2009年10月31日土曜日

「坂の上の雲」は映像に向かない

 昨日からの続きです。明治時代は、暗い時代でした。その前の時代は、農民には年貢という税金がありましたが、町民には、ありませんでした。それが、税金がかかり、徴兵があり、資本主義が発展し、悲劇的なことに官僚主義の時代でした。こういう暗い時代に誰も入りたくないというのが、司馬氏にはありました。司馬氏の小説は、この「坂の上の雲」を除くと、明治時代以降の作品は、非常に少ないのです。しかし、資源もない、小さな国が、世界の列強と伍していこうという、この気持ちを司馬氏は書きたかったそうです。
 「坂の上の雲」を書くにあたって、日露戦争を公式に記した「日露戦史」がありますが、史料的な価値はゼロだったそうです。参加した将軍の功績を書いたものばかりです。ただ、何日何時何分にどこからどこへ移動したということは、正確に書いてあり、これを基に司馬氏は、日露戦争を自分で組み立て直しました。
 ところで、司馬氏の生存中から、「坂の上の雲」の映像化の話は、NHKや映画会社などから、たくさんあったそうです。しかし、「坂の上の雲」は、映像には向かないということで断って来ました。これは司馬氏の存命中もそうですが、亡くなった後も遺族も映像と小説は異なるということで、断り続けたそうです。小説は、戦争を表しただけではありません。日本人が、その時にどう考えたかということは、映像表現では難しいと考えていました。NHKは、非常に熱心で、「NHKの全部門を挙げて制作する」と言って来たそうです。大きな転機は、「街道がゆく」の映像化でした。もうひとつの「街道がゆく」が出来たくらいによく出来ていたそうです。このNHKの言葉を信じて、許可しました。ただし、「坂の上の雲」には、本来、女性が出て来ません。しかし、映像上は、女性も出したいという要望がありました。また、夏目漱石や森鴎外も、ほとんど原作では出て来ないのですが、出させることにOKしました。広瀬中佐のロシア女性アリアズナとの恋の話は、原作では短いのですが、映像では長くすることを了承したそうです。
 この作品は、映画を13本撮ることに匹敵するくらいに仕事量が多かったそうです。従来の3倍ほどの時間と費用がかかるそうです。したがって、1年目は5本、2年目は4本、3年目は4本を撮るという感じで進めていきます。心配なのは、原作のニュアンスが、壊れないか、ずれないかということです。作る側も、原作側も故人に申し訳が立つように久々に気合いが入った映像になりそうです。(明日に続く)

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