2009年7月12日日曜日

郙尓波(なにわ)連公の木簡

 韓国の扶与(百済)で、郙尓波連公の木簡が発見されました。7世紀に荷札に使われたもののようです。木簡の大きさは、長さが20.9cm、幅が1.9cmでした。日本からの品物に付けられたものでしょう。日本書紀に681年に草香部吉士に難波連という姓が与えられたという記載があります。この木簡のみでは、歴史の動きが分かりませんが、郙尓波は、難波でしょう。すなわち、大和の迎賓館などが作られたところです。ここの為政者あてに、送られたものか、かれから百済の貴人に送られたものでしょう。大和と百済の緊密な関係が、窺えます。今以上に大和と百済の関係は.密で交流も頻繁に行われていたのでしょう。大和(日本)から朝鮮半島を経由しなくなり、すなわち日本から東シナ海を横切って直接、中国に渡るようになってから、徐々に関係は疎遠になったのでしょう。1300年前の木製のものが、腐らずによく残っていたものです。
 扶与や装飾古墳のある陵墓には、一度、行って見たいと思っています。

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