっているか、箱根駅伝はその確認が出来、楽しみです。2区か3区を走ると、父親を彷彿する走りを見せてくれるかもわかりません。

2009年12月12日土曜日

出版界の大不況

 出版界には、大不況が襲っているようです。特に雑誌は、大変なようです。圧倒的な力を誇っていた日経BPも少なからず休刊する雑誌もあります。さすがに、まだ廃刊には早いのでしょうが、廃刊に近い状態でしょう。日経マイクロデバイスも休刊しますし、この手の雑誌の廃刊・休刊が増えています。母艦の日経ビジネスも広告が減っているように思われます。小学生向けの「科学」、「学習」も正式に休刊しました。小学館の学習誌である「小学五年生」、「小学六年生」も休刊を決定しています。
 出版科学研究所によると今年1~10月の休刊誌は前年より19誌多い170誌。ピーク時の97年に1兆5000億円を超えた雑誌市場は縮小が止まりません。紙資源を使わなくて、環境問題的にはいいのでしょうが、いずれにしろ、産業がシュリンクしていくのは、国の活性化上も好ましくありません。この状態は、日本の産業を照らしている感があります。今、困ったことがあります。どこの会社が、伸びると思うかと考えた時に、思い当たる会社がないのです。最後は、自分の会社が一番かということで、自分の会社に投資しています。なぜ、投資するのか、経営者がしっかりとビジョンを持ち、行動力があるから。放漫経営をしない。常に前向きに事業を行っているということでしょうか。全員が、前向きに進めば、まだまだチャンスはあります。日本の周りは、無限な海です。“初雪や これが塩なら 大儲け“という句がありますが、多分、海には、無限の資源があるのでしょう。宇宙に投資するなら、海に投資する方が、日本の国益にかなっています。

2009年12月11日金曜日

貧困率

 貧困率(相対的貧困率)は全世帯の可処分所得を1人当たりに換算して順に並べ、中央値の半分未満になる人の割合をいいます。今回の集計では、年間所得が約124万円に満たない人が貧困層になります。全体の貧困率は、15.7%になっており、とりわけ高齢女性の貧困率の高さは年金、医療など社会保険制度の見直しが必要になって来ます。
 年齢別にみますと、65歳以上の女性は、貧困率が約20%に達しています。男性も15%を上回ります。65~69歳の女性の貧困率は19%で、70~74歳になると26.6%までに上昇します。男性の場合も65~69歳の場合、15.5%。70~74歳が17.3%。75~79歳は19.8%と上昇傾向にあります。
 単身の女性は、もっと悲惨で65歳以上の女性の場合は、52.3%となり、男性の場合は、38.3%でした。
 日本の貧困率は、先進国中で最悪の水準でした。それにしても、こういう数字が出て来ること自体が、日本の政治の貧しさです。このまま何もしないでいると、もっともっと悪くなります。豊かさの新たな構築を図らねばなりません。民主党政権は、浮かれることなく、地道に改善を図ってほしいものです。年寄りを大事にしない国は、必ず滅びます。

2009年12月10日木曜日

バイク不振

 国内の二輪車需要は、60万台弱で、ピークの1980年代前半からすると8分の1にまで減っています。10年前と比べても半分になっています。二輪車は、エコ減税の対象にもなっていません。もともと税金が安いので、エコ減税しても需要を起こすことにならないと考えたのでしょう。ホンダとヤマハ発動機は、四輪免許で排気量が125ccのバイクに乗れるようにしてほしいと警察庁に要望しました。今の四輪免許では、50cc以下の「原付き自転車」にしか、乗れません。これは、制限速度が時速30km以下でしか走れませんし、大きな交差点では、2段階の右折をしなければなりません。また、これらの二輪車は、海外にない規格ですので、日本専用となって、割高になっています。世界の二輪車の90%以上が、この125ccクラスです。これをアジアで作って日本に持って来て売れば、相当に安くなるはずです。
 わたしも二輪車に乗りたいと思いますが、原付き自転車にヘルメットを被って乗るのも、自転車にヘルメットを被って乗るくらいの違和感を持ちます。125cc程度のバイクに乗ってみたいなと思いますが、自動車試験場に行くのは、億劫です。したがって、普通免許で125ccのバイクに乗れれば、需要は喚起できるでしょう。しかし、安くしてほしいものです。二輪車は、高すぎます。わたしが、高校の時のホンダのスーパーカブは、5,6万円程度だったはずです(自分で買わなかったので、アヤフヤですが)。それが、今は20万円以上しているのではないでしょうか。当時よりも高くなっているのは、バイクだけでしょう。この高さが、バイクが売れない理由かも分かりません。

