2009年3月19日木曜日

東大寺大仏殿

 東大寺の二月堂の回廊を14日までお水取りで籠松明が走っています。関西では、春の訪れの象徴的な行事です。
 その東大事の大仏殿は、聖武天皇の発願によって造られました。当時、国内は飢饉や内乱もあって、社会に不安が増大していました。これを盧舎那仏の大きさと慈悲の深さにすがろうとしたのです。奈良の大仏が作られたのは発願から6年後の天平21(749)年でした。その後、平重衡によって治承4(1180)年に焼かれ、松永久秀によって永禄10(1567)年に焼失しました。そして鎌倉時代と江戸時代に再建されました。大仏の大きさも創建当時は高さが15.80mでしたが、現存のものは、14.98mです。東京大学大学院情報学環の池内克史教授らが創建当時の大仏さまの姿を3次元モデルで復元しました。それによると、創建当時は今よりも顔が細く、全長も約1m高かったことが分かって来ました。今の大仏よりもすっきりしていたようです。
 大仏殿の大きさも次のようでした。鎌倉時代に再現されたものは天平時代の創建の大きさでした。重源の努力とこだわりが伝わって来ます。そして、江戸時代の大きさは幅が大幅に狭められています。宝永6(1709)年に落慶供養されました。当時は、資金が枯渇していたのかも分かりません。体積を高さ×奥行き×幅で計算しますと、創建当時の大仏殿は、今のものよりも1.477倍の大きさであったことが分かります。しかし、今でも幅が大きく感じますが、創建当時は、ほぼこれの1.5倍あったわけですから、当時の人に与えた衝撃はどうだったでしょう。あまりの大きさに見る人は、度肝を抜かれると同時にこのような素晴らしい建物と大仏を造る為政者に安心したことでしょう。今回の定額給付金のようにチマチマ使うのではなく、国民が安心するようなことに使ってほしかったものです。民主主義とは、いい為政者を生みにくいようです。


高さ(m)

奥行き(m)

(m)

体積()

創建時(天平)

47

50

86

202,100

鎌倉時代

47

50

86

202,100

江戸時代

48

50

57

136,800

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

修学旅行へいきました。そして、大仏を見ました。想像以上に大きかったです
今、東大寺についての勉強をしています。
今調べているのは、奈良の大仏です。
教科書を見たら、初y学生が10人くらい乗れると書いてたからビックリしました。
でも奈良の大仏は、2代目と書いてたから
(えぇぇぇぇ]と思いました。
いまからいろいろ探します。