2009年12月9日水曜日

正岡子規と奈良

 NHKの大河ドラマ「坂の上の雲」では、秋山兄弟とともに子規もよく出てくるはずですが、子規は、奈良にも立ち寄っています。有名な「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という句を法隆寺の境内で詠んでいます。この法隆寺のある斑鳩の里は、柿も多くとれます。正月用の干し柿も多くの農家で作られています。この句を詠んだ時に子規は甘柿を食べたのでしょうか、干し柿を食べたのでしょうかと疑問に思いました。法隆寺と柿を一緒に撮れるところはないものかと、散々探したことがあります。そして、法隆寺の五重塔の見える立派な柿畑を訪ね当てました。そして、1個、失敬しました。皮をむくことなく、ハンカチで拭いてがぶりといったのですが、ものの見事に渋柿でした。口の中が、しばらく渋くて、やはり悪いことは出来ません。こういう観光客が来るところは、渋柿を植えているものだと納得しました。しかし、子規が法隆寺を訪れたのは、10月26日です。干し柿には少し早いので、境内で食べたのは、甘柿だったのでしょう。子規がこの句を詠んだ日の10月26日に因んで、この日は「柿の日」に制定されています。
 子規は、この年、日清戦争への従軍を希望し、近衛連隊付きとなって、旅順などを回っています。そして、5月17日の帰国の船上で喀血。5月23日には、県立神戸病院に入院しています。その後、8月には退院して、郷里の松山に戻り、松山中学校教員をしていた夏目金之助(夏目漱石)の下宿に転がり込んでいます。秋になって、松山を立ち、10月26日に法隆寺を訪ねたということです。このあと、どこに行ったかは、わたしは知りませんが、
宿泊しましたのは、登大路の交差点を北に行った旅館「對山楼」でした。今、ここは、日本料理の天平倶楽部になり、子規の孫にあたる正岡明(64)氏が「子規の庭」を造園しています。子規の孫さんは、意外や、造園師になっているのです。子規は31日には、東京に戻っています。
 子規は結局、妻帯していません。子規の妹の律は結婚しましたが、子規の面倒をみる必要があったのでしょう。離婚しています。小説を読んでおられない方は、テレビの中で菅野美穂演じる律が、東京に出て来るので、秋山真之と結婚するように思われる方もおられるかも分かりませんが、実際は、結婚いたしません。
 子規は、上京するにあたって、叔父で外交官の加藤拓川の世話になります。拓川は、新聞「日本」社主でジャーナリストで親友の陸羯南(くがかつなん)に子規の面倒を依頼します。子規は「日本」の紙面で、俳句や短歌の革新を進めることになりました。これなくして、子規の人生は変わっていたでしょう。
 この拓川の三男の忠三郎(明氏の父)氏が、子規の妹、律の養子となって正岡家を継ぎました。したがって、明氏は、拓川氏の実孫でもあり、律の孫にもなります。子規は、「律なしには一日も生きていけない」と書いています。病魔に侵されながらも、気丈夫に次々と作品を発表しながらも、律には安心して、頼ったようです。
 子規は、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」を詠んで以降、奈良には来ていないようです。明氏が、なぜ奈良に住むようになったのか、一度、聞きたいと思っています。 子規は、仏像や宗教にはあまり興味を持たなかったのでしょう。飛火野に近い破石町には、志賀直哉が住んだ家が残っており、直哉はここでサロンを作り、多くの文学者が訪れました。平城遷都1300年で、再び奈良が文化的な色彩を濃くすることを期待します。

2009年12月8日火曜日

成田空港の3つの欠陥

 東京大・大学院の伊藤元重教授が、11月7日の産経新聞で、成田空港の3つの致命的な欠陥について述べていました。誰でもが納得する理由です。しかし、これを解消しようとする動きがまったくないことも不思議です。
 その欠陥と言われていることについて述べましょう。
 1. 国内線のハブになっていないために、地方空港を利用する人は、羽田から成田への長時間移動を強いられています。地方空港から韓国の仁川空港経由で欧米に行く人が増えているのは、まさに成田空港の弱点を突かれたと言えます。
 2. 夜間早朝の離発着ができない。
最終便が夜10時に出ると、始発便が出るのは、朝の8時50分頃。10時間以上も空港を利用していません。シンガポールやドバイ国際空港は、この時間帯に100便以上が飛び立っています。
 3. 都心からの距離が遠い。
ソールや北京に2、3時間かけて飛ぶのに都心から2時間近くかけていったのでは、明らかに不利です。
 これらの成田空港の欠陥を考えますと、前原国交相が羽田空港をハブ空港にしようという考えは分かりますし、成田空港近辺以外の人にとっては、当然の思いです。羽田空港を深夜に出る欧州便があれば、朝6時頃に欧州に着きます。そうなると、地方からの人は、最終便で羽田に入って、欧州便に乗り替えられます。
 また、アジア大洋州から来る便は、朝の成田に集中していますが、これは朝の6時以前には成田上空に飛べないので、現地で夜12時近くまで待たされます。さらに成田の朝は混雑するので、空港を出ると東京のラッシュアワーに巻き込まれます。
 成田は、これらの欠陥は、どうしたら解消できるのでしょうか。地方空港からの便を増やす必要があるでしょう。すぐにハブ空港化はやらねばなりません。しかし、夜間の離発着が難しいとすれば、空港の国際競争力は、厳しいといえます。森田知事も夜間離発着のために住民の理解を得る必要があるでしょう。そうしないと、成田の将来に対する希望はありません。国際線も羽田をどんどん利用させて、成田から移る便は、どんどん移らせて、成田の今、おかれている立場を理解させるべきでしょう。日本は、どうもお上の言いなりになりすぎです。もっと、利用者に選択させるべきでしょう。そうでないと、日本以外の空港をハブ空港として利用します。

2009年12月7日月曜日

関西の空港問題(4)

 国際空港としての関空、成田、中部の有利子負債を比較してみますと、なんと関空は圧倒的に多いのです。埋め立てたところに建設したこともあるのでしょう。本来、海ですから、漁業権を除いては、ただのはずですから、土地の買収費用は、一番安く出来たはずです。ところが、3港を比較しますと、有利子負債は、関空が1兆1200億円、成田がその半分の5540億円、最近出来た中部空港は、2890億円と4分の1程度です。なぜ、関空がこうも高額の費用がかかったのでしょう。明確にする必要があります。これは、民主党政権でなければ出来ません。水谷建設、西松建設よりもはるかに大きな資金が動いているはずです。
 また、関空は発着回数が減る一方にあります。今年の4~9月は、5万6049回で、目標の11万4000回の達成は、難しい状況です。旅客数も669万7000人で18%減少になる予想です。
 こういうじり貧の関空に伊丹空港の運営も任せようというのですから、謝った判断です。たしかに事業仕分けで、160億円の補給金は、打ち切られる可能性は、出て来ましたが、経営者として「なにくそ!」という意気込みはないのでしょうか。たしか、関空会社の社長は、歴代パナソニックのOBだったはずです。現役時代の叡智とバイタリティを発揮してほしいものです。離着陸料ももっと下げていいでしょう。
 日本は、国際会議の開催件数が非常に少ないのです。日本でもっとも多い東京ですら約60件です。シンガポール130件、香港80件です。パリは250件、ロンドン200件、ニューヨーク90件です。これは、もっとも安上がりな旅行客を呼ぶやり方です。残念ながら、大阪府では会場はどこだろうかと探さねばなりません。大阪は、相場の発祥の地です。今は、ロンドン、ニューヨークが発祥の地のような顔をされていますが、相場の学会でも大阪でやればいいでしょう。
 ただ、いかんせん、観光地に遠いというのが、最後は、ネックになるでしょう。3空港の一元化を議論する方は、リムジンバスなり、鉄道に自分のお金を出して乗って下さい。東京などで椅子に座って出る結論ではありません。夜、顧客と一緒に関空に着き、そこからバスなり、鉄道で大阪市内に向かいますが、真っ暗な工業地帯です。昔の北九州工業地帯のような活気はありません。これから向かう大阪は夢のある都市には、見えないのです。バスか、電車に乗って、大阪市内に向かうとワクワクするような高揚感がほしいところです。ここであれば、ビジネスのネタがあるだろうと思うような仕掛けが欲しいのです。和泉の街中を走ってもありません。大阪に着いたら、翌日、新幹線で東京です。京都、名古屋を抜けて、田園地帯を走り、しばらくすると、富士山が歓迎してくれます。この高揚感。東京に行くと、きれいな富士山のイメージがまだ残っており、うまくいきそうな感じになります。
 関空から大阪に向かうのは、たしかにリニアカーを使って、あっという間に着くというような先進性のイメージを定着させることも必要なのでしょう。時間の短縮も必須です。しかし、高い資金をかけてリニアカーを走らせても、電車賃が5000円、1万円では、乗りません。
 JALの経営が問題になり、ANAも赤字になりましたが、1便当たりの乗客数は、羽田はもっとも多いのです。230人です。ヒースローの100人、フランクフルトの100人、ドゴールの70人、JFKの60人に比べても圧倒的に多いのです。これは、日本の航空会社も機体を小さくして、便を増やしたいのでしょうが、空港の離着料が高いために機体を大きくせざるを得ないのでしょう。ANAはJALとともに空港の発着料の引き下げを国交省に申し入れようとしましたが、JALが腰が引けたようです。
 また、首都圏の人口も日本は3200万人ですが、ロンドンは1700万人、パリが1050万人、ニューヨークでも2000万人と東京は有利なのです。日本は、まだまだ工夫をすると、隣の韓国にも負けないハブ空港が作れるはずです。JAPAN is No.1の時代をもう一度作り上げませんか。わたしは、100歳まで現役でがんばるつもりです。今、中国の経営者にも、経営理念の大事さを伝えています。ただ、安く売る、儲かる、いい生活ができるといった物質面のみを追わせると皆、悲劇になります。「坂の上の雲」が始まりましたが、明治人の向上心と謙虚さを持ちたいものです。

2009年12月6日日曜日

関西の空港問題(3)~3空港の一元管理~

 関西、大阪(伊丹)、神戸各空港のあり方を検討する関西3空港懇談会で提案されることが固まった3空港の「一元管理」について、大阪府の橋下徹知事は1日、「中途半端な一元化ならやらない方がいい」と述べました。自らが抜本的解決として主張している「伊丹廃港」を打ち出さない議論を牽制したものです。
 懇談会は、大阪府や兵庫県、神戸市、国土交通省や地元経済界など12団体で構成されています。11月30日の実務者レベルの調整で一元管理案が固まりました。知事は「3空港が併存しては抜本的解決にならない。傷口にばんそうこうを張るだけの対症療法」と、批判しました。
 12月14日には、正式合意する見通しです。関空会社が伊丹空港を運営し、同空港の収益を関空会社の経営改善に充てることも含め、関係者で今後、3空港を一体運用するための具体的な手法を協議します。政府の行政刷新会議の「事業仕分け」で、関空会社への補給金160億円が「凍結」とされたことから、関西3空港の将来像を示す必要があると判断したためです。
 関西3空港は、関空が関空会社、伊丹が国、神戸が神戸市と、設置・管理者が分かれている。設置・管理者が異なる複数の空港を一つの運営主体が一元管理するのは、国内では初めて。
 関係者によると、まず、関空と伊丹で一体運用を実施。競合する路線の再編などで効率的運営が可能になる上に、年間40億円に上る伊丹の黒字を国からの管理委託費などの形で関空会社に補填できるという。運営主体は関空会社のほか、一部事務組合なども検討される。その後、神戸も加える。
 国交省航空局の幹部は「地元の意向を尊重して検討する」とし、関空会社幹部は「関空活性化のための議論で、関西全体で決めたことに従う」と話している。
 関空は1兆円超の有利子負債を抱えて割高な着陸料がネックになって路線撤退が相次ぎ、関空会社は2010年3月期連結決算で経常利益が6年ぶりの赤字になると見られる。
 国交省は関空会社の競争力を高めるため、補給金を来年度予算で要求したが、事業仕分けでは「延命策でしかない」と批判された。
 はたして、こういうことでいいのでしょうか。伊丹空港は、曲がりなりにも黒字を計上しています。その黒字を関空会社がもらい、関空の穴埋めに使おうということです。何事も競争が合って、成り立つものですし、改善されるものです。関空は、国からの補給金がなければ、ずっと赤字であったわけです。民間の発想であれば、伊丹空港に関空の運営をやらせるべきでしょう。倒産会社が、黒字会社の経営も行うわけで、成功する訳がありません。関空は、競売にかけて、海外の会社に売ってしまう方がいいのかも分かりません。今後、関空自身が、トントンにもっていけれて、伊丹空港の黒字分40億円を支払いに回しても、利子ゼロで250年かかります。気が遠くなること意を通り過ぎています。
 これを救う秘策を11月30日に橋下知事が言っていました。米軍普天間飛行場を関空にもって来てもいいと、すごい発言をしていました。たしかに第2期工事で作った第2滑走路が空いています。ヘリコプター23機くらい何ともないでしょう。「国から正式な話があれば、受け入れてもいい」と語っています。わたしも、以前は、佐賀空港など佐世保に近い空港で、あまり役に立っていないところに移したらどうかと思っていました。戦略的には、佐賀空港の方が、いいのでしょうが、佐賀県民がなかなか認めないでしょうから、関空で真剣に考えたらどうでしょう。沖縄の普天間基地周辺の住民にとっても朗報でしょう。佐賀空港への移転とともに真剣に検討する価値があるように思います。

2009年12月5日土曜日

関西の空港問題(2)~橋下知事に便利な関空、一般の利用者は無視~

 問題の 第2弾は、前原国交相発言です。「羽田空港をハブ空港にする」というものです。まず、森田健作千葉県知事が噛みつきました。
 「成田空港は、どうするのだ」と。
 しかし、前原大臣に
 「二港、ひとつとして考える」
 ということで、一晩で矛を収めました。
 そうするとうるさい橋下知事です。
 「羽田をハブにするなら関空もハブにしてくれ」。
 前原大臣は、
 「順番があって、まずは羽田。これが終わってから考えましょう」。
 前原氏は、橋下氏に約束していません。そこで橋下氏は
 「それなら、大阪府は補給金を払わない」。
 どうもこの三人は、目立たないと気が済まないようです。
 わたしは、橋下氏が伊丹空港を廃止して、関空に一本化するというのか、気がしれません。かれは、吹田市に住んでいますので、上京するのには、飛行機は使わずに新幹線を使っているのでしょう。海外へは、よく上海に行っていますので、この時は関空を使っています。したがって、彼にとっての利便性は、関空にあるのです。もし、伊丹空港が廃止されると、喜ぶのは、関空ではなく、間違いなくJRです。
もうひとつ伊丹の問題は、空港が住宅街にあるので、もし航空機に万が一のことがあると、大惨事になると言っています。そして、例に出されるのが、香港の啓徳空港です。これは、二次元の地図で見ますと、少しは似ている感がないではありませんが、三次元で捉えるとまったく違います。啓徳空港はビルの間を下りる感じでした。伊丹空港の近くには、離着陸を邪魔するような建物はありません。わたしは、伊丹空港を年に80回ほど使っていますが、危険と感じたことは、一度もありません。車に乗っている時の方が、はるかに多く感じます。
 便利性を考えた場合、1時間以内の人口を調べますと、関空は南に寄り過ぎていて、400万人しかいません。これに比べますと、伊丹空港は1500万人で、約4倍です。少し西に寄っているかなと思われる神戸空港ですら1000万人です。
 いずれにしましても、軽率な前原発言が、橋下氏の関空への補給金停止となり、三空港統合の話になっています。しかし、この統合案は、利用者のことをまったく考えていません。為政者というのは、よくもこう自分勝手なことを考えるのでしょう。(明日に続きます)

2009年12月4日金曜日

関西の空港問題

 橋下大阪府知事は、常々、大阪国際空港(伊丹空港)を廃止し、関西国際空港(関空)に一本にすると言っています。この関西空港は、建設段階からおかしいのです。マスコミも和歌山の毒カレー事件ほどには騒ぎませんでした。すんなりいった感じです。どうもマスコミは、三面記事には、地方の事件も取り上げますが、こういう政治的な話になると霞が関のみで終わらせようとする感があります。八ケ場ダムもそうです。もっと早くマスコミは騒ぐべきでしょう。一般国民は、知ることは出来ないのです。酒井のり子や押尾学の麻薬事件にこれだけの時間を割くのであれば、税金の使い方についてもっと糾弾すべきです。
関空の建設にあたっては、大阪湾の沖合ですので、土を運んで、埋め立て、島にするよりも浮かぶ島にする方が理にかなっているという意見も多かったのです。しかし、浮かぶ島にしますと、建築土木会社よりも鉄骨橋梁会社の仕事になります。このために、建設土木会社は、国会議員ほかを動かしたようです。なにしろ、数兆円の工事費です。浮島構想は、経験がないので危ないとか、いろいろのマイナス要因を挙げました。学者先生も同様です。航空母艦をみれば、うまくいきことは分かり切っています。しかし、こんなバカな工事は、それこそ100年に1回です。結局、埋め立てることになりました。ダンプカーが走り回りました。巨額の漁業補償費も払いました。当時、漁業をあきらめて、他府県に行っていた人までが帰って来て、漁師になりすましました。
 さて、空港が出来上がると地盤沈下です。「埋め立て工事自身は問題なかったが、下の土地が圧縮されて、すなわち縮んだ」ということで、また工事です。ひどいところは、1m近く沈んでいます。浮島、すなわち大きな航空母艦にしておけば、こういう縮む問題もありませんでしたし、漁業補償費の額も非常に少なくなっていたはずです。まだ、生きている人がいる間に検証すべきです。NHKで特番ででもやってくれないでしょうか。
 もうひとつバカなことが、第2期工事です。滑走路を2本にするというのです。2004年当時の発着回数は11万回。発着回数の能力は、16万回あったわけです。これでも足りないということで、第2期工事を決めました。当時、自民党の太田誠一氏も「三大バカ事業」と称しましたが、時の北側一夫国交大臣(公明党、先の衆院選挙で落選)と谷垣禎一財務大臣(現在の自民党総裁)が、念入りに合意文書まで作成して始めたのです。これも建設土木会社の暗躍でしょう。そして、現在、どうなっているでしょうか。12月1日の読売新聞によりますと、
              関空    伊丹    神戸
管理者       関空会社  国土交通省 神戸市
開港時期       1994年   1958年   2006年
滑走路        2本      2本      1本
            3500m   1828m    2500m
         4000m   3000m
発着回数(2008年) 12.9万回 12.9万回  2万回
旅客数(2008年)  1533万人  1538万人  258万人
経営       赤字  49億円黒字  赤字
 発着回数が関空、伊丹ともに12.9万回というのもおかしな話です。この数字は、国交省が上限を決めたようです。伊丹は、もっと能力がありますし、関空の数字は、粉飾のにおいがします。神戸空港などは、八尾市にある八尾空港にすら負けています。この空港は、定期便はありませんし、空港も広くはありませんが、3万8096回とほぼ神戸空港の倍です。
 関空の問題は、子や孫の代から、あういうものをなぜ作ったのと言われそうです。(明日に続きます)

2009年12月3日木曜日

スーザン・ポイルさんがCDデビュー

 英国のオーディション番組で惜しくも2位になったスーザン・ポルカさんが、アメリカでCDデビューすることになりました。米国で24日に発売されたデビューアルバムのCDの予約数は、「アマゾン」で過去最高を記録しました。相変わらず、人気は絶大です。美貌には、けっして恵まれているとはいえませんが、見る人に安心感を与え、聞く人には美しい声でなごませます。世の中の人は、見た目の美しさだけよりも、別の何かを求めているようです。スーザン・ポイルさんの人気がどこまで続くかは分かりませんが、曲やマネージャーに恵まれると結構続くと思います。23日には、米NBCの人気番組「トゥデイ・ショー」に出演して歌声も披露しました。これからは、クリスマスの季節に入って行きますが、スーザンさんの声は、それにも合っているように思います。欲を表に出さない人には、神も手を伸ばすようです。

2009年12月2日水曜日

辻本賢人の野球人生

 2004年に史上最年少の15歳で、中学校を卒業して、すぐに阪神に入団した辻本賢人投手が阪神をクビ(戦力外通告)になりました。2回目の12球団合同トライアウト(入団テスト)を11月25日受けました。これには、辻本投手を含む投手11人、野手5人が参加しました。
 辻本投手は、入団時、非常に期待されていました。高校で野球するよりも早くプロ野球に入って、体づくりを行う方がいいとも言われたものです。わたしなども昔、東映で怪童として騒がれた尾崎投手のようになることを想像していました。3年もすれば、エースになるだろうと思っていました。15歳で急速は、140キロ出ていたはずです。本人はアメリカに行くことも考えていたようですが、阪神が説得して、入団させました。そして5年が経って、フォームはバラバラで、急速は130キロがやっとです。特に肩も痛めていないようです。このトライアウトには、米大リーグからもスカウトが来ていたので、その目に留まるかも知れませんが、日本のプロ球団は採用の気持ちはなく、独立リーグでもないようです。本人は、どこからのオファーでも待つつもりでいます。
 こういう少年を阪神は、どういうトレーニングをしたのでしょう。阪神球団ならびにコーチにも非常に腹が立ちます。純粋に野球に打ち込んでいる少年をまったく指導できなかったわけです。大卒であれば、本人の自覚の問題と言えますが、15歳の少年です。こういうコーチが、他の投手のコーチも出来ないでしょう。女性であれば、結婚という逃げ道もありますが、男はそういう逃げ道はありません。まだ、20歳と若いので、なんとか阪神を見直させる選手になってほしいものです。実家は、裕福な家庭でしたので、生活に困るということもなく、場合によっては、アメリカでの再起にも温かく見守ってくれそうです。しかし、少し野球がうまかっただけに厳しい試練となりました。この件は、コミッショナーも調査すべきです。

2009年12月1日火曜日

槙原敬之氏と松本零士氏の裁判

 松本零士氏が漫画「銀河鉄道999」のせりふを槙原敬之氏が自分の歌詞に盗用したということで、マスコミなどに訴えました。裁判所ではありません。テレビに出て、槙原氏の不誠実さを話しました。そうすると槙原氏は、「名誉棄損」ということで、逆に裁判所に訴えました。一審は槙原氏が勝ったようで、賠償金を槙原氏に払うように松本氏に命じました。松本氏は高裁に上告したことでしょう。そして、11月26日に知財高裁で和解が成立しました。
 わたしには、松本氏の言い分の方が通っているように思いましたが、槙原氏が盗作したと誹謗したことが、拙かったようです。マスコミなどに言わずに最初から裁判にかければ、分が良かったように思うのですが、誹謗したために名誉棄損となりました。
 そして、今回の和解の条件は、
① 松本氏が槙原氏に謝ること
② 槙原氏の歌詞に異議を述べない
③ 双方に損害賠償などを求めない、ということです。大人の解決かも知れません。
 通常、民事の場合、一審で負けると二審では、勝てません。今回は、裁判所が和解条件を出してくれたために松本氏も助かったということでしょう。
今回の教訓は、著作権などで、自分に有利だと思っても、けっしてマスコミなどに言わないことです。勝てると思ったら、相手を裁判所に訴えることです。負けるとか、面倒だと思ったら、本人にのみ注意することでしょう。松本氏もいい勉強になったはずです。けっして感情的にならないことです。順番を間違えると、えらい損です。